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カテゴリ:[ なんでもフリートーク ]


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[33] (無題)

投稿者: oxbnc 投稿日:2014年 7月 9日(水)21時46分14秒 i121-119-14-12.s05.a007.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用

私は、人と余り話をしない。対人関係で大分苦労したということもあるが、私は、人とは大分違うらしく、何か言ったりすると何か重い言葉になってしまう、ということを、自分では思う。あなたがここに書くことをなくしてしまうようなことになってしまうことに、申し訳ないような気もする。自分の目は何でも見えるがその自分の眼自体は見えないとよく言うように、私も、自分がこうして書いていることがどのような言葉の重さを持っているのか、自分でもよく分からない。

この前、『ロオマ帝国の崩壊:文明が終わるということ』という本を読んだ。ロオマ帝国の崩壊についての学者の論じ方が昔とは大分違っているということが、その中で書いてあった。そういうことを見ていると、歴史というものも、解釈というものが結構大きな要素を占めるのだろうという感じがした。解釈というと私は法学部で解釈というものを学んだので法律の解釈というのが思い浮かぶが、結局は自分がどう理解するか、そしてその根拠は何かということにはなるのだろうと思う。それは、自分が何をみるか、そしてどのように見るか、ということにつながるのだが、それがまた、自分の思想とか信条とか価値観とか、そう言ったものに影響される。それがまた、自分の体験とか読書とかそういった現実的な行為に影響される、ということにはなる。そういうことを考えると、ロオマ帝国の崩壊についての解釈というものにも、時代というものが大きな影響を与えていてまたその時代というものが少し変わってきたという感じが、する。

人間が理屈を言うようになったからなのかは分からないが、今の人は、自然などが訴えることに鈍感なような感じがする。昔だったらとっくに分かっていたはずだったのが、今は理屈で理解しようとするから、何にでも理屈をつけようとする。彼らはそういう人間を、黙って見ているのだろう。あわれというのか、何故人間は分からないのだろうかと、その方がよく分からない。

思いついたことを、書いた。


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