新・高源院掲示板



カテゴリ:[ なんでもフリートーク ]


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[29] (無題)

投稿者: oxbnc 投稿日:2014年 6月16日(月)21時01分37秒 i223-217-222-71.s05.a007.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用

先日、或神社の祭に参列する機会があった。目の前で、勅使が色々していたり、着飾った人々が境内にいたりしていた。参列者は椅子に座って、その様子を眺めていた。それを見ていて、私は一人物思いに耽っていた。別に誰かが悪いとかいうことではないし、そのようなことを言うつもりではない。ただ、みんな同じ人間なのに、なぜこのように違うのだろうか、そのようなことを考えていた。或人は勅使として、他の人は宮司や神職として、或は夫々の人として。同じ人間である人々が、まるで役割を与えられたかのように夫々の人生を生きている。その時は、そして今でも、ある空しさというかかなしさというものを感じる。人生というか、それがどのようなものであるか、ある種思い知らされるものではある。西洋の名言などではこの世は劇場のようなものだとかどこかで見たような気がするが、言ってみればそのようなものなのかもしれない。それぞれの国で、夫々の地域で、夫々の家庭で、その人は生を享け、その人の人生を生きる。ある言い方をすれば運命、別の言い方では大きな流れ、たとえばそのようなものの中で、その人はその人生を生きる。そのような、この世という場における人生において、その人は生き、その人の人生でするべきことをし、思い知るべきことを思い知り、或は他のすべきことをして、学び、この世をいずれ去っていく。そのような夫々の境遇にある人々が、この世で生きている。そのようなこの世で、神仏は縁をつくったり離していたりするのかもしれない。人間から見れば変えられない運命だと諦めてしまう人もいる。そうではないと、為すべきことを為そうとして強い意志を持ちそれをなす人もいる。そういうことすらも運命というものの中にあるのだろうかと考えると、不思議な感じがする。それを神の意志と言ってみたり、縁と言ってみたりする。それはそれで、そのような側面はあるのだろう。ただ、そのような中に、神仏の介入する余地が、あるのだろうと思う。そのようなことを、ふと思った。

大学学部生のときに買って途中まで読んで約20年間読みさしにしていた岩波文庫の『杜甫詩選』を、先日読み終えた。漢文には詳しくないので文体についてはよく分からないが、杜甫の望郷の念の強さが伝わってくる。ブッダでさえ最後のときには生まれ故郷に向かっていただのから、故郷というもののありがたさというのかやさしさというのか、そういうものを思う。そして、その望郷の念の強さというか、寧ろその深い嘆き悲しみがそのような詩を杜甫に書かせたのだろうと考えると、苦しみというのが如何に難しいものであるかということを、思い知らされる感じがする。芥川龍之介の「ただぼんやりした不安」というのも、そのようなものなのであろうかと考えたりもする。何を言っているのか分からないかもしれないが。

思い浮かんだことを、書いた。


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