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フェイク 第1684号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年11月12日(木)14時41分11秒
  (発行=20.11.10)

相承無きニセ法主が根本か?
御書根本、大聖人直結を否定する「慧妙」
「大聖人直結」の信仰は妄想との愚論

日蓮正宗の謀略紙「慧妙」十一月一日付の「歴史改竄を糺す」では「大聖人
直結なる妄想を破す」と題して、日蓮門下とは思えない愚論を掲載している。

同紙は、十月一日付では「御書根本」が邪義であると述べていたが、今回は
「大聖人直結」は、学会員に歴代法主や宗門は不要だと思わせるのが狙いだと
戯言を書いている。

そして「血脈付法の御法主上人を離れて、正宗の仏法はありえないのである」
(『広布と人生を語る』第3巻)との池田先生の指導を引いて「会員諸君はこ
のことを知っているのか!?」と得意気に書き、更に「大聖人直結って何なの
か」「どうすれば直結になるのか」など説明がなく、内容や教義は皆無と批判
しているが、笑止!

「大聖人直結」とは信心の基本的な心構えである。大聖人に直結しないで正
法正義はなく〝日蓮と同意〟の信仰こそが門下の真のあり方である。その一念
がないから〝法主本仏論〟の邪義を唱え、日蓮正宗の僧俗は信心の基本を軽視
し、布教も出来ない。日顕はニセ法主の座にいた頃、夜の勤行をしたのは一度
だけ、日如は大願寺の住職時代から勤行を疎かにしていた。

特に、池田先生が「血脈付法の御法主上人を離れて、正宗の仏法はありえな
い」と強調していたように「血脈付法」が大前提なのである。日顕は血脈を詐
称し、その後を継いだ日如も不相伝のニセ法主だ。

日顕は昭和五十三年四月十五日に大石寺大奥で日達法主と二人だけの場で内
々に付嘱を受けた、と述べていた。だが、法廷の場では日顕の言う血脈相承は
認められなかった。裏付ける証拠が何一つ無かったからだ。

この日は日達法主の誕生日で、その日のスケジュールは次の通り。

午前0時 大客殿で丑寅勤行。終了後、大奥で就寝。
午前七時 御影堂にて御講(約一時間)。
午前八時 御講の終了後、塔中住職による誕生日祝いの言葉。続いて大奥で朝
食。
午前九時半 三人の末寺住職による誕生日祝いの言葉(約十分~十五分)。
午前十時 本山で結納の儀を終えた原田篤道らが揃って報告(約十五分)。
午前十一時 身支度の後、大石寺東京出張所に向けて出発。夕方は都内の中華
料理店で誕生祝賀会。終了後は東京出張所に宿泊。このスケジュールからも大
石寺大奥で相承を行なう時間が無かったのは明らかだ。

次に、憂宗護法同盟の著「法主の大陰謀」によれば日達法主が急逝した同五
十四年七月二十二日、日達法主の息子の細井珪道と琢道、娘婿の菅野慈雲らを
前に日顕は次のような発言をした。

日顕「あと(相承)の事はどうなっているのか?」
菅野「総監さん(日顕)じゃないんですか?」
日顕「あぁ…そうかぁ…」
日顕が本当に相承を受けていたのなら、この場で「私が受けていた」と言う筈
だ。

この時の言動からも、日顕が相承を受けていなかったことは明白である。日
顕は猊座を盗み取り、日如も相承無きニセ法主なのだ。

なお「法華講要旨」には左の通り「大聖人直結」を謳っている。これを「慧
妙」は批判できるのか?

 
 

フェイク 第1683号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年10月28日(水)23時24分10秒
  (発行=20.10.27)

興源寺の講頭・総代を詐欺で逮捕
宗門のチラシ「学会員への最終警告」を粉砕
功徳のない日蓮正宗の僧俗の相次ぐ犯罪

悪質な手口の詐欺が横行している昨今、日蓮正宗の興源寺(茨城県笠間市)の
講頭で総代でもある福島軍公が詐欺で逮捕され、地元紙の茨城新聞で報道され
た。

同紙の報道によると、茨城県出身の日本画家、横山大観の偽物を群馬県高崎市
の会社役員(七六歳)に購入させたとして笠間署は十九日、詐欺の疑いで笠間市
上加賀田の古物商の福島軍公(七九歳)を逮捕したということである。

この福島は広布の陣列から離れて邪宗門へと転落した者のようで生活に困窮
していたのだろう。退転して幸せになった者を知らない。

本紙前号で今月十八日に坊主の大野雄允が酒気帯び運転で逮捕されたことを
報じたが、その翌日には法華講幹部が逮捕されたのだ。

法華講員の犯罪は、これまで金に困ってのサラ金強盗、生活保護費を搾取す
る貧困ビジネス、架空リース話で巨額の詐欺、損害賠償金を得るため故意に交
通事故を起こす当たり屋、覚せい剤所持、婦女暴行、公文書偽造、競馬のノミ
行為、公金横領などがあった。

このような犯罪の多発は、日蓮正宗が道徳的な気風と健全な精神を失った宗
派であることを物語っている。

宗門の最後の悪足掻き

法華講が最近、各地で「学会員の皆様への最終警告」というチラシを配布。
その内容は、脱会者の泣き言や感情的な学会の悪口を羅列した退廃的なもので
ある。

これは命題達成が絶望になり、粗末なチラシを配るしか手がない程、追いつ
められた法華講の最後の悪足掻きで、日蓮正宗の信仰には功徳がない証拠だ。

 脱会者に学会の悪口を言わせている宗門だが、戸田先生は聖教新聞の「寸鉄」
で次のように指弾していた。

一、信心の弱い信者ばかり集めたがっている坊さんがいる、そんな坊主は学会
くずれを拾って喜んでいる。
一、それぢゃその坊さん屑買いじゃないか、そんな屑集めて何になる。
一、その屑がね、総代になったり副講頭になったり婦人部の幹部になったりし
ているよ。
一、学会の屑っていう者は偉いもんだな、屑でないのはすごいだろうね。
一、凄い所か、真金だよ、火にも焼けず水にも漂わず、教学に折伏に大童わだ、
天晴れなものだ。(昭和二十七年十月二十日付)

宗門の塔婆詐欺一億円
ところで、福島軍公の詐欺を上回る悪質なのは宗門の塔婆詐欺である。学会
の登山会があった当時、本山では塔婆の申し込みが一日に数千本を超えていた。

平成二年四月、全国宗務支院長会議で日顕は「塔婆の申し込みが多くて、本
山で書き切れない塔婆が十万本以上も溜まってしまった。書くのも目茶苦茶に
書いていた。それなら、いっそ印刷にしようということで、ワシが書いて印刷
にすることにしたんだ。その方が綺麗になるし、スッキリするようになった。
それで今までの(十万本以上も溜まっていた)塔婆は一本だけ大きい塔婆を立
てて、ご破算にした」と言い放ち、出席した坊主は「ワッハハ」と爆笑してい
た。

当時、塔婆供養は一本千円だったので、一億円相当の詐欺行為であった。


 

フェイク 第1682号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年10月22日(木)15時00分42秒
  (発行=20.10.19)

大石寺の坊主が酒気帯び運転
信号待ちの車に接触して現行犯逮捕
住職になれず納骨・塔婆担当の大野雄允

日蓮正宗総本山大石寺の坊主・大野雄允(ゆういん)が十八日、静岡県警富士
宮署に道路交通法違反(酒気帯び運転)で逮捕された。同署の発表によると、
大野は同日午前0時頃、富士宮市下条で酒気を帯びた状態で乗用車を運転し、
コンビニ店の駐車場からバックして路上に出た際、信号待ちをしていた車に接
触した。

駆けつけた同署員が呼気を検査すると、基準値を超えるアルコールが検出さ
れたため、現行犯逮捕されたのである。

〝僧侶の飲酒運転による事故〟〝酒気帯び運転の僧侶を現行犯逮捕〟というニ
ュースは全国紙、地方紙で一斉に報道され、静岡放送のテレビニュース番組で
も伝えられた(写真参照)
それにしても日蓮正宗は坊主の飲酒運転が多すぎる。山田雄勉、佐久間法敬、
須藤正伝、牧野信開、石山寿恩など坊主の数から考えると酷い宗派だ。

今回、逮捕された大野は昭和三十四年生まれの六十一歳。同五十八年三月に
得度した。一般得度の四期生で同年六月の沙弥を振り出しに平成三年に訓導に
なり、今年三月には権大僧都と僧階は上がっても内事部勤務が長く、専ら納骨
や塔婆の担当ばかりで住職の経験はない。宗門の大学科にも行っていない。

平成二十八年には、大阪府在住の人が大石寺納骨堂に預けていた祖父など二
体の遺骨を受け取りに行った時、大野が持参した祖父の骨壺は空っぽだったと
いう驚くべきことがあった。

大野は「納骨の仕事をして二十四年目だが、こんなことは初めてだ。納骨堂
のどこかにあるはずだ」等と言い逃れを並べていた。

学会が日蓮正宗に寄進した寺院の数は356ヵ寺。民衆による未曾有の寄進
である。その学会を破門した日顕は遊興に耽って寺を建立しなかったから無任
所の坊主が増える一方だった。

大野のように住職にはなれず、塔婆室勤務のままか、或いは草むしりなど雑
用の日々でストレスが溜まっている坊主が多いようだ。

大野は教学力も他の宗門坊主と同様に実に乏しい。

平成十一年六月、青年僧侶改革同盟の成田雄伴氏が富士宮市内の法華講員宅
に招かれて話をしていると、大石寺の無任所坊主九人が押し掛けてきた。三十
歳を過ぎても末寺住職になれない者たちだ。少人数では成田氏に歯が立たない
から徒党を組んで来たのだ。その中の一人が大野だった。

成田氏が相承、血脈論、僧宝などについて追及しても大野は回答不能、他の
坊主からも珍回答が返ってくるばかりで、成田氏に徹底的に破折された。

また、大野は所化時代、大恩寺(佐賀県)の住職が白内障の手術で入院した際
に一時、派遣されて行ったが、酒を飲んでは朝寝坊ばかりして、時には昼頃ま
で寝ていたこともあり、寺族を唖然とさせたという。


 

フェイク 第1681号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年10月20日(火)18時05分30秒
  (発行=20.10.13)

相変わらず日蓮正宗の暴力体質
密集・密閉のソウル布教所の坊主が死亡
青年僧侶の諌暁に暴行で報いた宗門

 日蓮正宗では九月七日から十二月十五日まで「百日間唱題行」を実施してい
るが、本山では所化小僧が日如の横に一列に並んで唱題をしている。その所化
小僧の中には眠いのか、肩が下がって姿勢が悪い者もいる。それを見つけた年
上の坊主が所化小僧を力いっぱい張り倒しているという。

 一般信徒が参列している前での暴行である。そんな暴力沙汰を見ていた信徒
が唱題行の後に「あのような(張り倒すのは)のは、どうなのかね?」と言っ
ていたが、日蓮正宗では殴るのが指導、殴られるのは修行のようだ。

 宗内での暴力行為は日常茶飯事で殴る、蹴る、張り倒すというキックボクシ
ングのような〝指導〟が横行するようになったのは日顕が〝盗座〟した以降だ
と言われている。

 日顕自身、幼少期の人格形成が歪んでいたのか、被害者意識が異常に強く、
些細なことで激高し、御開扉の直前でも平僧の頭を殴ったり、蹴ったりしてい
た。

 特に、暴力事件として忘れてならないのは青年僧侶十人が離脱した時、大石
寺の大奥が修羅場と化した出来事である。

 平成四年三月三十日、日顕との〝目通り〟の席で、菅原雄政氏が進み出て「
いろいろと悩んできたことを認めてまいりました」と、日顕の前に「離山の書」
を置いた。

 その時、不穏な事態を察知した御仲居の駒井専道が「座りなさい」と言うと、
後方に座っていた植松雄増氏が「黙れ、駒専、これ以上、我々の自由を奪うつ
もりか」と一喝。続いて日顕を指さして「日顕、悪いのはお前だ」と。すると
山口雄在氏が立ち上がり「そうだ、そうだ」と叫ぶ。植松氏と山口氏は、大勢
に包囲され、羽交い絞めにされて怒号を浴び、大塚雄能氏が「やめろ、やめろ」
と叫んで止めに入るなど、大奥は騒然となった。

 松岡雄茂(幹夫)氏が立ち上がって「警察沙汰になるぞ」と叫び、この日のた
めに書いた二十六枚、三万字に及ぶ日顕への「決別の手紙」を渡そうと数歩、
進み出た。その時、松岡氏の動きを待っていたかのように凶暴な性格で知られ
ていた曺雄理が松岡氏の顔面を拳骨で何度も殴打した。

メガネは壊れ、全治十日間のケガを負わせた。

宗史に残る暴力事件と言ってよい。宗門は純粋な青年僧侶の諌暁を一顧だにせ
ず、暴力で報いたのである。

日顕は暴力行為を見ているだけで、一言も止めようとはしなかった。

松岡氏を殴った曺雄理は以前、臼倉雄理と名乗っていた。昭和三十七年七月生
まれ。学会での学生部時代は南多摩圏で武闘派として異彩を放っていたようだ。

同六十年三月に得度。彼は在日韓国人で、韓国籍に変更。ソウル布教所の責任
者をしていたが、今月六日に死亡した。享年五十八歳。

このソウル布教所と言えば、本紙前号で韓国の「中央日報」の記事を引用して
紹介したが、ソウル市が明らかにしたところによると、「コロナの集団感染が
発生した日蓮正宗ソウル布教所は窓がまったくない密閉された空間」「日蓮正
宗ソウル布教所は二重・三重閉鎖、空調を通じた機械換気以外の外部換気がで
きない状態だった」とのことである。

 

フェイク 第1680号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 9月15日(火)17時44分40秒
  (発行=20.09.12)

「日蓮正宗ソウル布教所は密集・密閉」
韓国の「中央日報」がコロナ感染状況を報道
宗門機関紙「疫病の因は邪義邪宗の害毒」

「朝鮮日報」の「韓国の日蓮正宗で集団感染が確認された」「大韓民国日蓮
正宗の名称で法人許可を申請したが、当局が法人登録を認可しなかったのは『
軍国主義を称賛』との理由だった」という報道は、日蓮正宗の総本山大石寺で
の感染と合わせて本紙前号で取り上げた。

これに加えて、10日配信の韓国の「中央日報」でも日蓮正宗ソウル布教所
に関する重要な記事が掲載されたので紹介する。
★ ★

 ソウル市内の新型コロナウイルス感染者数が1日当たり40人台に減ったが、
散発的な集団感染は続いている。先月に密閉空間で礼拝を行った教会などを中
心に大規模集団感染が発生した状況でも依然として一部宗教施設では類似の事
例が繰り返されている。

ソウル市が10日に明らかにしたところによると、5日に集団感染が発生し
た日系仏教施設の日蓮正宗ソウル布教所は窓がまったくない密閉された空間で
あることがわかった。

ソウル市はこの日、書面会見を通じ「日蓮正宗ソウル布教所は二重・三重閉
鎖、空調を通じた機械換気以外の外部換気ができない状態だった」と明らかに
した。

礼仏時間には信徒が座席間隔を1メートル程度で維持したが、階段、休憩室、
ロッカーなどでも信徒間の密集度が非常に高かったというのがソウル市の説明
だ。

この施設では5日に僧侶1人が最初に感染が確認されてから8日までに15
人、9日に4人が追加で感染が確認され、合わせて20人が陽性判定を受けた。

このうちソウル市の感染者は19人で、9日の新規感染者4人は信徒2人と
信徒の家族2人だった。これに伴い、永登浦区(ヨンドゥンポク)は8月29
日から9月1日まで法会に参加した信徒ら316人に対し検査案内のショート
メッセージを送った。

その後、確認された追加参加者40人に対しても同一に公示した。(中略)

日蓮正宗の場合、韓国仏教に属していない日本系宗教の上に、ソウル市は日
蓮正宗側が申請した法人設立許可を承認しておらず、仏教施設全般で集団感染
が出たと見るには難しいという分析が出ている。

しかし、ソウル市は「宗教施設は正規宗教行事を含めたあらゆる宗教行事を
非対面で実施し、宗教行事以外の対面会合と行事、団体での食事は控えるべき」
と強調した(「中央日報」)
★ ★

 早瀬日如はコロナウイルス感染症について観念的な発言を繰り返し、日蓮正
宗の機関紙「大白法」9月1日付は「疫病の大流行や三災七難の起こる原因は、
邪義邪宗に帰依する謗法の害毒によるものであり、こうした災難を防ぐには、
一刻も早く謗法の念慮を絶ち『実乗の一善』たる三大秘宝の大御本尊様に帰依
することである」と書いているが、説得力に欠ける。

更に、同紙6月1日付でも「謗法による愚癡蒙昧の心と行為が、ウイルスを
拡散させていると言っても過言ではない」と記していた。

 罹患された人たちを疎んずるものではなく、感染の終息を強く願っているが
故に問うが、日蓮正宗の僧俗は真に「実乗の一善」に帰依しているのか? 一
連の現症を見ると、甚だ疑問である。

 

フェイク 第1679号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 9月10日(木)13時35分45秒
編集済
  (発行=20.09.09)

「朝鮮日報」が法人登録拒否の理由を報道
日本と韓国の日蓮正宗でコロナの集団感染
日蓮正宗は軍国主義を称賛し協力

日蓮正宗大石寺内で新型コロナウイルスの感染が確認され、八月二十九日か
ら添書登山の御開扉を休止し、丑寅勤行(客殿)、広布唱題会(客殿)、御影
堂への参詣も中止、宝物殿も休館している。

 一方、韓国の日蓮正宗でも集団感染が確認され、朝鮮日報の8日付で「集団
感染の『日蓮正宗』、日帝賞賛を理由に法人登録拒否されていた」と報道され
た。本紙で引用し紹介する。

「8日に新型コロナウイルスの集団感染が確認された仏教宗派『日蓮正宗』
ソウル布教所が、ソウル市に法人登録を申請した際に、日本帝国主義を称賛し
ているとの理由で法人登録が認められなかったことが分かった。

ソウル市などによると、日蓮正宗は日本から伝わった仏教の宗派で、201
9年、20年の2回にわたり市側に『大韓民国日蓮正宗』の名称で法人許可を
申請したが、認められなかった。

市の関係者は『日本の軍国主義を称賛していることなどを理由に不許可とし
た』として『許可が下りていないため、(民法上)無登録で布教を行う任意団
体と考えられる』と話した。

防疫当局によると、ソウル市永登浦区登浦洞にある日蓮正宗ソウル布教所で
今月5日、僧侶1人の新型コロナウイルスへの感染が確認され、濃厚接触者を
把握して検査した結果、8日午前までに信者などさらに十一人の感染が確認さ
れた。

市によると、信者たちは先月29日から今月1日にかけて、法会など複数の
集まりに参加していたことが分かった。ソウル市は『さらなる疫学調査を通じ、
患者の行動歴を明らかにしたい』と説明した(キム・スンヒョン記者)

この朝鮮日報の記事で注目すべきは「日本の軍国主義を称賛していることな
どを理由に不許可とした」との記述である。

事実、日蓮正宗の戦争翼賛、協力の証拠は多く、その主な事例を次に上げる。

★御観念文を改変(昭和16年8月)。御観念文に「皇祖」「皇宗」「皇国守
護」など、神道に配慮した文言を付け加えた。

★大聖人の御聖訓を改ざん(同年9月)「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」と
の一節をはじめ御書の御文を14カ所も削除した。

★開戦の日に法主の日恭が戦争賛美の「訓諭」を発表(同年12月)。「本日
米國及英國ニ對シ畏クモ宣戦ノ 大詔煥發アラセラレ洵ニ恐懼感激ニ堪エス」
と、戦争を始めたことに感激したと明言していた。

★海軍大臣から宗門に「感謝状」(同年同月)

★伊勢神宮遙拝を「院達」で指示(17年10月)

★神札受諾の強要(同年同月)。軍部政府の圧力に屈した宗門は、牧口初代会
長、戸田理事長(当時)ら幹部を大石寺に呼びつけ、謗法の神札を受けるよう
強要。牧口会長らは断固拒否、謗法厳誡を貫いた。

★軍事物資を積極的に供出(19年1月)。政府が発した「金属回収令」に従
って大石寺の仏具や梵鐘など約8トンもの物量を供出。加えて、境内の杉やヒ
ノキなど巨木200本余りを伐採して提供した。

これに対し学会の牧口初代会長は、軍部の弾圧にも一歩も引かず仏法の正義
を貫き通して殉教した。


 

フェイク 第1678号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 8月17日(月)18時53分26秒
  (発行=20.08.11)

日顕こそ広布破壊の張本人だ
「大白法」と「慧妙」の戯言を破折する ④
不信謗法、暴言、愚挙の数々で坊主失格

日蓮正宗法華講の機関紙「大白法」(八月一日付)の「異流義破折」欄で「謗
法の根源は誰か―創価学会」と題して批判記事を掲載している。

 その「大白法」の内容は既に再三、破折したもので「総本山を謗法呼ばわり
し、血脈付法の御法主上人猊下に憎悪をたぎらせ、宗旨の根本たる大御本尊へ
の信仰を捨て去った」「(池田名誉会長は) 広宣流布を破壊した張本人」等と
憎悪を剥き出しに書いている。

 宗門は大石寺を「謗法」だと指摘されるのが悔しいようだが、日顕が相承を
詐称して〝盗座〟した後、次から次へと己義を捏造し続けたことは事実だ。そ
れは十七世日精が唱えた造仏・読誦の邪義や小笠原慈聞の神本仏迹論よりも質
が悪い。

★法主絶対論、法主本仏論を振りかざして「日顕が本仏、日蓮大聖人は迹仏」
との暴論を容認、★日顕は「現代の大聖人様」と吹聴させた、★大御本尊を鑑
定し「偽物」と断定、★日顕は「大御本尊と不二の尊体」との妄説、★「御本
尊を信じられない。文字だから」と自白、★血脈詐称、★国主立戒壇論の新説、
★禅寺に阿部家の墓を建立し開眼供養、★御本尊の書写ミス、★勤行・唱題を
嫌って法主時代、夜の勤行をしたのは一度だけ、★丑寅勤行をさぼって温泉豪
遊など、坊主失格の大謗法である。

更に、宗門に隷属させるため、学会員に御本尊授与を停止、「血脈なんて切れ
ても良い」と発言、正本堂や大客殿などの破壊、僧が上で信徒は下と差別する
信徒蔑視、「信徒の分際」との発言、黒人女性を侮辱、売春婦とのトラブル、
暴力の常習犯で御開扉の直前にも平坊主に暴行、供養の金を浪費しての遊蕩三
昧、三十億円もの信徒の浄財を浪費して都内の一等地に二箇所の豪邸建設など
愚挙や暴言は枚挙に暇がない。

特に、日顕は自らの謗法を顧みることなく「法主を批判した」というが、正し
くは、学会が「法主の謗法を指摘した」のだ。その学会を破門した日顕こそ広
布破壊の張本人である。

「大白法」は大御本尊への信仰を捨てた、登山しないと功徳は無いと非難する
が、そう仕向けたのは宗門だ。だが、登山地獄に苦しむ法華講よりも学会員は
大功徳を満喫している。

かつて日如が早瀬義寛と名乗っていた頃、学会の会則の「三大秘法の大御本尊
を信受し」について、御講の席で「学会が三大秘法の大御本尊を信受するなん
て、破門された学会には許されない。狂っている」と述べていた。

今では反対に「『弘安二年の御本尊は受持の対象にはいたしません』とは暴挙
であり、大聖人への反逆行為です」と言っている。

「信受する」のは許されない、狂っていると誹謗し、他宗派の大石寺にあるか
ら「受持の対象にしない」というと反逆行為、謗法と言う。どっちにしても批
判するのが宗門だ。

なお、宗門は「日顕宗」と名付けたのが学会だと勘違いして恨み言を繰り返し
ているが、言い出したのは正信会だ。日顕が擯斥した後、正信会機関紙に「な
んでもかんでも猊下に従っていくのであれば、日蓮正宗ではなく阿部日顕宗で
ある。猊下に従うのが信心ではない」と書いていた。

 

フェイク 第1677号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 8月16日(日)18時10分14秒
  (発行=20.08.10)

宗門見解と反対の「慧妙」の記事
「大白法」と「慧妙」の戯言を破折する ③
「こんなの機関紙じゃない」と言った細井珪道

 大石寺への月例登山会の淵源について前々号、前号で日達法主の説法を通し
て「慧妙」の間違いを見てきたが、これまでも「慧妙」は宗門の公式見解とは
違う異説を書いて恥を晒してきた。その代表例が第五十五世日布(下の写真)の
謗法行為に関する見解である。

 日布は国柱会の中枢幹部や未入信の有名な宗教学者らに御開扉を許可して自
らが導師をしたのみならず、終わった後、日布は「各々ヨウコソの御登山、佛
祖三寶も御滿悦のことゝ存ずる。……各々が無始以来の罪障消滅現當二世の所
願滿足と厚く御祈念申上げました。南無妙法蓮華經」(「大日蓮」昭和十年三
月号)と丁寧に挨拶した。

 この日布の謗法行為を学会側が指摘。すると「慧妙」は次のような我見で弁
解した。「謗法者の御堂への参詣自体を禁じてはおられない」「戒壇の大御本
尊が広宣流布の時至るまで秘蔵の形をとり公開されていないのは、いまだに邪
宗・謗法の者多く、それらの者の手から大御本尊を厳護申し上げるためであっ
て、何も謗法者に拝ませてはならないから、という訳ではない」(「慧妙」平
成五年十一月一日付)

 この「慧妙」の出鱈目な見解を当時の宗門の法義研鑚委員会(委員長は大村
壽顕)が一刀両断した。

 同委員会は宗内教師各位への「通知」として「一閻浮提総与の御本尊といっ
ても邪宗邪義の輩に礼拝を許すわけがない。これは宗祖大聖人の御教示であり、
宗門七百年の鉄則である」と。

 一事が万事、低劣な邪見を書くのが「慧妙」である。



 そのため細川明仁や日蓮正宗を見限った花野充道は「慧妙」の記事を信じて
いると後で困ったことになる等々と嘆いていた。

 また、かつて常在寺の住職だった細井珪道(故人)が「慧妙」を指して「こん
な新聞は宗門の機関紙じゃない」と吐き捨てるように言っていたと、同寺の法
華講員が教えてくれた。

供養の金で温泉豪遊

 御供養に話を戻す。「御本尊様への御供養」と言いながら、実際は坊主たち
の遊興費に消えている実例を一つ紹介する。

 平成二年十二月、学会による二百ケ寺寄進の百九ケ寺目として山形県長井市
に信妙寺、同じく百十ケ寺目として寒河江市に真覚寺を建立した。その落成入
仏式の際、運営役員が参加者の御供養を取りまとめ、当時の庶務部長・早瀬義
寛(現在の日如)に報告した。

 すると早瀬は「こんな少ない御供養でどうするんだ。猊下がお泊りになる費
用や食事代も出ないじゃないか。何でこんなに少ないんだ。私達もたくさん来
ているんだぞ。どうするんだ」と激しい口調で運営役員を怒鳴りつけた。

 地元の人達の真心からの御供養で少ない金額ではなかったが、早瀬は宿泊費
や食事代も出ないと言って怒り狂ったという。

 後で分かったことだが、日顕、藤本日潤、早瀬ら坊主が揃って赤湯温泉の高
級旅館で盛大に豪遊したとのことだった。(つづく)

 

フェイク 第1676号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 8月15日(土)13時28分36秒
  (発行=20.08.09)

日達法主、学会の外護に感謝
「大白法」と「慧妙」の戯言を破折する ②
「供養の金を不正に使った僧は堕地獄」

昭和四十年七月の東京法華講大会での日達法主の話を前号に続いて紹介する。
「本山が衰微して、まったく御本尊様に上げるところの灯がなかった、一本の
ローソクもなかった。

お寺さんは商売人じゃないから、金を儲けることはできない。登山する人も
ない、土地は全部、農地法によって買い上げられてしまう。どうしてやってい
くことができましょう。

その時に法華講の幹部の方が本山へ集まっていただいて、一年間に一世帯五
十円の御供養を本山からお願いしたけれども、聞き入れてくれなかった。遂に
色々と理屈をつくって、とうとう逃げてしまったのであります。

その時に出席しておったのが戸田前会長であります。会長は憤慨しました」
と述べた。

この後、日達法主は前号で書いた通り、戸田先生が登山会を発足させた事実
を述べて「次の正月からずっと登山会をやって供養する精神に燃えていった」
と学会に感謝の意を表明した。

「慧妙」が書いているような阿仏房の身延詣でとか金沢法華講衆が今の登山
会の淵源ではない。

日達法主は言葉を続けて「今更、皆様の法華講員を批難するのではありませ
ん。ただ、その時の幹部があまりに酷かったから、今日、皆様に言うのである。

その幹部はどうか、そこに列席した幹部は今どうなっておるか。実に恥ずか
しいことながら、天理教に行った人もありますが、その人は、すぐ惨めに死ん
でしまいました。あるいは破産して行方不明の人もあります。実に惨めな人た
ちであります」

このように法華講幹部の厳しい罰の現証について語った日達法主は、戸田先
生が「(御供養のお金を)不正に使ったならば、それは使った僧侶が罪を受ける
のである。地獄へ堕ちるのである」と発言したことも紹介していた。

戸田先生はこの時、既に日顕のような御供養の金を湯水のように浪費して豪
遊する堕落坊主が出てくることを見通されていた。

戸田先生が懸念された通り、日顕をはじめとする腐敗・堕落坊主が多数、日
蓮正宗の中に現れた。

特に、日顕による御供養の不正使用は枚挙に暇がない。例えば、日顕が伊豆
の超高級温泉旅館で毎月のように豪遊していた事実は、そこの旅館に勤めてい
た元従業員の証言で明白だ。

「日顕さんは旅館で一番高い部屋をとっていました。一人十五万円で、政子
さんと二人で三十万円。本間、次の間、三の間と三部屋あり、数寄屋造りの純
日本建築です」「ここで十万円はする特別の懐石料理を食べていました」

この事例は氷山の一角に過ぎない。遊蕩三昧の挙句、日顕は「彼ら(学会を
指す)はジーッと御供養して信仰やって、坊さんが堕落するのを待っていたん
です!」(平成六年五月二十六日、全国教師寺族指導会)と、日顕は自らが勝
手に堕落した罪を純真な学会員になすりつけていた。

日達法主の話にある通り、理屈を並べて、供養をしない法華講に対し、戸田
先生は憤慨して純粋な外護の精神で登山会を作り、御供養を続けてきた。決し
て坊主を堕落させるためではなかった。 (つづく)


 

フェイク 第1675号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 8月14日(金)14時39分55秒
  (発行=20.08.08)

「慧妙」は日達法主の説法に違背
「大白法」と「慧妙」の戯言を破折する ①
「戸田先生が始めたのが登山会の淵源」

 日蓮正宗法華講の機関紙「大白法」と謀略紙「慧妙」が最近、学会批判の記
事を立て続けに掲載している。

 これは「大白法」で「折伏精進の時」(七月一日付)、「僧俗一致し唱題・折
伏」(七月十六日付)、「全講員の折伏実践へ」(八月一日付)と煽っても、折伏
が完全に行き詰まっているため、学会員を脱会させて法華講に取り込もうとの
卑しい魂胆からだ。

 そのため、言いたい放題、学会の悪口を書いて、最後に「本来の信仰に立ち
帰るべきことを切に訴えるものである」(八月一日付「大白法」)と書き足して
いる。

 だが、こんな的外れの戯言に動揺する学会員はいないので、この種の批判記
事は捨て置こうと思っていたが、「大白法」や「慧妙」の虚偽の記事に騙され
ている法華講員や妙観講員を覚醒させるため、両紙の間違いを破折して真実を
記す。

 初めに「慧妙」が登山会について珍説を書いているので、ここで正しい歴史
を述べる。

 創価新報(令和二年二月十九日号)に掲載された谷川主任副会長のインタビュ
ー記事の「戦中・戦後の荒廃で極貧にあえぐ宗門を支えるために、戸田先生が
昭和二十七年に始めたのが登山会の淵源だ」との月例登山会の始まりに関する
記述に難癖をつけた「慧妙」が奇妙な反論を書いていた。

 まず「慧妙」はこの創価新報の日付を「平成三十二年二月十九日号」と間違
っている。平成は三十一年までだ、大笑。以前にも健在の学会幹部を〝死亡〟
と二度も誤報を掲載したことがある。失礼千万だ。「慧妙」の記事のいい加減
さを物語っている。

 さて、「慧妙」の奇妙な反論は「九〇歳の老齢で登山された阿仏房や御禁制
の中を身命を賭して登山された金沢法華講衆等が、本宗の登山の淵源である」
と。

 阿仏房が身延に行ったのが登山会の始まりとは実に「慧妙」らしい屁理屈だ。

 第六十六世・日達法主は学会の第二代会長・戸田先生の外護の精神に触れた
後、「彼(戸田先生)はその時にまだ獄舎から出てきて間もなく、また自分の事
業もない、故に本人に金はなかった。そこで決心してつくったのが登山会であ
ります」と説法。日達法主が昭和四十年七月の法華講大会で、戸田先生によっ
て登山会が始まったと明言していた。この日達法主の説法を「慧妙」編集部は
知らないのか?

 「慧妙」は日達法主の説法に違背しているのだ。

 この法華講大会で日達法主は「本山が衰微して、まったく御本尊様に上げる
ところの灯がなかった、一本のローソクもなかった」と窮状を述べていた。

 昔、大石寺の僧は山菜採りや養鶏の傍ら農作業もしていたという。(つづく)


 

フェイク 第1674号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 7月12日(日)17時55分27秒
  (発行=20.07.08)

大石寺が供養の金で金融業営む
日蓮正宗の「特別御供養」に関する考察 ㊦
敬台院の書状が示す「貸し付けと利息」

日蓮正宗は機関紙「大白法」で「日蓮大聖人の御聖誕八百年という大佳節に
当たり、大聖人様の大慈大悲に御報恩感謝申し上げるため」「現当二世に亘る
福徳を積めるよう」「一人も漏れることなく御供養に参加してまいりましょう」
(六月一日付)と煽っている。

だが、日蓮大聖人は「まことの心なれども供養せらるる人だにも・あしけれ
ば功徳とならず、かへりて悪道におつる事候」と仰せになっており、数々の謗
法を犯し、広宣流布の破壊を企て、社会貢献もしないで信徒を苦しめる今の日
蓮正宗のような邪宗に供養すると、かえって「悪道に堕ちる」と教えられてい
る。

 本紙では以前、大石寺が天保九年六月に豆州韮山の代官・江川太郎左衛門に
宛てた「口上覚」と題する古文書(次頁に写しを掲示)を取り上げ、大石寺が金
融業を営んでいた旨、指摘した。この古文書は専門家の鑑定の結果、本物と確
定している。

T大学の教授(日本史)が「江戸時代の寺が檀家や周辺の農民を相手に金貸し
をしていたのは珍しいことではない」と語っていた通り、この古文書は大石寺
が他の寺と同じように庶民相手に金貸し業をしていたこと、また返済期限の延
期や利息の滞納を認めない冷酷だったことを物語っている。

 その内容を改めて簡潔に紹介する。

書き出しでは「寛永十二年十月十二日之夜寺中より出火本堂山門坊舎不残焼
失仕」と本堂、山門、坊舎等が残らず焼失したと記している。

 次に、五重の塔の再建に関する箇所にも興味深い記述がある。

そこには徳川六代将軍・家宣の正室であった天英院から貰った三百両で山門を
再建したことを書いたあと「其ノ餘金貸附ノ利銀相積り、延享年中、五重之宝
塔再建仕候」と明記しているのである。

 つまり天英院から貰った金で山門を再建し、余った金を資金にして金貸しを
して、溜め込んだ利息で五重の塔の建設費用の一部にしたというのである。

五重の塔の建設に関して日蓮正宗が公式に発表しているのは、延享三年に建
設を始めて寛延二年に完成、資金は板倉周防守勝澄からの一千両を含む総工費
四千両となっているが、ここでは大石寺が金貸し業で荒稼ぎしていた事実につ
いて、古文書をもとに紹介する。

大石寺に厳しい仏罰

「右残金ヲ以テ御祠堂田ト為シ相求メ置キ候。回徳金ヲ貸附ケ置キ候……」
 救済すべき貧しい庶民を借金で縛り、利息も取っていた大石寺には厳然と仏
罰の現証が現れた。

「近年、打チ続ク凶作ノ上、天保五年四月八日、富士山ヨリ大水押シ下シ、御
祠堂田、多分ニ流失仕リ、修覆モ行キ届カズ、誠ニ以テ難渋仕リ候」と。建設
費の残った金で田を買い求めたが、富士山から大水が押し下して、その田は流
失してしまって、修復も出来ない状態になって難渋しているというのである。

 日蓮大聖人は「新池御書」のなかで「守護の善神此の国を捨つる事疑あるこ
となし(中略)或は旱魃をなさん或は大水と成りて田園をながさんと申し」と
厳しく戒められている。

この御文に照らし、大石寺の田畑が大水で流されたのは仏罰と言える。しか
し坊主共は、御本尊に懺悔し、祈ることはせず、幕府の権力者に泣きついたの
だ。

 次に「御威光ヲ以テ是迄利銀不納モ御座無ク候」とある。これは代官所の役
人が大石寺に代わって借金の返済を迫る「触れ」を出していたので、その「御
威光」によって利息も期限通り大石寺に入金されていたことに対する御礼であ
る。

そして「当時ノ世柄ニテハ、萬一滞リ之儀、御座候節ハ、愁訴奉ルベキ儀モ、
御座有ルベキ候」と続いている。凶作と水害のため、農民達が生活に困って、
もし、借金の返済や利息を滞納するようなことになれば、訴訟を起こしても取
り上げると明言しているのだ。

そして「其ノ節ハ何卒格別ノ御慈悲ヲ以テ、御取リ立テ成シ下シ置カレ候ラ
ハバ、有リ難キ仕合セト存ジ奉リ候」と代官に根回する腹黒さだ。庶民の窮状
を顧みることもなく、己の安穏な生活を望むのが日蓮正宗の坊主共である。

この「口上覚」について法華講員が「怪しい古文書だ」「大石寺が金貸し業
をしていたとは信じられない、ウソだ」「金を貸し与えていたかも知れないが、
利子などは取っていなかった」と勝手なことを述べていた。

ここに江戸時代の寛永十五年に敬台院が供養したことを記した「大石寺重物
に渡す金子の事」という書状(上の写真を参照)がある。

これは「大石寺の重物として渡す金子の事」という書面だが、不勉強で本文
を読めない宗門の所化小僧や法華講員のために分かり易く要約して記す。

一、金子五百両は大石寺代々の法主の賄いの費用の元金として渡す。この金
子は檀家の人達で算段して貸し付け、その利息分を庫裡の維持などに用立てて
ください。

一、金子二百四十一両は大石寺の屋根の茅葺き替えの資金として檀家の人達
に預けるので貸米の元金にしてください(以下略)。

この文面から分かる通り、大石寺は金貸しをして利息を取っていた。無知な
法華講員の批判を敬台院の書状が明確に〝破折〟している。



 

フェイク 第1673号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 7月11日(土)20時05分23秒
  (発行=20.07.07)

色々な口実で莫大な金を「徴収」
日蓮正宗の「特別御供養」に関する考察 ㊤
税金や罰金と同じ感覚で強制的に取り立て

日蓮正宗は機関紙「大白法」で「折伏精進の時」との凸版を付けて「『御命
題達成の年』の総仕上げをする後半をスタート」(七月一日付)とか「いよいよ
強盛に自行化他の信心に励み」(六月十六日付の日如の話)等と出来もしない〝
八十万体勢構築〟を煽る一方、特別供養の第三回目を十二月に受け付けるとし
て大きく図入りで掲載(六月一日付)している。

 今号では、この特別供養について考察する。

 日蓮正宗では、これまで色々な口実を設けては供養と称して少人数の法華講
から集めたのは何十億、何百億円という巨額にのぼる。

 平成六年に建てた新六万塔は三段の台座の上に石碑を乗せただけで、建設費
用は約三千万円程度だったが、集めた供養が約二十一億円。「坊主丸儲け」の
荒稼ぎで、供養という名の詐欺だ。

 地震対策を理由に大客殿を破壊して「客殿」を建てるのに約四十一億六千万
円を集金した。

 大客殿については建築の専門家が「柱の補強だけで十分」と診断、建て替え
る必要など全くなかった。

 また、五十億円以上の巨費を投じて耐用年数は千年、マグニチュード9の地
震にも耐え得ると言われていた正本堂を解体して「奉安堂を建立する」と言っ
て平成十一年度には約三十三億円、同十二年度に約四十六億五千万円、同十三
年度に約八十八億五千万万円、合計して約百六十八億円もの大金を集めた。

 こうして建てた奉安堂は建物内に信徒用のトイレがなく、雨天時の待機場所
もない。まさに参詣者のことを配慮していない信徒蔑視を象徴する建物といえ
る。

 供養という名の集金で味を占めた宗門は以来、「立正安国論正義顕揚七百五
十年記念」とか「日蓮大聖人聖誕八百年慶祝」など大聖人を供養集めに利用す
る。

供養地獄の法華講

 記念事業を口実にして、平成十八年に約二十二億七千万円、同十九年にも約
二十八億一千万円、同二十年には約三十九億六千万円を搾取。同二十五年の「
御影堂」と「塔中坊の建て替え」では約百二十億円と法華講は供養地獄に苦し
み続ける。

 同二十年三月の講頭会では北海道夕張市・信隆院の法華講幹部が「供養はし
たいのですが、もう、お金がないのです。ウッ……」と泣き崩れたのは有名な
話だ。

「供養」は強要されるものではない。大聖人が「凡夫は志ざしと申す文字を心
へて仏になり候なり」と説かれているように成仏の要諦は〝広宣流布の志〟で、
供養も信心の発露から「喜捨」の精神で行うものだが、日蓮正宗の場合、事前
に目標額を決めている。

 かつて本紙で取り上げたが、平成二十八年に蓮興寺(沼津市)が配布した「御
供養勘募のお願い」と題する文書には供養の「徴収日」「徴収場所」「徴収時
間」と表現していた。供養を徴収とは驚いた。徴収とは国や公共団体が租税・
手数料などを強制的に取り立てることで「税金を徴収する」「交通違反で多額
の罰金を徴収された」等と使う。

 法華講員の信仰心に付け入り「特別御供養」と称しては税金、罰金と同じ感
覚で取り立てるのが日蓮正宗なのである。 (つづく)

 

フェイク 第1672号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 6月19日(金)19時44分51秒
  (発行=20.06.16)

夢に終わる「八十万体勢構築」
「C作戦」が裏目に出た日蓮正宗の凋落年表 ㊦
身延派と交流、神社参拝など謗法を容認

日蓮正宗の略年表を前号に引き続いて掲載する。
◇    ◇
平成二十五年
★三月三十日 法華講の講頭会で講頭たちから不満や辛辣な発言が続出。
★六月五日 鳥取市・日香寺(住職・山田貴道)の総代を務める藤本英夫が窃
盗の容疑で逮捕された。藤本は五月二十八日午前、市内の建設会社が所有する
プレハブ小屋から鉄板六枚を盗んだという。
★六月十九日 本山・東之坊に所属する法華講員で暴力団員の坂井誠が、知人
の地方検察庁事務官に捜査情報を漏洩させたとして、逮捕された。
★七月一日 「富士山お山開き」、富士山本宮浅間大社と富士根本宮村山浅間
神社で登山の無事・安全を祈願する神事が行なわれた時、法華講連合会の富士
地方部長・清功が参列し、お祓いを受けていた(写真下)
★八月四日 本山で中等部・高等部大会が開かれ、席上、日如は「中・高等部
だからこそ出来る折伏もある」と、暗に〝もっと同級生たちを折伏せよ〟と煽
っていた。
★八月二十八・二十九の両日 全国教師講習会に百人以上が欠席。宗門の凋落
を象徴する講習会だった。

平成二十六年
★一月二十日 宗務院が昨年の折伏目標を達成できなかった末寺住職を本山に
呼びつけて恫喝。
★三月三十日 法華講の春季総登山会の二日目、猛烈な〝春の嵐〟が直撃。
★四月六・七日 宗門の二大行事の一つ「虫払大法会」の初日、御開扉が始ま
る直前の正午過ぎから大石寺上空には真っ暗な雲が集まり、激しい雷鳴が轟き、
大粒のヒョウが降り始め、夜から明け方にかけて気温は氷点下近くまで下がり、
霜注意報が発令された。
★六月末 日顕の息子で布教部長の阿部信彰が脳梗塞で倒れた、
★七月二十六・二十七の両日 大石寺での第三回法華講中等部・高等部大会で
は四人の中・高生が体験を発表し、法華講幹部が挨拶したが、すべて「折伏」
の話ばかり。日如も中学・高校生に向かって、死身弘法の精神で折伏に励め、
身近な人を一人でも多く折伏せよ、と激しく煽っていた。
本来、中・高生は学業やスポーツに勤しむべき年代だが、登壇者からは一切そ
のような話はなかった。
★十月六日 関東地方を通過した台風18号の強風で、千葉県富津市の日蓮正
宗本乗寺の山門が倒壊。近隣住民は「ここは台風がよく通過する地域だが、こ
のようなものが倒れたという話は今まで聞いたことが無い」と語っていた。

平成二十七年
★四月十三日 三門改修と五重塔修復の着工法要。この日の気温は二月下旬並
みの七度で風雨も強く参列者は濡れて震えていた。
★五月二十八日 寺族同心会大会。今年も参加者が減少した。
★七月二十五・二十六の両日 第四回法華講中・高等部合宿。参加者は昨年よ
り約二割も減少。
★八月二十六日 大石寺での教師指導会でインチキ折伏が浮き彫りになった。
★十一月十日 日開の満山供養。日顕は父親の満山供養にも顔を出さなかった。
★十一月二十・二十一の両日 宗門の最重要の行事と言われる「御大会」。こ
れにも日顕は欠席した。
★十二月 折伏目標の達成支部(寺院)は全五九一支部中、四六八支部。達成
率は下降する一方で、平成二十五年は九十七・六%、二十六年は八十六・六%、
二十七年は七十九・二%。

平成二十八年
★一月四日 日如の登座十周年の祝賀会。隠居である日顕も客殿と蓮葉庵で二
度の目通りを行い、供養の〝二重取り〟をした。
★一月二十七日 第二回日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念局委員会で、新たな
記念事業の追加を決め、これまでの特別供養額四十億円に加えて三十億円を上
乗せして収奪することにした。
★三月十五日 布教区別の僧俗指導会が終了。登壇者は檄を飛ばしただけで参
加者の評判は最悪であった。
★三月 今年から青年部夏期講習会を廃止することになった。理由は「青年部
員が集まらないから」。
★四月一日 法華講連合会委員長の永井藤蔵が病気療養のため辞任し、後任の
委員長に星野浩一郎が就任。
★五月二十五日 正副支院長指導会で布教部長の阿部信彰が「いい加減な折伏
成果報告が多い」と数々の実例を挙げて釘を刺した。
★五月二十五・二十六の両日 寺族同心会大会。参加対象の千人超の坊主のう
ち参加したのは約四百人。
★八月二十三日 北海道留萌市の開道寺住職・西村正雅(四五歳)が大石寺で
の講習会に来ていて沼津市の路上で女性に乱暴しケガをさせ、強制猥褻(わい
せつ)致傷容疑で逮捕された。
★八月二十四日 全国教師講習会で日顕が自分の書いた『百六箇種脱対見拝述
記』なる本を教材に講義したが、その教材は誤りが多く、間違いを訂正した冊
子を参加者に配布。その冊子によると講義に用いた八ページ中、約二十箇所も
の訂正、削除、挿入が見られた。
★十月十九日 八月に沼津市内で強制猥褻(わいせつ)致傷容疑で逮捕された開
道寺(北海道留萌市)の西村正雅(四五歳)が、その後も民家に侵入して女性
の下着を盗んでいたとして起訴され、他にも別の女性に対する猥褻行為が発覚、
再逮捕された。
★十月二十日 法華講連合会の前委員長・永井藤蔵が病死(享年八四歳)。
★十二月 折伏目標を達成した支部(寺院)は国内全五九二支部中、三九四支
部(達成率六六・六%)。年々、下降の一途である。

平成二十九年
★一月五日 昨年の折伏目標を達成できなかった末寺住職百五十人余を大石寺
に招集して指導会。日如らが「昨年の敗北は住職の責任」「生活態度を改めよ」
等と激しく叱責した。
★三月十日 強制猥褻(わいせつ)致傷、強盗致傷、窃盗の罪で昨年、逮捕され
た北海道の開道寺の西村正雅(四五歳)の裁判員裁判の判決公判が静岡地裁沼
津支部で行われ、西村に懲役三年、保護観察付き執行猶予五年(求刑懲役五年
)が言い渡された。
★三月二十四日 日成寺(埼玉県朝霞市)の住職・安孫子信洋(四六歳)が首吊り
自殺。遺書には余りにも無謀な折伏ノルマに対する苦しい胸中が記されていた。
法主の日如は安孫子の葬儀の導師を断った。
★五月二十七日 富士宮の上野地域を探索する講座〔東西南北・歩こう上野〕
という企画で「双体道祖神」「精進川浅間神社」「川掛の山の神」「馬頭観音」
の像の石造物や神社などを巡拝(左の写真参照) 。その案内役を務めたのは大
石寺近郊の日蓮正宗寺院のY副講頭だった。
案内役のY副講頭は講座の受講者達に石造物や神社の由来、利益などについて
真剣に説明していた。
★六月六~八日 折伏成果が悪い末寺住職を大石寺に招集して折伏推進指導会。
日如が檄を飛ばし、住職を一人ずつ立たせて決意発表を強要していた。
★七月二十四日 宗務院財務部長・長倉日延(北海道・日正寺)が死亡した。
享年七十六歳
★十二月七日 東京・妙縁寺住職の光久日康が死亡した。享年九十歳だった。
以前、学会を破門したのが衰退の原因だ、等々と日顕の愚挙を批判していた。
★折伏目標達成支部(寺院)は国内全五九四支部中、僅か四二九支部だった。

平成三十年
★五月四日 黄金週間の期間中に折伏低迷の九十ケ寺の住職と法華講幹部を本
山に集めて折伏推進指導会。布教部長の阿部信彰や日如らが厳しく叱責した。
★六月十七・十八日 病死した東京・墨田区の妙縁寺住職で教学部副部長の宮
野審道の妻の通夜と葬儀で導師を務めたのは法主の日如だった。首吊り自殺し
た日成寺(埼玉県朝霞市)住職の安孫子信洋の葬儀では導師を拒絶した日如が、
住職の女房の葬儀で導師をしたのは異例。宮野審道は日如の説法の原稿を書い
ているためだと言われている。
★八月十二日 大石寺総代の井出光彦が静岡県富士宮市内の神社で行われた神
事に参加。「謗法容認」の体質が明らか。

★八月二十九・三十日
全国教師講習会に日顕をはじめ重役の藤本日潤、総監の八木日照ら役僧のトッ
プが軒並み欠席した。
★十二月 折伏目標を達成できなかったのは国内全五九五支部(寺)中、二六
七に及んだ。日如が平成二十一年に「法華講八十万人体勢構築」を打ち出して
以降の九年間で最低の結果。

平成三十一年
★一月八日 折伏が低迷している末寺住職が大石寺に集められた。午前の部で
は昨年まで三年以上、目標未達成の住職が約百十人、午後の部では一昨年と昨
年と続けて未達成だった住職、約八十人が集められて、厳しい叱責の後、布教
部長宛てに「決意文」を提出。だが、布教部長・阿部信彰はじめ壇上の役僧た
ちも軒並み、昨年は未達成の住職たちで、参加者は白けていた。

令和元年
★五月二十二・二十三の両日 寺族同心会。年々、参加者は減少の一途だが、
今年は「会場が半分も埋まっていなかった」と参加者が証言。
★八月十一日 大石寺総代・井出光彦氏が静岡県富士宮市の神社で行われた祭
事で司会を務めるなど主導的な立場で参加していた。
★九月二十日 前法主・阿部日顕が午前七時三十分、死亡した。九十六歳だっ
た。
信徒団体の名誉会長に嫉妬した日顕は学会を弾圧し、一方的に「破門」を通告。
その後の宗門は衰退の一途を辿り、信徒数は激減し、登山会参加者や末寺の御
講参加者も減り続け、信者勧誘は停滞している。
★十月十一日 阿部日顕(九月二十日に死亡)の本葬が大石寺で行われた。朝は
晴れていたが、法要が始まる頃には大石寺は黒雲に覆われ、正本堂を解体して
建てた奉安堂横の法要席で法主・日如の導師による読経が始まった途端、地面
を叩きつける大雨が降り始めた。
法要の後、降り止んだ雨は墓地での納骨の儀式が始まる頃、再び降り出した。
★十月二十日 岩手布教区支院長で盛岡市の感恩寺住職・小原玄道(七一歳)
が運転する車が対向車と衝突。車は大破、小原は重傷。小原の車がセンターラ
インを越えていた。
★十二月 今年の信者勧誘の結果は全国五九六支部(寺)中、目標を達成した
のは僅か二一四支部で過去最低の結果。日如が平成二十一年に言い出した「法
華講八十万人体勢構築」は夢物語に終わるに違いない。

令和二年
★一月二十七日 東京都足立区内の本修寺(住職・園田司道)に在勤する所化
(二二歳)が運転する乗用車が台東区内の交差点でタクシーと衝突。そのはず
みでタクシーは近くのコンビニに突っ込んだ。
★三月三十一日 梶原慈文、阿部信彰、漆畑行雄、水島公正の四人が能化(権
僧正)に昇級した。血脈が断絶した日蓮正宗では日如もニセ法主であり、能化
といっても何の価値もない。
*********************
以上、日蓮正宗の主な謗法行為と悪事の数々を列記したが、恒例行事になって
いる身延派寺院への参詣は数が多いので省略した。


 

フェイク 第1671号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 6月18日(木)21時34分56秒
  (発行=20.06.15)

信徒は激減、登山者も減少の一途
「C作戦」が裏目に出た日蓮正宗の凋落年表 ㊥
役僧らは贅沢三昧、平坊主は破廉恥行為

日蓮正宗の略年表を前号に続いて掲載する。

◇    ◇
平成十二年
★三月六日 山田容済がスペインで高級娼婦の金髪女性と密会し買春行為。
★三月二十一日 「シアトル事件」裁判で東京地裁が「事件は真実」と認定。
宗門側の完全敗訴の判決。
★五月三十日 宗門が深く関与した信平狂言訴訟で東京地裁が「訴権の濫用」
として却下。
★十二月五日 芸者写真の裁判で東京高裁が一審判決を取り消し、宗門側敗訴
の判決。
★十二月六日 身延僧の一行十七人が大石寺を訪問。

平成十三年
★一月二十三日 日顕を中心にした「C作戦」の謀議に参加していた関快道が
檀徒の反発でオーストリアから追放。
★五月十五日 阿部信彰、総講頭の柳沢喜惣次らが僧俗指導会のカマシ行脚の
最中に温泉三昧。
★九月三日 教師講習会で平坊主をカマした直後に、日顕一族が伊豆修善寺の
超高級温泉旅館で豪遊。
★九月二十七日 日顕の台湾親修を台風が直撃。現地マスコミが〝日本の花和
尚が豪勢な台湾旅行〟と報道。
★十月一日 宗門の謀略紙「慧妙」が「9・11」の同時多発テロは〝日蓮正
宗を迫害したことによる諸天の瞋り〟と大暴論。米国のマスコミから糾弾の嵐。

平成十四年
★一月二十四日 名古屋の妙道寺の寺院明け渡し裁判で宗門が最高裁で敗訴
★一月二十九日 岩手・常説寺の明け渡し裁判で宗門が最高裁で敗訴。
★一月三十一日 「シアトル事件」裁判、宗門側がすべての訴えを取り下げ、
和解(東京高裁)。学会側の全面勝利で決着。
★一月三十一日 日顕が突如〝三月二十八日にも立宗の意義がある〟と妄言。
★二月二十二日 神奈川の大経寺の明け渡し裁判で、宗門が最高裁で敗訴。こ
れにより日顕の「ニセ法主疑惑」が原因で宗門が最高裁で三敗となった。
★二月二十二日 「シアトル事件をめぐるデマ」で、東京地裁が宗門に四百万
円の賠償を命ずる判決。
★七月二十八日 阿部信彰が山崎正友と都内のホテルで相承問題について極秘
会談。
★八月二十八日 「シアトル事件」に関するデマ発言で水島公正(埼玉・能安
寺)に、さいたま地裁川越支部が賠償命ずる判決(控訴せず確定)
★十月三十一日 中国大支院長・青山聴瑩が八年間も女性従業員を陵辱してい
た事実が発覚。
★十一月二十六日 法華宗(本門流)の坊主二十人が黒装束で大石寺を見学。

平成十五年
★二月十二日 「シアトル事件」をめぐるデマで、高裁が日顕に対し、宗門と
連帯して四百万円の賠償を命ずる判決。
★四月八日 大石寺の遺骨不法投棄事件で東京高裁が大石寺を断罪。遺族に合
計二百万円の賠償金を支払うよう命令。
★七月十四日 日顕らがアメリカでのテロ犠牲者の追善法要と称してアメリカ
旅行。
★七月十五日 改革僧の池田託道住職の名誉毀損事件で最高裁が上告棄却。日
顕の敗訴が確定。
★八月末 新寺の法要を口実に日顕一族が豪華なパリ観光旅行。
★九月九日 「シアトル事件」をめぐるデマ裁判、最高裁が上告棄却。宗門と
日顕の敗訴が確定。
★十二月十九日 遺骨の大量不法投棄事件、最高裁が上告棄却。大石寺の敗訴
が決定。大石寺に二百万円の賠償命令が確定。

平成十六年
★二月二十四日 日顕の芸者写真裁判、最高裁が上告棄却。宗門側敗訴が確定
★三月二十七日 講頭会で新たな供養(護持供養)の収奪を決定。
★四月一日 「法主は、遷化又は自らの意思による以外はその地位を退くこと
はない」など宗規を大幅に改変。
★四月十三日 身延派の坊主が大石寺を訪問。
★四月二十九日 海外部主任の中本代道がシンガポールで女性檀徒と不倫密会。

平成十七年
★一月二十七日 日顕のインドネシア親修は大失敗。帰国した日顕は約一ヵ月
間、公式行事から姿を消して雲隠れ。
★三月二十九日 総監の藤本日潤が辞任、後任に早瀬日如。
★四月一日 法華講員が大石寺に直接供養する護持供養の受け付け開始。末寺
と法華講の負担が激増。
★五月下旬 旧大石寺出張所の世田谷豪邸を解体、日顕の隠居所として全面建
て替え(十一月に完成)
★十二月一日 早瀬日如が学頭に就任。
★十二月十二日 ニセ法主日顕から早瀬日如に相承の猿芝居。(日達法主の急
死で日顕への相承はなく、当然、その儀式もなかった)
★十二月十五日 早瀬日如を日顕宗管長に選出。

平成十八年
★一月一日 元朝勤行の参加者が減少、衰亡の一途をたどる宗門を象徴。
★三月 桜花爛漫の季節を前に「常灯(とこひ)ガ峰」の桜の伐採作業を強行。
★4月 早瀬日如の代替法要(六、七日)。慶祝登山(八~十四日)
★四月二十二日 日如の初の親修は静岡県・浜松の妙重寺。本山と同じ県内な
  のに前日から高級ホテルに宿泊し、豪華な料理で会食するなど贅沢三昧。
★四月下旬 御影堂の改修について、またも特別供養を通達。
★七月四日 ブラジルの「一乗寺乗っ取り事件」をめぐる裁判、サンパウロ州
高等裁判所が宗門側の控訴を棄却。SGI側の完全勝訴が確定。
★八月十二日 午後四時前、物凄い雷鳴が轟いた次の瞬間、奉安堂の東側に立
  っている杉の大木に落雷。杉の大木は中央付近から火を噴いて周辺には黒煙
が立ち込めた(写真左)。消防車が八台も緊急出動、消火活動は夕方まで続いた。
雷の直撃を受けた杉は「逆さ杉」「お華水の杉」と呼ばれ、近くには「お華水」
と呼ばれる岩の隙間から湧き出る清水があり、毎朝、この水を御影堂、客殿な
どに供えていた。正本堂の解体後は水が濁っていたということだ。

★十一月二十七日 支院長会で平成二十一年地涌倍増六十万(平成十四年に日
顕が打ち出した)の目標を、七万五千の結集と五十万の登山に大幅下方修正。
★十二月 平成二十一年までの三年間にわたり特別供養の徴収を開始(二十三
年にも第四回の追加徴収)

平成十九年
★一月三・四日 初登山の参加者が昨年より三千人も減少。
★五月十八日 早瀬日如が台湾へ。「花和尚の二代目」と酷評された。
★五月 日達法主の側近だった能化の光久日康(妙縁寺)が日顕の愚挙を批判。
①宗門の疲弊を招いたのは学会を破門したのが原因だ②宗門トップは学会に謝
罪し話し合うべきと発言。
★七月 大石寺で桜の木の切り倒しを続行。
★八月二十九日 日顕らに責められた光久日康が教師指導会で一連の発言につ
いて謝罪させられた。
★十二月二十四日 今年一年間の登山者は前年より六万人以上も減少。また、
  平成十年以降、登山者は毎年一万人ずつ減り続けて、九年前に比べると、約
十 万人も激減した。

平成二十年
★二月三日 京セラドーム大阪で西日本決起大会を開催。関西・中部・中国・
四国の十五布教区、二百五十支部を対象に三万五千人を結集目標にしていた
が、歴史的な大失敗。天候は雪・みぞれ、道路は各地で一 時通行止めになっ
た。
★二月二十四日 小倉北区の北九州メディアドームで九州決起大会。天候は大
  荒れで北九州、佐賀、大分には風雪注意報が発令され、大会の前夜から雪が
降り、地域によっては猛吹雪に。
★三月十二日 都心の一等地に日顕の女房・政子の二億円マンションが発覚。
★三月二十八日 「富士年表」改訂で学会による外護の歴史を改ざん。
★三月二十九日 大石寺で全国の講頭ら五百六十八人が出席した法華講の講頭
  会。席上、北海道夕張からの参加者が「供養したいのですが、もう、お金が
ないのです」と泣き崩れた。
★四月二十九日 北海道決起大会を札幌市内の真駒内セキスイハイムアイスア
  リーナで開催。大会の最中の午後二時二十六分、震度4(地域によっては震
度3)の地震が発生。日顕、日如らの来道を諸天が激怒したとの声も聞かれた。
前日、北海道入りした日顕と日如は一泊三十三万円のホテルの貴賓室に宿泊、
一人八万円の料理に舌鼓を打った。
★六月十五日 さいたまスーパーアリーナで東日本決起大会。前日は岩手・宮
  城内陸地震(マグニチュード6・3)で宮城県・一乗寺の三師搭が崩壊、栗
原市の妙教寺は母屋の屋根が崩落。各地の甚大な被害を配慮せず、大会を強行
し、被災地の人々からは大顰蹙。

平成二十一年
★六月三日 宗会議員の九人が日顕批判の「質問主意書」を提起。
★七月二十六日 「七万五千人総会」で日蓮大聖人御聖誕八百年までに法華講
八十万人体勢構築を発表。
★十二月十八日 正信会寺院が寺の看板などに「日蓮正宗」の名称を使用して
いることから宗門と正信会との「名称裁判」で宗門が地裁で敗訴。

平成二十二年
★三月二十七日 「特別供養」を延長するとの発表で講頭会が紛糾。
★五月二十六日 宗会議員選挙の結果が発表になり、日顕ファミリー二人が惨
敗。
★八月四日 正信会との「名称裁判」は高裁でも宗門が敗訴。
★十月二十七日 日顕が息子への法主継承を目論み、阿部信彰を常在寺の住職
にする情実人事を断行。

平成二十三年
★四月二十二日 震災被災地の福島で佐久間法敬が飲酒運転で事故。
★十一月十日 正信会との「名称裁判」で宗門の上告を棄却。ニセ相承が原因
で宗門の敗訴が確定。
★十二月 予定外の四回目の特別供養に法華講からも強い非難が渦巻く。

平成二十四年
★三月二十四・二十五の両日 法華講春季総登山会は三万人の結集目標に対し、
集まったのは約二万五千人で、またも目標割れとなる。
★八月二十九・三十の両日 本山での全国教師講習会に法主の日如が欠席。理
由は「顎関節症のため」で、アクビをした際に顎が外れたということだ。
★十二月十日 東京・本行寺住職の高野日海が死亡。高野は身延僧の一行が大
石寺を訪問した際、接待役として歓待した。
★十二月十六日 この日午後四時四十五分頃、高知県南国市の日蓮正宗の延寿
寺(住職・川口盟道)から出火、木造平屋の本堂と住居部分を合わせて約三百
平方メートルを全焼した。
約三時間後に鎮火したが、消防車十三台が出動して、現場は騒然となった。


 

フェイク 第1670号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 6月17日(水)13時29分57秒
  (発行=20.06.14)

綱紀自粛の徹底直後、日顕らは豪遊
「C作戦」が裏目に出た日蓮正宗の凋落年表 ㊤
信徒団体に嫉妬して破門し遊蕩三昧

日蓮正宗の公式サイトの「創価学会との関係について」の項で「学会関連年表」
を掲載している。その内容は「平成三年十一月、学会が宗門の教義・信条に従
わないから破門し、信徒組織を法華講に統一した」等と学会を悪だと決めつけ
て、広布破壊の謀略「C作戦」を正当化している。

だが、実際は正反対である。宗門が腐敗堕落、謗法に成り果て、相承を詐称し
た日顕は遊興に耽り、信徒を蔑視し、閉鎖的で時代に逆行するのみならず、三
宝を破壊したのである。
平成二年末に「C作戦」を強行した宗門は目論見が裏目に出て信徒が激減し、
凋落の坂を転落している。

一方、学会は興隆を続けて世界百九十二ヶ国・地域にまで拡大、その正邪は厳
然と証明された。ここでは日蓮正宗の三十年間の主な謗法行為と悪事を略年表
にして後世に残す次第である。
 ◇    ◇

  平成二年
★七月十六日 日顕(故人)、藤本日潤、早瀬義寛(今の日如)、秋元広学(今の
日高)、八木信瑩(今の日照)、河辺慈篤(故人)、関快道の七人が大石寺東京出
張所で学会破壊工作について謀議。(西片会議)
★七月十七日 宗務院との連絡会議で学会が僧侶の「綱紀自粛」を申し入れた。
★七月十八日 日顕らが大石寺大書院で学会破壊を謀議。これを日顕が「C作
戦」と命名。(御前会議)
★七月二十一日 日顕が秋谷会長の発言に「驕慢謗法だ!」と怒鳴り、名誉会
長に対して「懲罰にかけるから」と恫喝した。
★七月二十二日 日顕がファミリーで伊豆長岡の超高級温泉旅館で豪遊。
★八月二十九日 全国教師講習会の初日、「末寺(総本山の塔中及び各本山を
含む)僧侶・寺族の綱紀・自粛に関する規準」を徹底。この綱紀自粛の内容は
二十一項目に及んだ。
★八月三十日 二日間にわたる全国教師講習会を終えた夜、日顕は皆が解散し
たことを見届けると、綱紀自粛を無視、丑寅勤行もそっちのけで伊豆長岡の超
高級温泉旅館に出かけて豪遊。
★十一月二十一日 日顕らが伊豆長岡の超高級温泉旅館で豪遊。日顕は毎度、
一人一泊十五万円の部屋に宿泊、豪華な懐石料理を堪能していた。
★十二月十一・十二日 日顕らは伊豆長岡の高級温泉旅館で豪遊、名誉会長の
スピーチに難癖つける「お尋ね」文書について謀議。
★十二月十三日 宗門側が学会との連絡会議で「十一・十六スピーチ」に関す
る「お尋ね」文書を学会側に手渡そうとしたが、話し合いを求められて撤回。
★十二月十六日 宗門が学会との話し合いを拒否し、「『歓喜の歌』を歌うこ
とは外道礼讃」等々の「十一・十六スピーチ」についての愚劣な言いがかりを
並べた「お尋ね」文書を送付。
★十二月二十三日 学会が宗門側に話し合いを重ねて要求。
★十二月二十五日 日顕が大石寺内で段勲や高橋公純らと学会破壊について密
談。日顕は高橋、段に「名誉会長を切って学会員のうち二十万人が山に付けば
よい」と発言。
★十二月二十七日 宗門が臨時宗会で宗規を改変し、名誉会長の総講頭職、及
び他の大講頭職も罷免。宗門が学会破壊のための牙を剥いた。マスコミには「
宗規改正による資格喪失」と説明(この二年後、日顕は懲罰の意があったと明
言)。


  平成三年
★一月一日 学会が宗門に「お尋ね」文書の根拠となったテープ反訳の誤りを
指摘。
★一月二日 日顕が秋谷会長・森田理事長らの目通りを拒否。
★一月六日 日顕が全国教師指導会で過去の自分の発言を否定し、正本堂の意
義を歪曲して説法。
★一月十二日 宗門側が「お尋ね」文書の根拠であるテープ反訳の間違いを認
めて質問を撤回。総講頭罷免の根拠は瓦解した。
★二月二十六日 宗門が全国支院長会議で名誉会長への謝罪要求書を出すこと
を決定した。
★三月五日 宗門がSGIに一任してきた海外布教の方針を一方的に変更し、
海外での檀徒作りを画策。
★三月十二日 東京・目黒区内に日顕の二十億円の地下プール付き豪邸計画が
あることが露見。
★三月十六日 宗門が七月から月例登山を廃止し、添書登山にすると一方的に
学会に通知。
★六月五日 一般紙に登山会変更の広告を掲載。
★六月七日 宗門の月例登山の廃止により経営が行き詰まることを苦にしたバ
ス会社「大富士開発」の副社長が自殺。
★六月 「大日蓮」六月号に「猊下は現代における大聖人様」との妄説を掲載。
★七月二十一日 檀徒作りを公式方針として発表。
★七月三十一日 能化の返書で「日顕は大御本尊と不二の尊体」と暴論を記す。
★八月二十九日 日顕が教師指導会で脱会者作りを指示。「信心がいやになろ
うが、何しようが関係ないんだ」「頭から少しカマシてやればいいんだ、そん
な者は」などと暴言を吐く。
★九月二十七日 日顕の「禅寺墓」問題が露見 。平成元年七月十七日、日顕
が福島市内の曹洞宗白山寺に建てた阿部家の墓の法要を行った。墓石には「為
先祖代々菩提 建立之 日顕花押」と刻んである(写真)
★十月二十一日 宗門が学会に〝葬儀に僧侶を呼ばなければ地獄に堕ちる〟と
脅迫まがいの通告文を送付。
★十一月七日 宗門が学会へ「解散勧告書」送付。
★十一月二十八日 宗門が学会に対して「破門通告書」送付。
★十一月三十日 宗門が学会員への「御本尊下附停止」を発表。
★十二月二十七日  世界の千六百二十四万九千六百三十八人が署名した「退座
要求書」を学会が送付し、宗門は受け取りを拒否。

  平成四年
★二月二日 七人の僧侶が日顕に「諌暁の書」を送付して宗門から離脱(「改
革同盟」を結成)。その後、離脱する住職が続出。
★三月二十八日 宗門が東京都知事宛に学会の解散を求める通知書を提出、都
側は全く相手にせず。
★三月三十日 青年僧侶十人が日顕に「悪いのはお前だ」と面罵し離山。「青
年僧侶改革同盟」を結成。
★三月三十一日 青年僧侶改革同盟が、富士市内で午後三時から記者会見。真
の宗門改革を断固、進めていきたいと表明。
★六月十六日 僧侶有志が「憂宗護法同盟」を結成。
★六月十七日 日顕のシアトル買春事件が発覚。
★七月四日 宗門が名誉会長の「信徒除名」の処分。
★十一月十八日 日顕の東京・赤坂での「芸者写真」が露見。

  平成五年
★一月 日顕の指示で総坊前の桜など二百八十余本を切り倒す。
★六月二十日 重役だった早瀬日慈が死亡。翌二十一日に日顕が豊島区の法道
院に到着した途端、法道院上空から黒雲(写真)が沸き上がって大雨が降り出し、
強風が吹き、稲妻が走り、雹(ひょう)まで落ちてきた。
★九月一日 大石寺が遺骨を米袋に詰め込むなど大納骨堂の杜撰な管理の実態
が明らかになった。

   平成六年
★一月一日 「C作戦」の謀議の内容などを記した河辺慈篤のメモが流出。
★二月一日 「新六万塔」の建立を発表(約三千万円の建設費用に対し二十一
億円もの巨額の供養を収奪)
★二月十六日 日顕による東京都世田谷区内の豪邸計画が発覚。
★五月二十六日 寺族同心会で日顕が「僧侶が堕落したのは信徒が供養したか
らだ」と自らの堕落を認め、責任転嫁の妄言を吐く。
★七月十六日 宗門が平成新編御書を発刊したが、約九百ヶ所も間違う大失態。
★七月二十四日 六万登山を強行したが、目標の六万を大きく下回る。
★十一月五日 日蓮宗身延派の布教師会一行が大石寺参拝。宗門が歓迎。
★十二月十日 大石寺で藤本日潤と山崎正友が正信会との和解、学会攻撃など
に関して謀議。

   平成七年
★二月十三日 世田谷の豪邸の発覚に慌てた宗門が辻褄合わせのために「大石
寺の出張所を西片から世田谷に移転」と発表。
★五月四日 大本山・保田妙本寺が宗門から離脱。
★六月六日 池上本門寺の貫首ら一行が大石寺参詣。高野日海らが歓待した。
★八月二十三日 大客殿の解体を発表。
★九月二十九日 日顕がシアトルでは「飲酒のために外出した」と従来の主張
を全面的に変更。

   平成八年
★三月三十一日 法華講春季総登山を大雨・洪水・強風など七つの注意報が直
撃。
★六月四日 日顕、親教の前夜に鬼怒川温泉で豪遊
★十月十八日 日顕は体調の異変で、この日から連続して二十六日間も丑寅勤
行を休む。
★十一月十八日 宗門が文相に学会の解散を求める意見書を提出したが、全く
相手にされなかった。

   平成九年
★四月十八日 宗門の無任所教師七人が西山本門寺の虫払いに参詣。
★六月十八日 日顕による東京都渋谷区松濤の豪邸建設計画が発覚。
★九月十七日 身延派日蓮宗の僧侶約三十人が大石寺を参詣。
★十二月二十二日 「シアトル買春事件」の裁判で日顕が出廷(翌年二月二日、
五月十八日も)

   平成十年
 ★一月十九日 改革同盟の池田託道住職を誹謗中傷した日顕のデマ発言裁判
で、大津地裁が日顕に慰謝料三十万円の支払いを命令。
 ★二月二日 「シアトル事件」裁判で日顕が出廷、疑惑の手帳をめぐり苦し
い言い逃れに終始した。
 法廷で四苦八苦の日顕
************************
★三月二十六日 十万登山(~四月四日)が大失敗。終了後、日達前法主の説
法に違背して大御本尊を正本堂から奉安殿に密かに遷座。
 ★五月十八日 「シアトル事件」裁判で日顕が出廷。
 ★五月二十六日 日顕の〝一番弟子〟の坊主が女子中学生への淫行で逮捕。
 ★六月二十三日 日顕が正本堂の解体を強行。
 ★九月二十八日 日顕が約一ヶ月間の入院。

   平成十一年
★二月二十日 奉安堂の建設を口実に今後三年間、毎年五十億円、合計百五十
億円の大収奪計画を発表し、法華講に衝撃が走る。
★四月二十八日 岐阜・本玄寺講頭が詐欺で逮捕。
★七月七日 日顕の「大御本尊偽物発言」が河辺慈篤のメモにより発覚。
★九月二十四日 インドのデリー大学に宗門坊主が経歴を詐称しての不正入学
の画策が露見。
★十二月十九日 日顕が「私が、あの平成二年において、ある決断をしました」
等と自ら「C作戦」を首謀したことを暴露。(つづく)


 

フェイク 第1669号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 4月21日(火)13時01分9秒
  (発行=20.04.19)

日顕譲りの狂暴な信彰が能化に
四人の無能坊主が権僧正とは滑稽の極みだ
改革僧侶に破折された水島公正も昇級

日蓮正宗四人の無能坊主が権僧正とは滑稽の極みだでは、このほど四人の能
化(権僧正)昇級の人事を発表した。日蓮正宗の能化など社会的にも仏法上も何
の価値もないが、この四人とは梶原慈文、阿部信彰、漆畑行雄、水島公正で、
梶原は慧浄院日経、阿部は慧聰院日明、漆畑は慧澄院日実、水島は慧厚院日叡
と名乗るとのことである。

 四人とも「坊主の不信心」という言葉の通り、信仰心が欠落し、教学力もな
く、信徒を教導する能力もない。

 梶原は平成二十四年三月に千葉県の弾正寺から香川県の本門寺に異動したが、
翌二十五年から昨年までの七年間、一度も〝誓願〟を達成したことのない無能
坊主である。

 また、漆畑は海外部長の立場にありながら海外での布教を推進できないばか
りか、国内外で外国人に対するデタラメな勧誘を黙認し、幽霊講員を増殖させ
ている。

 特に、看過できないのは、日顕のバカ息子・信彰の昇級だ。日顕譲りの信彰
の暴力は所化に限らず、女房、改革同盟の僧侶、学会男子部員など手当たり次
第で、凶暴な信彰の正体を物語る事例を一つ紹介する。

 平成十一年十月三日、改革僧侶と男子部員四人が、信彰がいた東京・府中市
の大修寺を訪問。その目的は都内などでバラ撒かれた「大白法」号外(平成十
一年八月十日付)の「シアトル買春事件」に関するデマ記事について、日顕の
息子として事件の真相をよく知る信彰の真意を質すためであった。

 当初、同寺の受付で面会を求めた改革僧侶らに対し、二階の本堂から降りて
きた信彰は「おうM、何だ」と鷹揚に声をかけ、受付前で議論に応じながら法
要を終えて帰る法華講員を見送っていた。

 ところが、次の瞬間、信彰の態度が急変し、突如として激怒した。男子部員
に近づき、手にした中啓で何度も男子部員の手や頭を殴打。これが異常な暴行
劇の幕開けであった。

男子部員の髪の毛をつかんで引きずり回し、何発も拳骨で殴りつける非道ぶり。
 半狂乱の信彰に大勢の法華講員が「先生、止めて下さい」と制止したが、荒
れ狂った信彰は「暴力でも何でもいいんだ」と支離滅裂なことを叫びながら男
子部員たちを素手で殴り続けた。

 そこで改革僧侶が「おい、信彰、お前はニセ法主の息子だろ!」と一喝する
と、信彰は驚き、仰天した表情を見せた後、白目を剥き、改革僧に顔をこすり
つけてきた。まるでヤクザ映画の悪役を彷彿とさせる信彰の言動だったという。

不倫疑惑の教学部長

次に教学部長の水島公正(埼玉県・能安寺)も改革僧との法論に敗れた坊主だ。

 法論は能安寺の客間で行われ、改革僧が「血脈とは何か」と訊ねると、水島
は「分からない」の一点張り。「では、分からないものを信じているのか」と
盲信の愚を笑われ、水島は「如来秘密神通之力の秘法だ。それとは別の秘伝が
血脈だ」と勝手なことを言い出した。

だが「それでは四大秘法だ。日蓮正宗の根本義から外れている」と改革僧に破
折され、更に、女性講員との不倫疑惑まで追及された水島はシドロモドロだっ
た。

 こんな極悪・無能の坊主共が能化とは滑稽の極みだ。

 

フェイク 第1668号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 4月 7日(火)21時16分16秒
  (発行=20.04.05)

正統な法主が不在の日蓮正宗
「大白法」の怨念・憎悪の批判記事を破折
ニセ法主の模写本尊は悪鬼神の入った魔札

日蓮正宗法華講の機関紙「大白法」四月一日付の「異流義破折 学会員救済
のために――創価学会」欄では、創価新報の記事に難癖をつけ、相も変わらず
怨念・憎悪に満ちた学会批判を繰り返している。

その内容は御本尊の開眼が必要と述べて「法華を心得たる人」が御本尊の内
証を一身に所持する血脈付法の法主であることは「本因妙抄」の文が示す通り
と書いているが、笑止千万!

 また「開眼のない学会の『ニセ本尊』には、大聖人の御魂魄は住されない」
と誹謗し、更に第二代会長・戸田先生、第三代会長・池田先生の昔の指導を持
ち出して現在の路線と矛盾していると、鬼の首を取ったように非難している。

だが、この「大白法」の批判記事は日顕や日如が正統な血脈を相承した法主
であることが要件である。

受けてもいない血脈を受けたと詐称したニセ法主の日顕、血脈とは無縁の日
如の「内証」とか、或いは「本尊の開眼」を論じても何の意味もない。

昭和五十四年七月二十二日に日達法主が急死。日顕は「死人に口なし」をい
いことに緊急重役会議の席上で「今日まで、どなたにも秘してきたが、実は昨
年四月十五日、総本山大奥において猊下と、自分と、二人きりの場において、
猊下より自分に対し内々に、御相承の儀に関するお言葉があり、これについて
の甚深の御法門の御指南を賜ったことを御披露する」と虚言を弄して猊座を盗
み取った。

だが、日顕は昨年九月に死ぬまで、この相承を受けたことを証明できなかっ
たのである。

日達法主の急死によって、血脈は断絶し、日蓮正宗には正統な血脈相承の法
主は不在となり、ニセ法主の時代になったのだ。

このニセ法主が模写した本尊こそ「ニセ本尊」であり、「悪鬼神が入り込ん
だ魔札である」と言わざるを得ない。

学会は大聖人直結、御書根本で大功徳

「大白法」が取り上げている戸田先生、池田先生が昔、当時の法主を尊信する
ような指導をしたのは、宗門の法主が血脈相承を受けて正法を護持していると
いう大前提があったことを忘れてはならない。

戦後、学会は宗門外護の信徒団体として広宣流布に邁進し、世界広布の大飛
躍を成し遂げた。日昇・日淳・日達といった歴代法主も学会の弘教拡大を讃嘆
し、僧俗和合で前進してきた。

その僧俗和合路線を破壊して学会を破門した日顕、その跡を継いだ日如らを
学会が尊信する筈がない。今は極悪坊主の謗法を糾弾していくのが正しい信心
の在り方である。

 また「大白法」は学会が変わったかのように書いているが、学会の信心は昔
も今も変わっていない。日蓮大聖人直結、御書根本である。それによって学会
員は絶大な功徳を満喫している。

法華講のように登山だ、御講だ、特別供養だ、折伏目標の達成だ等々、坊主
が打ち出したノルマに苦しむことなく、学会員は歓喜に燃えて信仰に励んでい
る。

我が国に宗教法人は十八万もあるが、ノルマで信者を苦しめている最悪の邪
教は日蓮正宗と顕正会である。

 

フェイク 第1667号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 3月 9日(月)12時51分19秒
  (発行=20.03.07)

信徒を蔑視、供養だけは取る宗門
「坊主の不信心」そのもの、三宝破壊の日顕
権威づけのため難解な仏法用語を多用

日蓮正宗の謀略紙「慧妙」三月一日付で、かつて宗門がテープの反訳ミスを
認めた平成二年の「十一・十六スピーチ」を今頃、蒸し返して学会批判を繰り
返している。

その内容は池田名誉会長が宗門や法主を蔑視・軽視する発言をしたとか、学会
が宗教法人設立の際の「三カ条」の誓約に違背していると難癖をつけているが、
笑止千万! 紙面の都合上、簡潔に破折する。

 当時の法主・日顕は貪瞋癡の三毒強盛の魔僧で信徒を蔑視し、隷属を強いて、
学会の外護に対しても「信徒の分際で……」と寺院計画について信徒が干渉す
るのは越権行為だと発言した。

この宗門に三百五十六ケ寺を建立寄進した功労者は、日顕の言う〝信徒の分際
〟なのだが、これも越権行為だったのか?

信徒を侮辱しておきながら、供養だけは受け取る。それが宗門の強欲体質であ
り、今年の年末も特別供養として三十億円の収奪を目論んでいる。

 次に、日顕の説法については、学会員や法華講員から難解だとの苦情が多か
った。日蓮大聖人の仏法を金儲けの〝商品〟と考えている宗門は、仏法を難解
なものに仕立てる。

お会式の際、法主は寿量品の説法をするのが常だが、昨年九月に死去した日顕
は権威づけのために難しい仏法用語を多用して法主一人が仏法を極めているか
のように装っていた。

今の日如にしても同じである。これは大聖人の仏法を訓詁注釈の領域に封じ込
め、信徒の日常生活から隔絶したものにしているのだ。

これでは仏法は流布しないし、訓詁注釈や観念論では御本尊の仏力・法力を引
き出すことは出来ない。

大聖人は御書の随所で信力、行力の重要性を教えられている。

 ところが、宗門は訓詁注釈を偏重して、御本尊の仏力・法力を引き出す実践
の在り方を信徒に教えるどころか、坊主たちも実行しなかった。「坊主の不信
心」そのものだ。

それ故、日蓮正宗の信仰に功徳は無く、七百年間、弱小教団として埋もれ、室
町時代には大石寺を売却したような高僧が現れたのだ。

 次に「折伏した人は信徒として各寺院に所属させること」「当山の教義を守
ること」「三宝(仏・法・僧)を守ること」の三カ条について述べる。

学会員が折伏した際は例外なく、日蓮正宗の末寺で御授戒を受けさせ、その際、
新入信者を寺に付けるべく氏名、住所などを記入して提出していた。

それを整理して残すことなく、放置して破棄したのは寺側である。

信徒宅に足を運ぶこともなく、信心指導もせず、励ましの言葉もかけないで、
寺に来ない、信徒を寺に付けなかったと嘆くとは、聖職者らしからぬ懶惰懈怠
にして無責任の極みだ。

 二項目目の「本宗の教義を守る」を学会は真面目に遵守してきた。逆に宗門
は御書を軽視し、日顕の己義を大聖人の教えに背いて正当化しようとさえした。

三項目の「本宗の三宝を守る」ことだが、これまで再三、述べたように「法
主本仏論」「法主は本、大聖人は迹」「法主は大御本尊と不二の尊体」など前
代未聞の三宝を破壊したのは日顕らであり、学会ではない。

https://youtu.be/nInVBJ18F_0

 

フェイク 第1666号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 3月 2日(月)20時05分8秒
  (発行=20.02.29)

「血脈は断絶、法水寫甁は妄説」
大石寺・南之坊支部が配布するチラシを嗤う
邪宗邪義に洗脳された哀れな法華講員

日蓮正宗の宗務院が「新型コロナウイルス感染症への対応について」との院
達(二月二十日付)を出して、 布教区別僧俗指導会、 広布推進会、支部総登山
の中止を通達した。これにより、進んでいない勧誘が完全に停滞することは疑
いない。

そんな折、大石寺の南之坊支部では粗雑なチラシを富士宮市内で配布してい
る。

それは既に破折され尽くした内容の羅列で「学会員は洗脳されている」と見
当違いの批判を書いている。

チラシには御本尊の内証がどうとか、歴代法主による血脈、法水写瓶がこう
とか、戯言を述べているが、これこそ邪宗・邪義に洗脳された妄言である。

また、チラシには御本尊の認定にも触れているが、大石寺で御本尊を鑑定で
きたのは、昨年九月に死んだ日顕だけだったそうだ。

その日顕が大御本尊を筆跡鑑定して「偽物」と断定したことは河辺慈篤が書
き残していた。この件について宗門は納得できる釈明をしていない。

面白いことに、東京・八王子の平山廣篤(廣妙寺)が昭和六十一年六月十三日、
御講で日顕の不信謗法を暴露したことがあった。

「(日顕に)私が『信心してきて一番苦しんだことは何ですか?』と質問した。
すると『(日顕は)なかなか御本尊を信ずることができなかったことだ。今でも
本当に信ずることができないでいる』と仰せられた」

この平山の話を聞いた婦人は強い衝撃を受けて日記に書き留めていたのだ。

また、日顕は血脈相承について「切れたって別段いいんだとオレはそう思う」
とビールを飲みながら語ったことがあった。確かに、日顕の言うように、血脈
は断絶しているのだ。

特に、日顕は御本尊を全く信じていなかった。法務以外の勤行・唱題をしな
かったのも、海外初の御授戒でトイレに御本尊を置き忘れたのも、日顕の御本
尊書写に誤字・脱字が多かったのも全てそのためだ。

御本尊の内証とか血脈について論ずるならば、日顕の「偽物」発言、不信謗
法に関して弁解するのが先決である。

宗門の主張は屁理屈

また、学会が弘安二年の御本尊を受持の対象にしない、としたことに学会員
は疑問を感じないのかと書いているが、顕正会の愚かな遥拝勤行について、宗
門が非難しているのと同様、学会が仮に「大御本尊を受持の対象にする」と言
っても批判するに違いない。

事実、早瀬義寛(日如)は以前、学会の会則の「三大秘法の大御本尊を信受し」
について、御講で「学会が三大秘法の大御本尊を信受するなんて、破門された
学会には許されない。狂っている」と叫んでいた。

それが近年では「『弘安二年の御本尊は受持の対象にはいたしません』とは
暴挙であり、大聖人への反逆行為です」と相反することを述べるように変わっ
た。

「信受する」のは許されない、狂っていると批判し、他宗派の大謗法の大石
寺にあるから「受持しない」というと、反逆行為と言う。

弘安二年の御本尊を受持の対象にしなくても学会員は功徳を満喫している。

宗門の主張は感情的な屁理屈である。

https://youtu.be/nInVBJ18F_0

 

志賀男子部長の言いがかりを破す

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 2月28日(金)12時39分6秒
  「創価新報」掲載

https://www.youtube.com/watch?v=GnQMp94sm5Y

 

学園出身の利子さんが、北海道のテレビで活躍を報じられました

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 2月 9日(日)00時02分13秒
  はたちチャンネルの波田地克利氏の娘さんで、学園出身の利子さんが、北海道のテレビで活躍を報じられました。

素晴らしい活躍ですので、ご紹介させていただきます。

Yahoo!ニュース Twitter
https://twitter.com/YahooNewsTopics/status/1224242981030391808?s=06

Yahoo!ニュース Facebook
https://www.facebook.com/107852375952798/posts/3411981498873186/?sfnsn=mo&d=n&vh=e


記事(動画のテープ起こし)は、こちらのサイトで読めます。
https://blog.goo.ne.jp/goo112113/e/f260af21003f7ae3d6b0d8231c186813

※以下は上記文字起こしから抜粋です。

女性ホームレスを自立支援する

 そんな彼女を救ってくれたのが札幌の女性用シェルター「Asyl=あじーる」
でした。市の委託事業として、主に女性ホームレスの支援を行うあじーるは、
生活困窮者やDVなどを受けた女性を一時的に保護する、いわば「駆け込み寺」
です。

 滞在期間は原則3か月。家具や家電などを置いた部屋を借り上げ一室を提供。
生活保護の申請や就労など、自立まで全面的にサポートしています。

 事務局長の波田地利子さん(29)。経済格差が広がるなか、関わる人にも若
い人が増えているといいます。

 波田地さん:「私たちのところいらっしゃる方は近年、若い方が増えていて
親がいるけど頼れる状況じゃなかったりとか、働く年齢(稼働年齢)なんだけ
ど、いろんな事情で働ける状況じゃない方」


200世帯が支援受け“再出発“

 これまで200世帯以上がここで再出発を果たしました。前野さんもその1人で
す。波田地さんは、車上生活を続けてきた前野さんの様子を今も鮮明に覚えて
います。

 波田地さん:「その日の、ふっちゃん(前野さん)は結構、とにかくいっぱ
い喋ってくれるんだけど、正直、何言ってるかわからなかった」

 前野さん:「ほんとう?」

 波田地さん:「たぶん、いろんな話してくれているんだけど、なにか、たぶ
んすごい興奮してて」

 再びホームレス状態に戻ることがないように、波田地さんはシェルターを卒
業後のアフターフォローが最も重要だと考えています。
東京でホームレスだった女性 3年間の路上生活から北海道へ ようやく見つけ
た“居場所“ 【スマホニュースUHB】

「あじーる」でのクリスマス会。“卒業後“のフォローが大切だという。
大切なのは“卒業後“

 「メリークリスマス。かんぱーい」

 12月に開かれたあじーるのクリスマス会。卒業生たちの居場所づくりの一環
として、こうしたイベントが定期的に開催されます。

 あじーるの卒業生:「いろんな情報交換の場にもいいし、楽しい場として行
ってますね、私は」

 あじーるの卒業生:「(イベントは)あった方がいいなって思う。だいぶ救
われた人いっぱいいるんじゃない?だからこうやって集まれることは、やっぱ
りこれからも続けてほしい」

 札幌の女性専用シェルター「あじーる」の事務局長、波田地さんが関わるよ
うになったのは、24歳のころ。自分自身も、学生の時から生きづらさを感じて
いたといいます。

 波田地さん:「中学生くらいの時は学校行けていなくて、ずっと病気になっ
ていて、高校から行けるようになったけど、高校でもそんなにこう楽しく生き
ていたわけではないというか。少しでもちょっと自分たちが生きやすい場所、
ちょっとずつ広げらたらいいなって思いがずっとあって」
東京でホームレスだった女性 3年間の路上生活から北海道へ ようやく見つけ
た“居場所“ 【スマホニュースUHB】

21歳のとき、夜回りをする波田地さん(右から2番目、提供:北海道の労働と
福祉を考える会)
活動の原点はホームレスの“夜回り“

 活動の原点となったのが、大学生の時に参加したホームレス支援団体の“夜
回り“です。

 ホームレス支援団体、「北海道の労働と福祉を考える会」のメンバーと札幌
市内で路上生活をする人たちの数を把握しつつ、物資の提供をしたり、健康状
態を聞き取りました。東京都出身の波田地さんにとって、北海道の寒さの下で
路上生活をする人たちの姿は驚きだったといいます。

 波田地さん:「毎年1人とか2人とか冬に凍死してる。とにかくシンプルでた
だ路上にいる人に声をかけて、何か手伝えることがあれば手伝って」

 他人と関わることに難しさを感じている人たちの姿が、自分と重なって見え
ました。

 「労福会(北海道の労働と福祉を考える会)の人たちって、毎週こう夜回っ
て歩いてるでしょ?いろんな物資も提供してくれるから、そんな人たちってな
かなかいないから」


「俺は、史上最低の人間だから」

 波田地さんはシェルターの活動と並行して7年間、こうした夜回りも続けて
います。ここで出会った人をシェルターに受け入れたこともあります。

 路上生活10年の男性:「俺みたいな人間は史上最低の人間だから」

 波田地さん:「どういうこと」

 男性:「72億の人間がいるなかで史上最低。人に話さないだけで。最悪の人
間だから」

 波田地さん:「そか。でも、誰しもそういうのは抱えて生きてる」

 波田地さんは、相手の話を黙って聞いて受け止めます。

 「何もしないまま、ただ今ある状況をそのまま見過ごすことができるほど、
私は器用じゃなかったというか。うまくも生きられないし、適応することもで
きないし、だから(続けて)きたのかな」
東京でホームレスだった女性 3年間の路上生活から北海道へ ようやく見つけ
た“居場所“ 【スマホニュースUHB】

運営資金を募るため、カフェ店主に募金箱の設置をお願いする。
募金箱の設置をお願いして歩く

 施設の運営には難しさもあります。

 この日、波田地さんは札幌市内の喫茶店に向かいました。

 波田地さん:「すみません、これをよろしくお願いします」

 店の男性:「あ、わかりました」

 運営資金を募るため、募金箱の設置をお願いしました。卒業生とのつながり
として開いているクリスマス会などは、市からの予算には含まれないためです。

 2020年は市内に50個の設置を目指します。

 波田地さん:「(卒業生の)アフターフォローって、これって言ってみれば
全然役所から頼まれたことではない、ただ必要だと思うからやっていること」
東京でホームレスだった女性 3年間の路上生活から北海道へ ようやく見つけ
た“居場所“ 【スマホニュースUHB】

前野さんは、生活保護を受け、アクセサリーなどをつくる作業所で働いている。
「人生で初めて」楽しんだ食事

 ホームレスの生活をしていた前野さん、今は生活保護を受けながらアクセサ
リーなどを作る作業所で働いています。あじーるでの3か月をこう振り返りま
す。

 前野さん:「こんなに楽しんで(ごはんを)食べたのは、人生で初めて」

 人と一緒に過ごす安心感を教えてもらったといいます。そんな前野さんには
今、目標があります。

 「今は、やりたい仕事は虐待関係の仕事かホームレス団体の仕事なんで。こ
れはどっちかやりたい」

 松本麻郁記者:「それはあじーるの影響?」

 前野さん:「やっぱり波田地さんですよね。違う人生の人たちと話している
わけじゃないですか。そういうところでもかっこいいなって思いますよ」

あじーると関わって、孤独から救われた前野さん。将来は、虐待やホームレス
の人たちと関わる仕事につきたいと思っています。

UHB 北海道文化放送

以上です。

また、このニュースを見た人からの声も若干ご紹介させていただきます。

「波田地利子さんはこのなかで、『何もしないまま、ただ今ある状況をそのま
ま見過ごすことができるほど、私は器用じゃなかったというか。』と言われて
いましたが、この姿を創立者は喜ばれているだろうなぁと目頭が熱くなりまし
た」

「かつて組織で様々な『親と子』を見てきましたが、これこそ動かしがたい実
証ですね。素晴らしいです!」

「苦しんでいる人のためにーまさに学会精神ですね。池田先生が大阪西成の人
々を励まし続けた姿を彷彿とさせますね。学会も学園出身者がYahooニュース
にでました!と会合で紹介するくらいの度量があればまだ救いようがあります
ね。(笑)」

「師匠の精神の継承といいますが、『生き方』として自分の子どもに継承でき
ている人がどれほどいるか?娘さんのこの姿は波田地さんご夫妻の勝利だと思
います。」

青年に、青年たちに池田先生の行動と精神を継承したい。心ある先輩の真情で
あると思います。この波田地さんの活躍を自身に引き当てて大いなる糧にして
いきたいと思います。

以上

 

フェイク 第1665号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 2月 8日(土)23時57分13秒
  (発行=20.02.05)

大阪・聖教寺で“ワンコイン折伏”
法華講員が西成に出没し五百円で寺に勧誘
寺に連れ込み信仰の話はせず授戒

早瀬日如が打ち出した法華講員八十万人体勢構築という無謀なノルマに苦し
む日蓮正宗の末寺と法華講では「誓願」とか「御命題」達成のためと称してデ
タラメな勧誘を続けている。

例えば、街中で声を掛ける〝街頭折伏〟とか寺の前に立って通行人を誘い込
む〝呼び込み折伏〟などで、その非常識な勧誘は世間の顰蹙を買っている。

そして遂に、大阪市西区の聖教寺では五百円硬貨を餌にして寺に誘い込んで
授戒する奇怪な〝ワンコイン折伏〟が始まった。

世間一般の人の考えは、信者が宗教団体などに対して供養・寄付する。これ
が常識とされるが、日蓮正宗聖教寺では五百円を払って「入信」してもらって
いるというから驚きだ、
授戒した後は面倒を見る訳でもなく、放ったらかし。この変な勧誘の先頭に立
つのは平成二十九年に広島市の本浄寺から聖教寺に移ってきた月田諭道(下の
写真)という坊主である。

かつて、台湾の有力紙と言われている「聯合報」が、日顕達の芸者遊びと桜の
木の大量伐採という事実を取り上げて「日本花和尚」と大々的に報道した際、
台湾に赴任していた月田は日顕に取り入ろうとして虚偽を並べて反論したが、
空振りに終わった。

その後、台湾出張所で住職失格の烙印を押された月田は、大石寺の寮で〝部屋
住み〟の処分を受けていた。だから挽回を狙って妙な勧誘方法を考案したのだ
ろう。

ところで、聖教寺と言えば以前、長坂慈精が住職をしていた当時、〝デート折
伏〟や〝千円&弁当折伏〟ともいうべき手口で、西成あいりん地区などで貧困
に苦しむ人々の弱みに付け込んで「法を下げる」行為をしていた過去がある。

このうち〝デート折伏〟とは、女性講員三人があいりん地区近辺に出没し、野
宿している男達に甘い言葉で接近して車に乗せ、寺に連れ込む。そして信仰の
何たるかも分からない男達に坊主が授戒していたのだ。

この女性講員たちは御講や法話会など皆がいる時には動かず、寺に誰もいない
時を見計らって連れてくる。

こんな破廉恥な勧誘は、恥ずかしくて講員仲間にも見せられなかったのだろう。

新入信者を一人も見たことがないのに折伏成果だけが増える異常事態に講中で
も不信が広がり、この度と同様、本紙に通報してきた講員有志がいた。

この〝デート折伏〟に続いて聖教寺で実行していたのが千円札を渡して男達を
寺に誘い込み、信仰の話などは一切しないで、即座に授戒し、帰りにはスーパ
ーの安い弁当を買い与えて終わりにしていた。

最近では相次ぐ供養や強制的な登山、御講への参加で締め付けられ、法華講員
の懐具合はスッカラカン。そこで〝ワンコイン折伏〟になって千円から五百円
に値下げして弁当も提供しなくなったという。

いずれにしても、あいりん地区を舞台にして、貧困の弱みにつけ込んだ聖教寺
の講員の卑劣極まりない行為にマスコミも強い関心を示しているらしい。

 

フェイク 第1664号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 2月 7日(金)18時59分15秒
  (発行=20.02.03)

小笠原慈聞は晩年、戸田先生に敬服
初代会長を獄死させた狸坊主が暗躍 ㊦
悪侶を覚醒させた学会青年部の強折

 第二代会長の戸田先生は「一年間、待て」と伝えた八女の同志との約束通り、
昭和二十七年八月、八女の地を訪れた。十九日に大阪の空港で見送る池田室長
に何度も「大阪を頼む」と言い残して空路、福岡へ。直ちに八女郡福島町(現
在の八女市)の田中宅での座談会に出席し、夏季地方折伏で滞在中の柏原理事
ら幹部や九州の会員を激励した。

翌二十日には約三百人が集った八女公会堂での仏教大講演会で戸田先生は生命
論を中心に講演した。

終了後には三十七人が入会を決意したが、戸田先生は信仰を持続することの厳
しさを語り、「もう一度よく考えて決めなさい」と言って全員を帰された。

それでも最終的に二十七人が「信心をさせてほしい」と願い出たのだ。

今の日蓮正宗・法華講のような、いい加減な勧誘ではなく、学会への入会は昔
から厳格なのである。

戸田先生は「二百世帯になったら支部を結成してあげよう」と提案。翌二十八
年三月、八女の同志は戸田先生との約束を達成し、晴れて八女支部が誕生した。

 小笠原という狸坊主の策謀により多くの脱会者が出て、八女の同志にとって
は試練の一年間であったが、不死鳥の如く蘇り、大きく羽ばたくことになった。

 戸田先生の八女での講演より四か月前、宗旨建立七百年慶讃大法要が行われ
た昭和二十七年四月二十七日、学会青年部は小笠原慈聞に「日蓮大聖人様の清
浄なる法門を乱しました事は誠にもつて外道の極み」「深く御詫び申し上げる
と共に今後の言動を慎しみます」等と詫び状を書かせた。これが「狸祭事件」
と呼ばれるものである。

 その小笠原は晩年、戸田先生に敬愛の情を抱くようになったのである。

昭和三十年五月二十五日発行の「日蓮正宗入門」という冊子に小笠原は次のよ
うに記している。

「旭日昇天の勢を以て先づ東都の天地に雄飛し、その獅子奮迅力は忽ち東都の
宗教界を突破するに至りました。その信徒の強烈なる、その抱負の偉大なるた
め、永年沈衰してゐた本宗も俄に活気を帯び生き吹き還すに至り、今や全国で
正宗信者の無い土地は無く広宣流布の魁をなすに至つたことは、只管ら感激の
外はありません。自分は不徳にして一時調子に乗りその為に学会と争論の不幸
を醸した事のありました事は、誠に遺憾の至りでありましたが、翻然大悟逆即
順の筋目を辿り爾来我宗門の人とは宜しく学会精神を躰得し、それを基調とし
て進行せざるべからずと提唱するに至りました。かく言ひますと、之れは諛へ
る者と評せらるべきも、道理と実際の指す所でありますから仕方ありません」
(一部抜粋)

 小笠原は晩年、学会の折伏を称賛していた。その小笠原は昭和三十年十二
月三日、八十歳の生涯を閉じ、その葬儀に際して学会青年部は香典一万円を届
けた。

 小笠原の覚醒は、池田室長をはじめとする学会青年部の強折による結果で
ある。「慧妙」は、現在の学会は戸田先生の指導に背いて宗門を誹謗している
と的外れなことを書いているが、それは違う。「追撃の手を緩めるな」と、悩
乱坊主を徹底的に破折することは戸田先生の遺言なのである。


 

フェイク 第1663号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 2月 6日(木)19時02分47秒
  (発行=20.02.02)

信徒の苦闘の成果を蹂躙した魔僧
初代会長を獄死させた狸坊主が暗躍 ㊥
勤行と折伏を実践で教えた牧口先生

昭和二十六年夏、極悪坊主の小笠原慈聞が起こした九州の八女での宗門事件
は、戸田先生が同年五月、第二代会長に就任した直後の大量脱会であった。

 この事件の十年以上も前の昭和十四年の春、九州の一粒種となる八女の田中
国之さん夫妻を折伏するため、九州へ赴いたのは初代会長の牧口先生だった。

 当時、東京から福岡までは急行列車で約二十四時間を要した。この頃は、ま
だ関門トンネルは開通していなかった。九州に入るためには下関から船に乗り
換えて門司まで行き、そこで再び鉄道に乗り換えなければならなかった。

高齢の牧口先生の長旅を心配した戸田先生が「せめて二等車で……」と勧めた
が、「いや、これで良い」と急行列車の三等車に乗り込んでの長旅だった。

福岡県八女郡福島町(現在の八女市)の田中宅を訪問した牧口先生は田中夫妻と
火鉢を囲んで夜遅くまで対話。納得のいくまで丁寧に答えられる牧口先生。入
会を決めた国之さんは何度も頷く。夫人のシマ代さんも牧口先生の確信、毅然
とした態度、誠実な人柄に胸を打たれて入会を決意した。

この田中夫妻の入会が九州広布の歴史の第一歩となったのである。

牧口先生は田中夫妻に次のような確信を述べた。

「田中さんが御本尊様をいただくということは、仏法の原理に照らして、九州
の全民衆が不幸という悩みから救われることになるのです。『諸法実相抄』と
いう御書に『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人
と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし』とあります。今、田中さん
が九州で一人、この最高の御本尊に向かって南無妙法蓮華経と唱えるというこ
とは、地涌の義によって、九州にも必ず二人、三人、百人と御本尊を持つ人が
あらわれるということなのです」(「田中シマ代の回想録」より)

「難」の一文字を書き
不退の信心を訴える

勤行・折伏の実践を教え、その功徳で悩みは必ず解決するが、同時にまた、必
ず三障四魔が競い起こることを語り、不退の信心について指導した。

翌日、田中夫妻を伴い雲仙へ赴き、知り合いの宮崎旅館の夫婦を折伏し、田中
夫妻に折伏の仕方を実践で教えたのだった。

その道中で「あなたたちは、私が折伏するのをよく見ておきなさい」「折伏が
宗教の生命です。他人を利していく生活こそ大善といえるのです」(「田中シ
マ代の回想録」)と指導した。

 その後、牧口先生は昭和十五年十一月、再び九州指導に赴き、八女でも初め
て座談会が開かれた。この頃、八女の学会員は十世帯余りになっていた。

 牧口先生は御書講義を通して折伏の必要性などを強調。黒板に「難」の一文
字と、その横に「正法の証拠」と書いて、難を乗り越える信心などを分かり易
く教えられた。

 初代会長の苦闘の結果、築かれた八女の広布の陣列を小笠原慈聞という邪僧
が昭和二十六年、破壊したのだ。残った八女の同志に対して「一年間、待て」
と言われた戸田先生は翌年、八女に足を運んだ。(つづく)


 

フェイク 第1662号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 2月 5日(水)23時37分34秒
  (発行=20.02.01)

日蓮正宗は昔から信者泥棒だった
初代会長を獄死させた狸坊主が暗躍 ㊤
草創期に八女地方で騙され九割が脱会

日蓮正宗は法華講員八十万人体勢構築という無謀な目標が絶望視される今年
を「御命題達成の年」と銘打ち、坊主は折伏できないので、法華講員を勧誘に
狂奔させている。だが、成果が一向に伸びないため学会員を脱会させて取り込
もうと暗躍する動きが見られる。

こうした動きは今に始まったことではない。学会の草創期に九州の八女の地
で起こった宗門事件があった。この事件は今日の宗門事件と同様、広布の教訓
と言える。

戦時中、軍部の弾圧にも屈しなかった八女の会員達の殆んどが脱会した。これ
は見せかけの袈裟衣の権威に対する弱さと、それを見破る教学の必要性、そし
て一人を大切にする組織の重要性を教えてくれる。

この事件は学会創立六十五周年記念出版として発刊された「筑後の歴史と青年
部の使命」に詳しく記されている。今号では同書の該当箇所を要約して関連資
料と合わせて紹介し、今も昔も変わらない日蓮正宗の悪辣な体質を浮き彫りに
する。

◇    ◇
学会草創期に組織を攪乱し、会員を騙して脱会させたのは、戦前から軍部に
迎合して、結果的に学会弾圧と牧口初代会長の獄死の因を作り、狸坊主と呼ば
れていた小笠原慈聞である。

小笠原は福岡県久留米の霑妙寺を根城にして、昭和二十五年から二十六年にか
けて頻繁に八女地方に姿を現した。

戦時中の経緯など知らない八女の学会員に向かって小笠原は「私は本山から派
遣されてきた」とウソを言って学会員を集めさせた。

昭和二十六年八月、小笠原は霑妙寺で神本仏迹論を講演し、八女の学会員宅に
も来て同じ講演をした。そこには本山から僧侶が来たというので結集に力を注
ぎ、約百人が集まっていた。

疑うことを知らない純粋な八女の会員達は小笠原の話を素直に受け入れた。

小笠原は参加者に「さあ皆さん、寺につくのか、学会につくのか。どっちじゃ」
「寺につくのが本当の信心じゃ」とテーブルを叩いて脱会を迫ったのである。

軍部に迎合した小笠原

八女の会員達は小笠原が軍部に迎合して学会を苦しめたことなど知る由もなく、
宗門に悩乱した坊主がいるとは想像もしなかった。

小笠原の話を聞いて会員達の心は揺れ動いていた。

 この報を受けた戸田先生は柏原ヤス指導部長、辻武寿青年部長(当時)を派遣。
その指導会には約百人が詰めかけた。

柏原ヤス指導部長は神本仏迹論の誤りを詳しく説明して、日蓮大聖人の教えを
共々に実践していこうと気迫を込めて訴えたが、まるで手応えがない。

会場は静まりかえり、ヒソヒソ話が聞こえる。暗い顔の壮年が立ち上がった。
それに釣られるように二人、三人と会場を後にした。残ったのは僅か十一人。
実に約九割が脱会したのだ。

八女での事件の顛末を聞いた戸田先生は現地の学会員宛にペンを走らせた。
「辻、柏原両氏より報告を受け、悲しみの極地に居ます」という書き出しで始
まる手紙には烈々たる学会精神と強い決意が込められ、また、残された学会員
に対して「一年間、待て」との激励が届いた。(つづく)

 

フェイク 第1661号

 投稿者:宿坊  投稿日:2020年 1月 6日(月)23時46分47秒
  (発行=20.01.05)

元朝勤行、初登山の参加者が減少
「御命題達成の年」の日蓮正宗、年頭から失速
目標に届かない布教部長の常在寺

日蓮正宗は今年も初登山と末寺の元朝勤行の参加者が減少、「御命題達成の
年」は年頭から失速したことが法華講連合会の有力筋、及び宗門の複数の関係
者の情報によって明らかになった。

 早瀬日如が平成二十一年七月二十六日の総会の席で「平成三十三年、宗祖日
蓮大聖人御誕生八百年までには、御誕生八百年にちなんで、法華講員八十万人
の体勢を築き、大法広布に資していきたい」と無謀な目標を打ち出してから十
年が経過した。

 この間、法華講員は登山と御講への参加、特別供養に加えて勧誘のノルマに
追われるなど、間違った信仰の苦しみに耐えかねて日蓮正宗と決別した人も数
多く見受けられた。

 日如が発表した平成三十三年とは来年の令和三年に当たるが、八十万に近づ
くどころか、法華講の勢力は衰退の一途を辿っている。

末寺の元朝勤行と新年勤行会の参加者は、十五年前は約十万人だったが、年
々、減少の一途を辿り、今年は遂に、その半減に近い状態にまで落ち込んだと
いう。

日如や布教部長の阿部信彰らが口先だけで無謀な折伏の檄を飛ばし続ける限
り、いい加減な〝折伏詐欺〟が横行して幽霊講員が増えるだけである。

阿部信彰が住職をしている常在寺(東京・南池袋)の 昨年の折伏成果は、目
標の約七割しか出来なかったと、同寺支部の法華講員が教えてくれた。

 また、同寺の元朝勤行の参加者についても「少ないです。今年も百数十人で、
昨年と殆んど変わらず、増えなかった」ということだ。

 布教部長のいる常在寺が、こんな有り様だから他の寺は推して知るべし。活
動する講員は減り、宗内には疲弊ムードが蔓延している。

 日如は「大白法」の「新年の辞」で以前は〝全国的に折伏の気運が高まり〟
等と楽観的な事を述べていたが、今年は「如何なる障魔が行く手を阻もうが…
…」と短い「新年の辞」の中で繰り返し書いており、強い焦燥感が滲み出てい
る。

 一方、大石寺への初登山は、以前は一月三日と四日に実施してきたが、平成
二十六年からは本山への登山者を増やしたいとの魂胆から二日と三日に変更し
た。

その結果、かつては元日に引き続いて二日にも新年勤行会を実施してきた末
寺が全体の約半数近くあったが、初登山と重複するため二日には勤行会を開催
できなくなり、講員から供養を巻き上げる好機を失った末寺坊主が「御供養の
実入りが減った」と嘆いている。

この初登山の参加者も次第に減少しているのだ。

因みに、十年前の平成二十二年は二万二千三百九十人が初登山に参加してい
たが、翌二十三年は二万一千人に減り、二十四年は一万八千人、二十五年は一
万七千と徐々に減り続け、本山への登山者を増やす狙いで日程を変更した同二
十六年以降も横這いであった。

そして今年の初登山参加者は大幅に減り、惨憺たる状態だったということだ。

こんな悲惨な法華講に追い打ちをかけるように、宗門は年末の第三回特別供
養を強要している。

宗門の意向を受けて連合会委員長の星野が年頭の挨拶で「丹精込めた真心か
らの御供養を」と述べており、早々に脱講するのが賢明だ。


 

フェイク 第1660号

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年12月24日(火)12時49分58秒
  (発行=19.12.21)

遊蕩三昧の指摘を「法難」とは笑止
日顕の追悼文で役僧の学会批判を嗤う
僧侶主導ではなく信徒に依存する宗門

日蓮正宗の機関誌「大日蓮」十二月号は九月二十日に死去した日顕の「奉悼特
集号」で、葬儀の様子を詳細に記し、また重役、宗会議長、参議会議長、宗務
院の各部長、宗会議員や各布教区の宗務支院長の追憶文を掲載している。

 その追憶文のなかで性懲りもなく学会問題に触れている坊主が二十人ほどい
る。重役の藤本日潤、宗会議長の土居崎日裕、教学部長の水島公正、渉外部長
の梅屋誠岳らの批判は、いずれも幼稚な的外れの戯言だ。

日蓮正宗の坊主共は学会の悪口を言うのが広宣流布の活動だと錯覚しているの
だろう。

 特に槍玉に挙げたいのは福島布教区の宗務支院長・高木栄顕の駄文で、日顕
を称えたあと「創価学会問題等、筆舌に尽くし難い未曾有の法難の中、敢然、
邪義謗法を打ち砕かれつつ、祖道の恢復をもって、僧侶主導による広布前進の
方途をお示し遊ばされた」と述べている箇所だ。

 学会側が一貫して主張したのは、①開かれた宗門に②信徒蔑視を改めてほし
い③少欲知足の宗風の確立、という三項目であった。

この三項目の中の何処が「筆舌に尽くし難い未曾有の法難」なのか?

 日顕をはじめ堕落坊主が供養の金を湯水のように浪費して遊蕩三昧に耽って
いた事実を指摘されたのが余程、悔しかったのか?

 日顕が供養を取るだけ取ったうえで「信徒の分際」等と信徒を愚弄し、強欲
で、本仏気取りの傲慢な体質が根本原因なのである。

 また、高木栄顕は「僧侶主導による広布前進の方途をお示し遊ばされた」と
書いているが、今の法華講員八十万人体勢構築にしても僧侶主導ではない。

僧侶主導と言うからには坊主が自ら未入信の人々に向かって布教するのが本筋
であろう。

 ところが、坊主は法華講員を集めて檄を飛ばすだけで、講員に折伏させるの
が今の方法である。

夏期講習会にしても、大石寺での全国布教師による布教講演にしても、末寺で
の毎月の御講にしても坊主が信徒に「折伏せよ」と力説するだけではないか。

 坊主が率先して折伏してこそ「僧侶主導」と言えるが、現在の日蓮正宗には
世間に向かって法を説けるような布教師がいない。

僧侶主導ではなく、信徒に依存する日蓮正宗と言える。

 早瀬日如は十二月一日の広布唱題会で「折伏をしなければ、成仏はできない」
と訴えていた。日如ら日蓮正宗の坊主は折伏していないから成仏できないのだ。

台風が残した釣り雲

 なお、宗門は日顕の密葬の日に富士山に不思議な瑞雲が現れ〝諸天が顕した
荘厳な妙相〟等と自慢しているから滑稽だ。

密葬の日の九月二十四日の早朝、撮影された不気味な釣り雲(写真)は、台風
十七号が残した置き土産とのことで、瑞雲ではない。

 

フェイク 第1659号

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年12月 9日(月)13時09分11秒
  (発行=19.12.07)

日蓮正宗の誓願達成は絵空事
「八十万体勢構築」を焦る日如の悪足掻き
布教部長・阿部信彰の常在寺も約六割

日蓮正宗は明年の年間方針を「御命題達成の年」と決めて発表し、十二月に入
ってからは今年の未達成の末寺に対して毎日、成果を報告させているというが、
明年の〝命題達成〟は夢物語に終わる公算が大である。

早瀬日如が「平成三十三年(令和三年)迄に法華講八十万人体勢構築」という
無謀な目標を末寺坊主と法華講に押しつけたのは平成二十一年七月だった。

以来十年間、末寺坊主と法華講はノルマに苦しんできたが、成果は伸びず、明
年がその期限迄の最後の年になる。

焦っている日如は十一月三日の広布唱題会で江戸時代の米沢藩主・上杉鷹山の
「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」の
言葉を引いて「折伏をすれば必ず折伏できる」と力説。参加者の一人は「まる
で上杉鷹山が折伏せよ。折伏は必ずできる」と言っていたかのような語り口だ
ったと苦笑していた。

また、先月の大石寺でのお会式でも日如は「全支部が御宝前に誓った法華講員
八十万人体勢構築の誓願達成を目指し、異体同心して、いよいよ御精進くださ
るよう心から願い、本日の法話といたします」と信徒の勧誘を煽っていた。

日如は自分では折伏の経験がないため、大願寺時代には「お寺に連れて来るだ
けだから簡単だろう」と語っていたほど無知で、口を開けば「八十万達成」と
言う。

だが、毎年春の法華講総会に目標の三万人すら集められないばかりか、減少の
一途を辿っていて、末寺の御講の参加者も一向に増えていないのが現実である。

このことからも分かる通り、各支部とも折伏は行き詰まっているのである。

布教部長の阿部信彰のいる常在寺(都内の南池袋)は、九割くらいは達成してい
るのかと思っていたが、同寺の法華講員は困惑した表情で「目標の三九八に対
して十一月末現在で六割を少し超えたところです」と小声で語る。これでは今
年も目標達成は困難だろう。

それとも達成したように見せる帳尻合わせの秘策でもあるのだろうか?

信彰は父親の日顕が死亡したことで意気消沈しているようで、最近は元気がな
いということだ。

布教部長の信彰がこんな有り様だから、今年は折伏意欲のない坊主や戦線離脱
の坊主が目立っている。

最近でも十一月十一日付で法光寺(長崎県佐世保市)住職の桑原慧道が強制的に
隠居させられた。桑原は以前、折伏推進委員だったが、近年は折伏成果が低迷
していたので本山に再三、呼びつけられていて、遂に追放されたということだ。

更に、実妙寺(愛媛県四国中央市)の篠田法哲が病気のため同月十九日付で住職
をクビになった。まだ働き盛りの五十四歳だ。

折伏成果が悪い末寺坊主は本山に呼び出されて信者など大勢の面前で罵倒され、
揚げ句の果てに、追放されるし、病気になると住職をクビになる。衰退する日
蓮正宗の哀れな末路である。

 

フェイク 第1658号

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年11月25日(月)13時15分43秒
  (発行=19.11.22)

日蓮正宗の信仰は信徒から隔絶
要法寺から十七世日精が持ち込んだお会式
「色花厳禁」と言う宗門が桜の造花を飾る

 造像読誦論者の第十七世日精が京都・要法寺から持ち込んだ「お会式」を二
十・二十一日の両日、大石寺で行った。日如が二代目のニセ法主になって以降、
先日、死んだ日顕の頃と違うのは、雨が降らないことくらいだ。

 式の内容は十年一日の如くで「寒かっただけで歓喜も感動もなかった」と言
っていた法華講員がいる。

 こんな行事を毎年、繰り返していること自体、仏教の形骸化であり、参加者
は今年も減ったということだ。

日顕が嫉妬に狂って平成三年に「C作戦」を強行した翌年からは、お会式の時
は連続六年にわたって降りしきる冷雨が全山を襲い、特に、平成四年と八年に
は諸天善神の強い怒りを感じさせる豪雨のために「古式豊かな絵巻」と自慢し
ている「お練り」は中止せざるを得なかった。

 因みに、過去にお会式の「お練り」を中止したのは第六十世・日開の時の昭
和六年、それに第六十二世・日恭の昭和十四年に、それぞれ一度だけ前例があ
る。

 日開は日顕の戸籍上の父親(実父は高野日深との説が有力)で、御本尊を誤写
し、更に、日蓮大聖人の正墓は身延山にある旨の念書を当時の文部大臣に提出
した坊主である。

 また、日恭は学会に神札を受けるよう迫り、仏罰によって昭和二十年、大石
寺の大火に包まれて焼死した。

 この二人の法主は宗史に悪名を刻む極悪僧だが、六年連続して雨に見舞われ、
二度もお練りを中止した日顕は日開、日恭よりも悪辣な天魔坊主だという事実
を末永く記録に残しておく必要がある。

 日蓮大聖人の仏法を金儲けのための〝商品〟と考えている日蓮正宗は、仏法
を難解なものに仕立てる。

 「お会式」の際、日如は寿量品の説法をするのが常だが、権威づけのために
難解な仏法用語を多用して、法主一人だけが仏法を極めているかのように装う。

 だが、これは大聖人の仏法を〝訓詁注釈〟の領域に封じ込めて、信徒の日常
生活から隔絶したものにしているに他ならない。

 滑稽なのは、宗門では「色花は使わない」と言い、お通夜の場などに色花が
あると怒りだす坊主もいるが、お会式の会場には所化を総動員して造らせたピ
ンク色の桜の造花を飾っていることだ。

 これは大聖人のご入滅の時、桜花が咲いたという言い伝えに起因していると
いう。過日、日顕の葬儀の際も大石寺に桜が咲いたと喜ぶ法華講員もいたが、
信濃町の大誓堂の脇には毎年秋、桜が咲き誇っている。

 この桜の造花について面白い話がある。

 和田堅照という坊主が佐世保市内の法光寺にいた頃、法要の時に、ある婦人
が同寺のお会式でもらった造花の桜を仏壇の横に置いていた時のこと。この桜
を見た和田は「日蓮正宗では色花は使わないんだ」と激しい言葉で怒鳴りつけ
た。

 その婦人が「これはおたく(法光寺)のお会式でいただいた花ですが……」
と言うと、しばし絶句。そして和田は「一週間で燃やすんだ」と意味不明なこ
とを口走ったという。

 今のお会式の様式は冒頭で述べた通り、寛永九年(一六三二年)に謗法坊主
の日精が大石寺の法主になって京都・要法寺流の邪義を持ち込んだことに始ま
る。


 

フェイク 第1657号

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年11月10日(日)01時50分37秒
  (発行=19.11.07)

「師厳道尊なる戸田先生の精神」
「日顕を偲ぶ」八木と藤本の戯言に鉄槌
「坊主根性で心に垣根」と反省した阿部信雄

去る九月二十日に死亡した阿部日顕の密葬で葬儀委員長の八木日照が学会を
誹謗し、重役の藤本日潤は「大白法」十一月一日付の「日顕を偲ぶ」欄で学会
を批判している。

日顕は若僧の頃に学会の宗教法人化に反対、ニセ法主になってからは学会を
破門し、先師の偉業を破壊した上、世界広宣流布の道を閉ざそうとした極悪坊
主だが、その死後は学会も批判を控えているようだ。本紙も真実を述べている
だけで、非難はしていない。

反対に宗門は日顕の葬儀で、葬儀委員長や重役が揃って学会を口汚く罵ると
は、世間知らずで底意地の悪い日蓮正宗の悪僧らしい。

 このうち八木は「三宝破壊の大謗法」等と感情的に学会を非難していたが、
三宝破壊の大謗法は学会ではなく、日蓮正宗であることは既に本紙でも再三、
指摘した。そこで今号では八木の戯言は捨て置き、藤本の追悼文に鉄槌を加え
る。

 藤本は昭和二十四・二十五年の頃、学会の事務所が西神田にあった頃、在京
の在勤者数名が訪問して幹部と懇談した時に日顕も参加していたと述べたあと
「終わって外へ出たところ、路上にて日顕上人と戸田会長が五十センチくらい
の間隔で向かい合い、ジーっとにらみ合ったまま数分続いた後、別れて帰った、
ということがありました。

どのようなことからそんな状況になったのか判りませんが、学会がものすご
い勢いで折伏を始めた頃で、僧俗の筋目に関わる問題で意見が分かれたのかも
知れません。

しかし後日、このことについていくらでも伺う機会があったにもかかわらず、
ついぞ伺いもせずに終わってしまったことが悔やまれてなりません」等と追悼
には全く相応しくないことを書いている。

この藤本の駄文を打ち破る文を、日顕自身が以前、次のように書いていた。

「私の罪障と云はうか、(戸田)先生の云ういはゆる坊主根性の為か、昭和二
十四年頃の私は、自らの心にある垣根を作り、それが円融闊達にして師厳道尊
なる先生の精神に半ば通じない事があったのは、今更遺憾慙愧此の上もないの
である」(「大日蓮」昭和三十三年五月号)と書いている。

 日顕は「私の罪障」「遺憾慙愧此の上もない」と、円融闊達で師厳道尊なる
戸田先生の精神に通じなかったことを恥ずかしく思うと深く反省していた。こ
れが真相なのである。

こんな事実も知らない藤本は、学会のイメージダウンを狙って書いたのだろ
うが、藤本の腹黒い魂胆が窺える。

 日顕は戸田先生について、こうも明かしていた。

「仏勅を奉じて立ってる徹底した信力に、心中尊敬し感歎久しうした事は數ふ
るを知らない」「宗祖大聖人の教法に依て使命を自覚した人間が、現代社会に
どう振舞うかの人格性の基本を残された処に、不滅の功績があると思ふ」と。

昭和二十四・二十五年の頃といえば、後の日淳法主が常泉寺住職に赴任、日
顕は向かいの本行寺にいた。

日淳住職は戸田先生との親交も厚く学会員は皆、常泉寺に参詣し、本行寺に
は誰も寄りつかなかった。

だから日顕は坊主根性を剥き出しにしていたのではなかろうか。


 

フェイク 第1656号

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年10月28日(月)13時10分16秒
  (発行=19.10.26)

宗門も以前は「友人葬の本義」に賛同
「慧妙」の葬儀等に関する学会批判を破折
「大聖人の根本精神に通ずる」と宗務院

日蓮正宗の謀略紙「慧妙」十月十六日付の「日蓮正宗批判を破す」欄では「
化儀の大事を無視する学会」との見出しを付けて批判記事を掲載している。こ
の「慧妙」の記事は学会が〝僧侶による葬儀、法要、戒名、塔婆などの化儀は、
金儲けの道具であり、成仏とは関係ない〟としていることに対して「この宗門
の化儀に対する批判は、平成二年末の学会問題以降に、本格的に起こり始めた」
等と記している。

元々、学会員は僧抜きの葬儀をすることが多々あった。葬儀の際、居眠りし
て数珠を落とし、また読経を間違う坊主もいたからだ。

今から約五十年も前の昭和四十三年に学会と宗務院の間で塔婆、葬儀、シキ
ミなどについて協議。その際、葬儀には必ずしも僧を呼ぶ必要はないという「
友人葬」について宗門側は既に同意していたのである。

この点について当時の池田会長は同年十一月度本部幹部会で、こう明言した。
「御本尊に題目を朝晩あげて、事の一念三千の当体である我々です。死んでだ
れに御経を読んでもらう必要がありますか。我々こそ、葬式の最高の近代化を
うたえる人であり、合理化の先駆者なのです。だから、もし葬式の改革の話が
出たら、我々は賛成だ、先駆をいくのだ、といっていいのです」「葬式に必ず
しも御僧侶を呼ぶ必要はないのです」

このように「友人葬の本義」に宗務院が賛同し、本部幹部会で発表された。

塔婆に関しては「従来まで、人によっては五本も十本も供養してきたケース
がありました」として、その必要はないと述べて「こういう細かなことをいう
のは、大聖人の仏法が、末法万年にわたって、永遠に合理性、近代性であるか
らです」

更に「でないと、世間の人達が日蓮正宗創価学会を、葬式仏教と成り下がっ
た既成仏教と同一視してしまう可能性さえある。わざわざ世間の人の不信を買
い、法を下げる結果を招いてしまうのです」と強調した。

また「線香とロウソクの場合も、絶対に使わねばならぬという理由はありま
せん」と指導していた。

この他、池田先生はシキミや仏壇に対する基本的な考え方についても触れた
が、今号のテーマである葬儀とは直接、関係が無いので、これは別の機会に述
べることにする。

池田先生が強調した葬儀や塔婆の在り方については、宗務院も「大聖人の根
本精神につながった考えです」等と同意していたのである。

これらの事項は早瀬日如も当然、周知の筈である。

この指導がなされた昭和四十三年当時は最近のチョボチョボ登山とは違い、
学会員が毎日、奉安殿を一日に何度も埋め尽くすほどに登山していたので、宗
門は経済的に充分に潤い、葬式や塔婆供養などを当てにする必要は無かった。

しかし、学会と決別して僅か数万の法華講員が約千人もの坊主を養う現状で
は、窮迫の一途であり、供養が欲しいために葬儀では坊主の導師とか塔婆が不
可欠と泣き言を述べているのだ。

なお、戒名については、本紙で再三、取り上げてきたので今号では簡単に述
べると、日亨上人は〝臨終に当たりて俄かに法号(戒名)を乞うのは愚挙だ〟と
書き残されている。


 

フェイク 第1655号

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年10月22日(火)12時57分20秒
  (発行=19.10.12)

納骨の際、典礼院の上空に黒雲
最強の大型台風が接近中、日顕の本葬
一般車両も迂回させる異常な厳戒態勢

 先月二十日午前七時半、世田谷区内の大石寺出張所で死亡した日顕の本葬の
通夜が九・十日の両日午後七時から静岡県富士宮市上条の大石寺で行われた。

 続いて葬儀は最強の大型台風第十九号が接近するなか、十一日午前九時から、
同じく大石寺内で行われた。

 葬儀が始まった時は曇天であったが、やがて雨が降り始め、一時は叩きつけ
るような豪雨になった。下山して行く葬儀の参列者にも雨が強く降りかかって
いた。

 この日、大石寺墓地では、日顕の納骨のため異常なほどの厳重な警備体制が
敷かれていて、墓地の敷地前の道路は車両で通行することさえ許されない厳戒
態勢。警備役員十人以上で交通整理をして、全ての一般車両も止めて迂回させ
ていた。

 また墓地の入口付近には「車両の乗入れ、一般参詣ができません。 総本山 」
との看板を出していた。

 納骨の際、典礼院の上空には黒い雨雲が覆っていたという。日顕は生前、行
く先々で集中豪雨、暴風雨など悪天候に見舞われていたが、これは葬儀、納骨
の時まで変わらなかったのだ。

僧よりも在家の方が「信行学」ともに向上

日顕の謗法行為と大罪は数々あるか、特に許しがたいのは 平成三年に学会を
破門したことである。

この破門とは時代錯誤も甚だしい言葉だが、宗教的権威を振りかざして純真な
信徒を脅して、世間には学会が間違っているかのような印象を植え付けようと
狙ったのであろう。

 破門というからには日蓮大聖人の仏法に違背する明確な根拠がなければなら
ない。ところが、学会に対し平成三年十一月に送りつけた「破門通告書」には
大聖人の御書に照らして誤りを論ずるのではなく、単に相承を受けていないニ
セ法主の言うことを聞かないから不届き千万というような理由で破門したので
あり、前代未聞の愚挙であった。

 だが、学会は独立した宗教法人であり、邪宗門から破門されても何の痛痒も
感じないし、何の意味もない。

 日顕にしてみれば、自分の言いなりになって、ただ供養の金だけ出す信徒団
体が欲しいのであり、学会をそんな信徒の集まりにしたかったのだろう。

 それに反して学会は御書を発刊して二代会長・戸田先生、三代会長・池田先
生の指導のもと御書を地道に研鑽したばかりか、真面目に勤行・唱題を励行し、
真剣に折伏、弘教を実践して功徳を満喫し、大発展を遂げたのであった。

 こうして邪宗門の僧よりも在家の学会の方が「信行学」ともに上回るように
なった。ここに日顕の誤算があった。本来は信徒を教化するのが僧の役目だが、
それが出来なくなった。

 そのため、袈裟衣の権威を振りかざすだけで信徒を見下し、供養の金を湯水
のように浪費して遊戯雑談に耽るようになったのである。

 

フェイク 第1654号

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年 9月26日(木)13時02分59秒
  (発行=19.09.25)

哀れ、広布団体を破門した僧の末路
大石寺の客殿で阿部日顕の通夜と葬儀
「目はくぼみ、頬はこけ貧相な死相」と参列者

去る二十日に死んだ阿部日顕は、その日の夜十時半頃、本山の蓮葉庵に運ば
れた。翌二十一日の午前中、客殿の東側から西側に向かって祭壇が設けられ、
そこに日顕の遺体が蓮葉庵から移された。

 二十一日の午後四時から客殿で納棺の儀が行われた。

この納棺の儀は、早瀬日如の導師で塔中の住職夫妻だけが参加して行う予定
だったが、日如の配慮で折から寬師会に来ていた海外メンバーも加わった。

納棺の儀の参列者は誰もが日顕の死に顔を見られると思っていたが、その死
相が余りにも見苦しいためか、どうかは分からないが、見ることは許されなか
った。弔問に来た人が日顕の死に顔を見ることが出来たのは、死化粧を施した
後である。

〝雨日顕〟の異名を
彷彿とさせた通夜

日顕の「密葬」の通夜が二十二・二十三日の両日、いずれも午後七時から大
石寺の客殿で行われた。

初日の二十二日は午後六時半頃から、強くて冷たい雨が降り始めた。気温も
日中の三十度近くから急激に十九度にまで下がった。

通夜の間、雨脚は強弱を繰り返しながら降り続き、〝雨日顕〟の異名を彷彿
とさせた。

通夜の時は既に死化粧を終えていた。髭を剃り、薄化粧をして安らかな寝顔
に見えるように心掛けたのだろうが、それでも参列者の多くは、その死相に驚
きを禁じ得なかったという。
法華講員からは「色が白かった」という声も聞かれたが、それは死化粧を施し
ていたためだ。

死化粧の前は、顔色が真っ黒だったかどうかは不明だが、死相そのものは信
じ難いほど酷かった。それは「目は落ちくぼみ、頬はこけて、まるで骸骨が皮
を被っているようだった」「 かつての猊下の面影は全く無かった。やつれ果
て貧相な年寄りの顔だった」「えっ、これが御隠尊なのか? と信じられなか
った」等と複数の人が驚きの表情で語っていた通りだ。

供養の金を散財して豪遊に耽る一方、些細なことで激高して暴力を振るい、
宗内を恐怖に陥れていた法主時代とは別人のようだったということである。

 このようなことを書くと、「死者に鞭打つ」行為だと非難する無知な者がい
るかも知れないが、本紙は死者に罵声を浴びせているのではなく、名誉を棄損
するつもりも毛頭ない。

唯一の仏意仏勅の広宣流布の団体を解体して隷属させようと企てた破戒僧の
生前の言動を正当に評価し、その最期の、ありのままの姿を正確に記している
のであり、決して感情的な悪口ではない。

悲しみに包まれた
大石寺の客殿

葬儀は二十四日午前十時に始まった。この日の朝の天候は晴れだったが、葬
儀の時間が近づくにつれて雨雲が集まり始めたという。
葬儀は日如の導師で厳粛に進められた。「御隠尊猊下とのお別れに涙が出ま
した」と語り、嗚咽する人もいて、客殿は悲しみに包まれていた。
十二時四十分頃、最後の見送りをするため、多くの坊主や寺族などが整列し
て手を合わせるなかベンツの霊柩車が本山を出発した。

車列は先導車に続いて霊柩車、政子を乗せた車、坊主約百人が乗ったバス二
台、そして残りのバス一台に親族らが乗って火葬場へ向かった。

午後一時二十分頃、火葬開始。すると不思議なことに突然、火葬場の周辺一帯、
土砂降りの雨になった。

同二時半頃、焼きあがり、参列者が収骨室に集合した 頃には雨も降り止み、
曇り空に変わった。〝雨日顕〟の通力は死後も健在だったのである。

収骨室では参列者が大勢いたので、骨を拾えない人もいて、合掌して唱題し
ていた。

午後三時過ぎに日顕の遺骨が火葬場を出発し、同三時三十分頃、大石寺に到
着した。大石寺では火葬場には行かないで待機していた日如らが合掌して出迎
えた。

阿部日顕の略歴

大正十一年十二月十九日に東京市本所区向島小梅町で誕生。父は日開(四八歳
)、母は彦坂スマ(二四歳)

大正十二年一月十二日に母のスマが出生を届出(彦坂信夫)。日開は認知せず。

昭和三年六月二十三日に日開が彦坂信夫を認知。

同年八月二十八日に櫻井仁道を師僧として得度。道号は信雄。

昭和十八年四月十日、信雄が二十一歳の時に野坂政子との婚姻届を提出。

昭和二十二年五月十三日に本行寺の住職になる。

昭和三十六年九月一日、教学部長に任命される。

昭和三十八年三月二十日に〝シアトル事件〟を起こす。翌四月五日に平安寺の
住職として赴任。

昭和五十二年十一月二十二日に常泉寺住職になる。

昭和五十四年五月七日に総監になる。同年七月二二日、日達法主の死の直後、
相承を自己申告して法主になる。

平成三年十一月七日、学会に解散勧告書を送付、同月二十八日に破門通告書を
送付。

平成十七年十二月、早瀬日如に座を譲り隠居する。
…………………………

親の死に目に会え
なかった阿部信彰

日顕の息子・阿部信彰が日顕の死を知ったのは常在寺での朝の勤行の時だっ
た。

ある法華講員は「勤行の途中、異様な雰囲気になり、住職が急いで出かけた
ようだった」と語っていた。

思えば、日顕自身も父親の日開の死に目に会えなかった。

昭和十八年十一月二十一日に日開が死亡したが、その前日、信雄(日顕)は
幼な友達の久保川法章(後の「正信会」議長)と一緒に浅草での出征送別会に
参加。送別会の後、信雄は「俺は寄る所があるから」と告げて久保川と別れた。

久保川が深夜十二時すぎ、寄宿していた江東区の砂町教会(後の白蓮院)に
帰った際、留守居の女が「日開元法主が危篤という連絡があった」と告げた。

 久保川は信雄に知らせようと思ったが、吉原遊郭で遊んでいる信雄を探すこ
とは不可能だった。久保川は一人、大急ぎで蓮葉庵に駆けつけると、日開は既
に死亡していた。

遊郭に泊まっていた信雄は、親の死に目に会えなかったのである。

 

フェイク 第1653号

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年 9月22日(日)13時19分8秒
  (発行=19.09.21)

日顕に広布破壊など「十の大罪」
大謗法、悪逆・非道、暴言を後世にとどむ
大聖人否定、功労者に嫉妬、信徒蔑視

日蓮正宗を「日顕宗」に変質させた大謗法の阿部日顕が二十日午前七時三十
分、東京都世田谷区中町の「大石寺出張所」と称する豪邸で死亡した。享年九
十六歳。

この日午後二時に早瀬日如が来て枕経。日顕の遺体は夜、大石寺に搬送され
た。折から富士宮地域には雨が降り始め、招集された坊主達が出迎える中、夜
の十時半頃、蓮葉庵に到着した。

 生前、日顕の行く先々では集中豪雨、暴風雨など悪天候に見舞われたが、こ
れは死後も変わらなかった。

 関係者のみの「密葬」の通夜が二十二日と二十三日、いずれも午後七時から、
葬儀は二十四日午前十時から、また「本葬」の通夜が十月九日と十日の午後七
時から、葬儀は十一日午前九時から、それぞれ静岡県富士宮市上条の大石寺内
で行うとのことである。

 死者に鞭打つ訳ではないが、後世のために、日顕の大謗法、悪逆・非道、暴
言について簡潔に総括する。

これまで本紙で再三、取り上げてきたが、日顕には「十の大罪」がある。
① 大聖人否定・仏法破壊の大罪
② 破和合僧の大罪
③ 広布破壊の大罪
④ 驕慢・嫉妬の狂乱の大罪
⑤ 民衆蔑視・信徒脅迫の大罪
⑥ 謗法容認・身延迎合の大罪
⑦ 腐敗堕落・遊戯雑談の大罪
⑧ 二枚舌・大妄語の大罪
⑨ 文化破壊・暴力主義の大罪
⑩ 供養泥棒・宗門私物化の大罪
 以上の十項目である。

まず「法主を御本尊と一体不二である」とか、信仰の根本とすると主張して
いたが、それは日顕を御本仏・日蓮大聖人に並ぶ立場に置く「法主本仏論」と
もいうべき邪義である。のみならず、法主が「本」で、御本仏の日蓮大聖人が
「迹」という日顕を大聖人の上に置く「顕本仏迹論」ともいうべき妄論を横行
させていた。

第二に「破和合僧の大罪」で、日顕は学会に対し平成三年十一月に「解散勧
告書」、次いで「破門通告書」を送付、更に、同九年十一月に「信徒除名処分」
なる恫喝をもって、破和合僧の檀徒作りに狂奔させるようになった。

第三は「広布破壊の大罪」で、日顕は学会の破壊、信者の隷属を目論んで「
C作戦」を強行し、本尊下付の停止や添書登山による事実上の登山拒否の暴挙
を断行した。

第四は「驕慢・嫉妬の狂乱」で、日顕は宗門外護と広宣流布の大功労者であ
る池田先生に対し、平成二年七月二十一日、本山・対面所で「懲罰にかけるか
ら」等と激高して大声で怒鳴った。

また平成十年五月、八百万信徒の信心の結晶ともいうべき正本堂を破壊した。

第五は「民衆蔑視・信徒脅迫の大罪」で、日顕は「僧が上、俗が下」という
僧俗差別で信徒の人権を抑圧した。

学会の外護に対し、日顕は、こんな暴言を吐いたことがある。「日蓮正宗の
寺院計画について、信徒の分際で干渉し、反対するのは、宗団の組織の上から
も、信仰の上からも筋が通らず、越権の行為」(「大日蓮」平成八年六月号)


宗門に三百五十六ケ寺もの末寺を建立寄進したのは、日顕の言う〝信徒の分
際〟である。寺院の建立寄進は「越権の行為」なのか?

思えば、学会は宗門に、どれだけ供養してきたことか。戦後は農地解放によ
り、大石寺の土地は約五万坪であった。それが戸田先生の尽力によって約十七
万坪になり、池田先生の時代には百十七万坪へと拡大した。 だが、日顕には
感謝の気持ちなど微塵もなかった。

 法華講員に対しても冷淡だった。平成六年五月、丑寅勤行の終了後、日顕が
法華講員に次のような暴言を浴びせた。「あの後ろの方、椅子に座っている人
は広宣流布を御祈念する丑寅勤行が乱れるので、椅子に掛けなければならない
人は明日からは遠慮するように」と。日顕の怖い顔と強い口調に皆、呆然とな
ったという。

 「十の大罪」の第六は「謗法容認・身延迎合の大罪」である。日顕は宗開両
祖の根本精神である謗法厳誡に背いて禅寺に自らの先祖の墓を建立。また、身
延派と交流を深め、坊主が法華講員を連れての身延派寺院巡りは枚挙に暇がな
い。

身延僧も大石寺に歓待されて参拝。その一端が身延派の第一部布教師会発行
「布教師會報」第二〇号(平成七年三月三十一日付)に記録されているが、長く
なるので今号では詳述しない。

第七は「腐敗堕落・遊戯雑談の大罪」である。日顕は初の海外出張御授戒で、
破廉恥な〝シアトル事件〟を起こしたのをはじめ温泉豪遊など少欲知足の遺誡
に違背して遊蕩に耽り、腐敗堕落の元凶となった。

第八は「二枚舌・大妄語の大罪」である。〝シアトル事件〟でも日顕は「ホ
テルから一歩も出なかった」と言ったり「酒を飲みに出た」と言ったり、二枚
舌だ。

平成十年二月、シアトル裁判に出廷した際の証言は面白い。日顕が昼に御授
戒を終え、夜、外出して酒を飲みに行ったのは何時頃か、との弁護士の質問に
「七時か八時頃」と深夜ではなかったと発言。弁護士が念を押したあと「阿部
さん、その日は夜七時にも御授戒があったんですよ」と質すと、日顕は慌てて
「あーそうでした」とウソを認めた。

また、手帳には所持品が列記されており、その中に「ウイスキー」と記され
ていた。それなのに何故、外出して酒を飲みに行ったのかと問われると「ウイ
スキーとは書いたが、大事な行事なのでウイスキーを持っていくのはマズイと
思って、持っていかなかった」と発言した。大事な出張御授戒に酒を飲むのは
不謹慎と言いながら、酒を飲みにホテルを抜け出したと矛盾したことを言う。

「極度の緊張と疲労、英語が話せない上、寒いシアトルの町に夜、外出した
のは何故か?」との弁護士の問いに、日顕は「一杯やりたかったもんで」と吐
露。法廷は爆笑に包まれた。
日顕の「十の大罪」の九番目は「文化破壊・暴力主義の大罪」である。日顕は
ベートーヴェンの「第九」はキリスト教を容認するもので〝外道礼賛〟だと批
判。

また、平成元年十月号の大白蓮華の裏表紙にガーター勲章の写真が掲載され
たことについて、宗門教学部長は十字章があるから「これは十字架であり、キ
リスト教の本尊というべきものだ」と難癖をつけた。

十字の形をしているから、直ちにキリスト教と同一視するのは無認識も甚だ
しい。
宗教的意味は全くなく、同勲章は英国王室の伝統と格武を象徴するもので、
信仰の対象でないことは言うまでもない。

更に、マザー・テレサは貧しい人、病める人、孤児や末期の人たちのために
長年にわたって献身的な奉仕活動を続け、世界中の人々から賞賛と敬意を集め
て、ノーベル平和賞を受賞したが、アルゼンチンで日顕宗の坊主が〝マザー・
テレサは悪魔〟等と発言して追放されたこともある。

身延派とは交流する一方、感情的にキリスト教の悪口を言うのが謗法厳誡だ
と勘違いしていたようだ。

また、本山では平坊主や小僧に対する体罰など日顕の暴力行為は多すぎて数
えきれない程だった。

第十は「供養泥棒・宗門私物化の大罪」である。日顕は信徒から御本尊への
供養を横取りして遊興に浪費。死に場所となった世田谷区の「大石寺出張所」
も私物化していたのである。

また、平成六年には三千万円程度の「六万塔」建設を口実に二十一億円を集
め、大石寺で塔婆の申し込みを受け付け、十万本分の供養の約十億円を受け取
っておきながら「大きいのを一本だけ立てて、後はご破算にしろ」と指示。詐
欺と同様、供養を横領したのである。

 

フェイク 第1652号

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年 9月20日(金)18時51分25秒
  (発行=19.09.20)

相承詐称の日顕が死亡!
ウソと陰謀で猊座を盗み取ったニセ法主
学会を破門、先師の偉業を破壊した極悪僧

  極悪坊主の阿部日顕が二十日未明、都内で死んだ。

享年九十六歳。日顕は昭和五十四年七月二十二日、大石寺第六十六世・日達
法主が逝去した直後、緊急重役会議の席で「猊下と自分と、二人きりの場にお
いて、猊下より自分に対し内々に、御相承の儀に関するお言葉があり、これに
ついての甚深の御法門の御指南を賜ったことを御披露する」と自己申告。前年
の昭和五十三年四月十五日に血脈相承を受けていたと主張して、正式な相承の
儀式も経ずに、法主の座に就いた。

だが、この日顕の相承には「証拠」などは何一つなく「証人」もいなかった。
まさにウソと陰謀で猊座を盗み取ったニセ法主が日顕(写真)なのである。

この日顕の血脈相承に正信会が異を唱え、地位不存在確認の訴訟と職務執行
停止仮処分の申請を裁判所に提出した。その際も日顕側は「昭和五十三年四月
十五日の何時から」「大奥のどの部屋で」「どのように相承されたのか」とい
う、ごく素朴な疑問に対しても、満足な答弁をすることができなかった。

この血脈相承疑惑を、遂に払拭することが出来ないまま死んだのである。

日顕は平成二年になると、相承なき「偽法主」であることを自ら証明するか
のように異常極まる狂態、謗法行為を露骨に晒すようになった。

 同年七月には大石寺東京出張所でC作戦の謀議(西片会議)、大石寺大書院
でC作戦の謀議(御前会議)を重ね、十二月二十七日には臨時宗会で宗規改変
し、名誉会長の総講頭職を罷免した。

 同三年十一月七日に学会に対して「解散勧告書」を送付し、次いで二十八日
には学会に「破門通告書」を送付した。

 また、日顕は先師・日達法主の事跡を悉く大石寺から葬り去った。

特に、日達法主が「もとより正本堂は、本門戒壇の大御本尊安置の霊堂にし
て、梵天帝釈等も来下してふみ給うべき戒壇也」(昭和四十四年十月十二日、
正本堂定礎式「表白文」)と定められた正本堂を解体した暴挙は「先師違背」
「先師否定」の極みで「本門戒壇」破壊の大謗法であり、堕地獄は間違いない
というのが大方の見方である。

 同十一年七月には「河辺メモ」が流出して、日顕の「大御本尊偽物」発言が
露見した。また、〝法主に伝わる血脈相承が根本で信心の血脈は枝葉にすぎな
い〟〝法体の血脈が根本で、そこから離れて信心の血脈はない〟〝相承を受け
た以上は生身の釈迦日蓮〟など法義をねじ曲げ、歪んだ血脈観で法主の絶対化
を図り、間違った「法主本仏論」を宗内に徹底してきた。

 平成十七年十二月、日顕は腰痛などの悪化により、早瀬日如に「ニセ法主」
の座を譲って隠居し、院政を目論み、早瀬を監視し続けていた。
 だが、病と寄る年波には勝てず、最近は大石寺に登山することもできないほ
ど衰弱していたのである。


 

フェイク 第1651号

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年 8月 5日(月)18時26分41秒
  (発行=2019.08.03)

折伏は低迷、日如の檄にも鈍い反応
悪天候の中、大石寺で中等・高等部の登山
子ども達まで布教活動に駆り出す邪宗門

 日蓮正宗法華講が第八回中等部・高等部の合宿登山を七月二十七・二十八日
の両日、富士宮市内の大石寺で悪天候の中、強行した。

初日の富士宮全域は台風の影響もあって、大雨警報、雷・強風注意報が発令
され、傘も役に立たない程の大雨が降り、土砂災害警戒レベルが3相当になり、
時には曇りで濃霧が立ちこめる異様な雰囲気になっていた。

 こんな最悪の天候だったが、非常識にも中学生と高校生を合わせて約八百人
を登山させた。

 この合宿登山の狙いは、二年後に迫った「法華講員八十万人体勢構築」とい
う目標の達成が不可能になっているため、悪足掻きする邪宗門が、子ども達ま
で駆り出して勧誘させようとしているのである。

事実、これまでの中等・高等部の合宿では、代表の子どもに折伏の体験発表
をさせ、法華講幹部だけではなく日如自身が中・高等部員に対して布教するよ
うに煽り、檄を飛ばしていた。

中学・高校生は本来、勉学に励み、クラブ活動などで心身を鍛錬する年代で
ある。それを大石寺に集めて布教の一翼を担わせるとは、浅井昭衛に洗脳され
て勧誘に狂奔する顕正会と同様の悪質な邪教団である。

 初日の中等部の一時限目は「勤行・唱題で新しい自分を築こう」、二時限目
は「正しい行動で幸せな人生を」、また、高等部は一時限目が「信心を基本に
日々歩もう」、二時限目は「日蓮大聖人様の御法難―四箇度の大難について―」
と題して、それぞれ担当の坊主が講義した。

 二日目の中等部・高等部の大会では布教部長の阿部信彰、法主の早瀬日如ら
が登壇した。

「大白法」八月一日付は日如らの話の内容を掲載していないが、参加した高
校生によると、折伏に関する話があったという。

  中学生、高校生を登山させ、邪義で洗脳して布教を煽るのは子ども達の将来
のためにも弊害があると断言するものである。

  一方、今年の夏期講習会は五月十八・十九日から六月二十九・三十日までの
間、五期にわたって続けていたが、ここでも折伏を強要。特に、日如は「勇気
を持って一歩も退くことなく、勇猛果敢に破邪顕正の折伏を進めていくことが、
最も大事なのであります」等と力説していたが、参加者の反応は鈍かった。更
に「妙法のためには、親も妻子も、そして所領も、その他、何ものも惜しんで
はならない。ゆめゆめ、それらのものに心を引かれて、臆病、未練な振る舞い
があってはならない」と訴えていた。

  妻子や所領を顧みるなと言うが、日如自身は息子の早瀬道寧を横浜市の応顕
寺住職に栄転させ、また豪邸に住んでいる日顕は、息子の信彰を常在寺に入れ
るなど身内を優遇している。

  そのうえ、日如も日顕も折伏はしていない。口先だけの堕落坊主と言えよう

 

フェイク 第1650号

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年 8月 2日(金)11時48分6秒
  (発行=19.07.29)

「血脈相承は信心の血脈が基」
ご都合主義の日蓮正宗の歪んだ血脈観
日顕の説法も以前は正論、悩乱後は邪義

日蓮正宗の謀略紙「慧妙」と顕正会の「顕正新聞」が最近、激しい批判合戦
を繰り広げており、まさに「目糞鼻糞を笑う」といったところで、世の笑いも
のだ。

この「慧妙」七月一日付が学会にも攻撃の矛先を向けて「御都合主義の学会
の血脈観」と題し、批判記事を掲載している。その中で「慧妙」は「血脈の本
義は信心の血脈にしかない、という学会の血脈観が間違いである」と非難して
「本宗古来から伝えられる血脈の本義が唯授一人の血脈に存することは、論を
持たない」と記し、最後に「この一点を誤ったが故に創価学会の未来は滅亡の
一途である、と断ずるものである」と、的外れなことを書いている。

ところが、日顕は悩乱する以前の昭和六十二年四月、宗門の二大行事の一つ
である霊宝虫払大法会で「慧妙」の記事とは正反対の血脈論を次の通り説いて
いた。

「血脈相承とは、信心の血脈がその基(もとい)をなすのであり、その信心
の血脈によって仏の本地甚深の境智に基づく法体法門の血脈が、一器より一器
へ流れ通うのであります」

「この唯授一人の血脈も、その基本的本質は前来述べる如く信心の血脈に存
します」

「信解抜群にして宗祖二祖の信心の血脈を疑わず、勇猛精進するところ、僧
にあれ、俗にあれ、僧から僧へ、俗から俗へ、さらに広くその信心の血脈を伝
えつつ展転して衆生を利益することが下種仏法の相であります。その一大実証
は、近年、正法の日本ないし世界広布の礎(いしずえ)を開かれた、創価学会に
おける初代、二代、三代等の会長の方々における信心の血脈の伝承であります」

「信心の血脈が正法の僧俗一切の行学の根底であります。故に、大聖人より
日興上人への血脈が貫主一人しか解らぬ独断的、偏見的な仏法などというのは
血脈の真義を解せぬ者の囈言(たわごと)であり、信心の一念に法水が流れる
ところ、有智、無智を問わず、万人のために即身成仏の功徳が実証として開か
れているのであります」(「大白法」昭和六十二年五月号)

血脈断絶の日蓮正宗

このように日顕自らが、〝信心の血脈が仏法の根幹である〟と断言していた。
霊宝虫払大法会での説法と謀略紙の駄文は、一体どちらが正しいかは、言うま
でもなかろう。

この日顕も悩乱してからは〝法主に伝わる血脈相承が根本で信心の血脈は枝
葉にすぎない〟〝法体の血脈が根本で、そこから離れて信心の血脈はない〟〝
相承を受けた以上は生身の釈迦日蓮〟など法義をねじ曲げ、歪んだ血脈観で法
主の絶対化を図ってきた。

悩乱の前と後での日顕の自語相違の説法を見ると、このニセ法主が二枚舌で
あることが分かる。

「慧妙」は「御都合主義の学会の血脈観」と批判しているが、日顕とその一
派のクルクル変わる歪んだ血脈観こそ「御都合主義」と言うべきである。日顕
自身の言葉を借りれば「慧妙」の妄論こそ〝血脈を理解していない者の囈言〟
と言ってよい。

間違った血脈論を唱える日蓮正宗は血脈が断絶した邪教で、滅亡の一途を辿
る。


 

フェイク 第1649

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年 7月 5日(金)22時03分23秒
  (発行=19.07.01)

宗史に残る日顕の 「大御本尊偽物」発言
「大白法」の「異流義破折」を粉砕する ⑥
宗門は「恨みの心」で学会批判を繰り返す

日蓮正宗が学会を誹謗中傷する攻撃体質は変わらず、「大白法」では名誉会
長をはじめ学会に対して罵詈雑言を浴びせている。同紙の六月一日付でも「ル
サンチマン」という哲学用語を持ち出して学会が「恨みの心」で宗門を攻撃し
ていると書いていたが、これは逆だ。

相承を詐称して猊座を盗み取った日顕の悩乱によって、日蓮正宗が法主信仰
の〝日顕宗〟に成り下がり、御本尊を脅しの道具に使う邪宗門になった間違い
を、学会は指摘しているのだ。

 それに対し、宗門は学会の勤行の様式や日寛上人の御本尊を批判し、加えて
塔婆と戒名が必要だと泣き言を並べるなど、学会によって破折し尽くされた事
柄を掘り起こしては、負け犬の遠吠えのように繰り返し難癖をつけてくる。

今年の夏期講習会第一期で日如は「口は禍の元」だから怒って乱暴な言葉は
いけない、常に平常な気持ちで、等と述べていた。

だが、かつて日如が早瀬義寛と名乗っていた頃、学会の会則の「三大秘法の
大御本尊を信受し」について、御講の席で「学会が三大秘法の大御本尊を信受
するなんて、破門された学会には許されない。狂っている」と怒り狂っていた。

 それが近年では「『弘安二年の御本尊は受持の対象にはいたしません』とは
暴挙であり、大聖人への反逆行為です」と相反することを感情的に述べて非難
する。「信受する」のは許されない、狂っていると誹謗し、他宗派の大石寺に
あるから「受持の対象としない」というと、今度は反逆行為だ、謗法と言う。
どっちにしても批判するのが邪宗門だ。

ところで、この大御本尊について、平成十一年七月七日付の同盟通信が日顕
と河辺慈篤のやり取りを記した「河辺メモ」(左のコピー参照)をスクープ。日
顕の「大御本尊偽物」発言が露見し、大きな衝撃が走った。

慌てた宗門は七月九日と翌十日、立て続けに「通達」を出し、日顕自身も九
月十八日に「御指南」と称する釈明文を出して事態の鎮静化を図った。これが
火に油を注ぐ結果になり、メモは河辺本人のもので、「偽物」と断定したのは
日顕自身であることが明白になった。

更に、不審を深めたのは「記録ミス」と言わされた河辺が擯斥などの厳しい
処分ではなく、札幌の日正寺から新宿の大願寺に栄転になったことだ。

宗門の根幹は大御本尊と唯授一人の血脈法水と言う。だが、血脈詐称の〝根
幹〟が、もう一つの〝根幹〟を否定した。日顕の「大御本尊偽物」発言は、日
蓮正宗が続く間、宗史に残る。

 

フェイク 第1648号

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年 7月 4日(木)17時14分7秒
  (発行=19.06.30)

寛尊御筆の御本尊に絶大な功徳
「大白法」の「異流義破折」を粉砕する ⑤
法盗人の日顕・日如の許可など不要

日蓮正宗法華講の機関紙「大白法」六月一日付の「異流義破折」欄で劣悪な
学会批判を掲載していた。この中で日寛上人の御本尊を作製したと難癖をつけ
ているが、的外れも甚だしい。

宗門は平成三年十一月二十八日に学会を破門にし、三十日には学会員への御
本尊下付停止を発表した。

そのため栃木県・淨圓寺の成田宣道住職(当時)より同寺所蔵の第二十六世日
寛上人御筆の御本尊を御形木御本尊にして創価学会から会員に授与していただ
きたいとの申し出があった。

これに日蓮正宗改革同盟、青年僧侶改革同盟の全員が賛同。学会は総務会、
参議会、教学部最高会議、県長会議、責任役員会など正式機関の決議を得て授
与するようになった。

 宗門は「法主の許可」が必要と言うが、血脈詐称の法盗人である日顕・日如
の許可など必要ない。

 また、宗門は昔から法主が許可して開眼した御本尊を授与していたかのよう
に誤魔化しているが、学会の出現以前は日蓮正宗に入信する人は殆どいなかっ
た。

だから、御本尊を下付する必要もなかったのである。

時折、入信する人が現れると、各末寺が勝手に御本尊を授与していたが、その
都度、法主が開眼することはなかった。

 例えば、東京の妙光寺が下山日布(五十五世)、法道院が大石日応(五十六
世)、常在寺が阿部日正(五十七世)と、それぞれ有縁の法主の御形木を持っ
ていて、勝手に印刷・表装して授与していたのである。

 また、香川の讃岐本門寺では過去に塔中坊に安置されていた日興上人の御本
尊を御形木にして多くの檀家に下付していた。

 更に、学会員が草創期に授与を受けていた日寛上人の享保三年の御形木御本
尊は池袋の法道院で印刷していた。それを各末寺は本山を経ずに直接、法道院
から受け取っていたのである。

 即ち、学会草創期に流布した享保三年の日寛上人の御形木御本尊は、相貌も
授与書きがない点も、法主による開眼などがなかった点でも、現在の学会授与
の享保五年の日寛上人御書写の御形木御本尊と全く同じで、功徳は絶大である。

こうした事実を知っている日顕は、淨圓寺の成田宣道住職が宗門から離脱し
た時、周囲の者に「しまった、あの寺には日寛上人の御本尊があったな」と呟
いたということだ。

日蓮正宗が御本尊を「商売道具」にして金儲けをしてきた事例の中から主要
な具体例を次に列記する。

◆明治三十七年の日露戦争に際し、時の法主・大石日応は一万体にものぼる「
  戦勝守護の御本尊」と称するものを作成して売りさばいていた。(明治三十
  七年四月発行の宗門機関誌「法乃道」より)

◆日顕の父の第六十世・阿部日開は昭和六年の日蓮大聖人第六百五十遠忌に際
  して「永代尊号付きの賞与大曼茶羅」「大曼茶羅」というように、寄付金の
  多募により御本尊に差別を設けて、御本尊を金儲けに利用した(「御遠忌記
  念事業費寄附金募集及び賞與規定」より)

◆東京・品川の妙光寺では、日蓮大聖人の御真筆の御本尊を「謹写」して御守
  りとして授与、御供養を取っていた(「妙の光」昭和十二年九月一六日付)

 

フェイク 第1647号

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年 7月 3日(水)21時59分52秒
  (発行=19.06.25)

大石寺が塔婆で一億円の詐欺
「大白法」の「異流義破折」を粉砕する ④
天台宗・延昌の逸話を塔婆の必要性にすり替え

 日蓮正宗が機関紙「大白法」を使っての戒名と塔婆に関する戯言に対して、
死後の戒名が成仏とは無関係で、不要であることは前号で述べた通り。今号で
は塔婆について考察する。

 「日蓮大聖人は門下のために塔婆を書かれたことなど一度もなかった」と指
摘すると、日蓮正宗の僧俗や「大白法」は、次の御文を持ち出すのが常である。

 「去ぬる幼子のむすめ御前の十三年に丈六のそとば(率塔婆)をたてて其の面
に南無妙法蓮華経の七字を顕はして・をはしませば(中略)法華経の題目を顕は
し給へ」、また「此の子そとば(率塔婆)に此の木をつくり父の供養のためにた
(立)ててむけりと見へたり。日蓮も又かくの如くあるべきか」

 だが、この御文は大聖人が塔婆を書いたり、奨励された文証ではない。

 まず、前の御文は、在家の中興入道が娘の十三回忌に「南無妙法蓮華経」の
七字を認めた塔婆を立てたと報告したことに対する大聖人のお返事である。

 当時は、念仏を書いた塔婆が横行していた。だが、中興入道は法華経の題目
を塔婆に認めたと報告したので、その南無妙法蓮華経の七文字を根本にした信
心を大聖人は称賛されているのである。

 決して塔婆の必要性を言われているのではない。

 また、後の御文は平安時代中期の天台宗第十五世・座主の延昌に関する故事
を通して、報恩について述べられたものである。

延昌は子供の頃、怠けていたので父親に槻(つぎ)の木で打たれ、叱咤された。

 その時は憎く思ったが、学問が進んで高僧になると、父親の恩を感じて槻(
つぎ)の木で卒塔婆を作って供養したという逸話である。

 「日蓮も又かくの如くあるべきか」の後の御文は「日蓮仏果をえむに争かせ
うぼう(少輔房)が恩をすつべきや、何に況や法華経の御恩の杖をや、かくの如
く思ひつづけ候へば感涙をさへがたし」と記されている。

 少輔房による殴打は勧持品を身読させてくれたことに他ならず、大聖人が末
法の御本仏であることを証明するものであったので、感涙をおさえられない旨、
述べられているのである。

 さて、学会が登山していた当時、本山では塔婆の申し込みが一日に数千本を
超え、塔婆係の数人の僧は書き切れず、放置していた。

 それについて日顕は平成二年四月、全国宗務支院長会議で驚くべき問題発言
をした。

 「塔婆の申し込みが多くて、本山で書き切れない塔婆が十万本以上も溜まっ
ていた。書くのも目茶苦茶に書いていた。それなら、いっそ印刷にしようとい
うことで、ワシが書いて印刷にすることにしたんだ。その方が綺麗になるしス
ッキリするようになった。それで今までの(十万本以上も溜まっていた)塔婆
は一本だけ大きい塔婆を立てて、ご破算にした」と言い放った。

 日顕の話を聞いた支院長会議の出席者は「ワッハハ」と爆笑。十万本以上の
申し込みに対して、九尺の塔婆一本だけ立て、後は素知らぬ顔を決め込んだの
だ。

 当時の塔婆供養は一本千円だったので一億円相当の詐欺だ。塔婆を強要する
理屈は、日顕の一言で完全に破綻するのである。

 

フェイク 第1646号

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年 7月 3日(水)01時44分0秒
  (発行=19.06.22)

大聖人の時代に戒名は存在せず
「大白法」の「異流義破折」を粉砕する ③
日蓮正宗は戒名で金儲け狙う葬式仏教

日蓮正宗は「大白法」で戒名と塔婆が成仏に不可欠だと騙し、それを否定す
る学会を口汚く批判している。本紙は、これまでも戒名と塔婆が不要であるこ
とを述べてきたが、改めて「大白法」の戯言を粉砕する。

まず、死後の戒名については日蓮大聖人の時代には存在しなかった。死後の
戒名は江戸時代の寺請制度によって広まったと言われている。江戸幕府の宗教
政策により、庶民は住職にキリシタンでないことを証明してもらう必要があり、
そのため、庶民は住職から仏教の「死後の戒名」をもらうようになって、それ
が普及したと言われている。

この「亡くなった時につける戒名」について、大石寺の第五十九世・日亨上
人は「臨終ニ当リテ俄ニ法号ヲ乞フガ如キ愚挙ナキヲ期スベキナリ」と書き残
されている。

日亨上人は臨終に当たって俄に法号(戒名)を乞うのは愚挙だと指摘されて
いるのだが、「大白法」編集部は、こんな碩学の御指南も知らないのか?

仏教発祥の地のインドにも戒名の習慣はなかった。中国では本名に「字」(
あざな=生前の通称)や「諱」(いみな=死者への贈り名)をつける習慣があ
り、そこから出家者に法名が与えられるようになったが、死後に戒名をつけた
のではない。

日本では仏教伝来の頃から中国と同じく出家名、受戒名が用いられ、奈良・
平安時代には、聖武天皇には「勝満」、藤原道長には「行覚」、平清盛には「
静海」など、上流貴族が受戒すると戒名とか法名が与えられていた。

これは戒を受けて仏門に入った人に付けられる名前で、死後の戒名とは異な
る。

日蓮大聖人は、御両親を正法に導かれて「日蓮」の一字ずつをとり、父に「
妙日」、母に「妙蓮」の法名を授けられたと伝えられているが、御書には「戒
名」の語句はない。

富木常忍の「常忍」、南条時光の「大行」なども生前からのもので死後の戒
名ではない。

金額の多寡で差別

つまり、大聖人御在世当時は出家名のみで、死後の戒名の慣習はなかったの
だ。

死後の戒名は故人の成仏に全く関係ない。生前の信仰こそが大事なのである。

ところが、葬式仏教の宗派では生きている時の名前を「俗名」と呼び、死後
に戒名を付けるよう主張する。

その戒名は宗派によって多少の違いはあるが、男女の性別、年齢などによっ
て付けられる文字が異なる。

男性が信士、居士、院・信士、院・居士、院殿・大居士、女性は信女、院・
大姉、院・清大姉というようなランクがある。

また、未成年の場合は、年齢によって三歳位までは嬰子・嬰女、五歳位まで
は孩子・孩女、十五歳位までは童子・童女がつけられる。

戒名料については以前、あるテレビ番組で取り上げていたが、数万円から五
十万とか百万円と高価なものまであるという。

死後の世界までも金額の多寡によって差別するとは、戒名を金儲けの手段に
する邪教らしい。戒名の必要性を強調する日蓮正宗も例外ではなく、金儲け主
義の葬式仏教と言える。

 

フェイク 第1645号

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年 7月 1日(月)21時28分54秒
  (発行=19.06.15)

宗門が軍部に同調する御観念文
「大白法」の「異流義破折」を粉砕する ②
御本尊と日興上人にも「南無」を削除

日蓮正宗の御観念文の改変については、昭和十六年八月二十二日に六十二世
の日恭の当時、「御観念文制定ニ関スル件」と題する「院達」(下のコピー参
照)を出した。この「院達」では二座と三座、また四座と五座を併せて各一座
としてよいと書かれており、前号で述べた通り、五座三座の勤行が日蓮正宗の
伝統というのは真っ赤なウソなのである。

 さて「院達」では「御観念文ハ従来種々ノ様式アリタルモ今回別記ノ如ク制
定候條御了知ノ上所属檀信徒ニ徹底普及方御配慮相成度候也」と記されている。

 この「院達」に記されているように御観念文は宗内でもバラバラで種々の様
式があったことが分かる。

それを以下のように改変し、統一したのだった。

初座 天拝
謹ミテ皇祖天照大神 皇宗神武天皇肇国以来御代々ノ鴻恩ヲ謝シ併セテ皇国守
護ノ日月天等ノ諸神ニ法味ヲ捧ゲ奉ル 希クハ哀愍納受ヲ垂レ給ヘ

二座 法宝拝
「現当一切救護 妙法ノ曼荼羅  本門戒壇ノ大御本尊 御報恩謝徳供養ノ御為ニ」

三座 佛宝僧宝拝
「久遠元初 内証本仏 南無日蓮大聖人 大慈大悲・御報恩謝徳 御供養ノ御為ニ
 血脈付法ノ大導師 御開山日興上人 御報恩謝徳御供養ノ御為ニ 第三祖閻浮
ノ御座主・新田卿阿闍梨日目上人 御報恩謝徳御供養ノ御為ニ」

四座 祈念
「奉祈念我等弘法ノ誠意九天ニ達シ一天四海広宣流布 天長地久 官民一致 国
威増輝ノ為ニ  某過去遠々劫現在万々ノ謗法罪障消滅 現当二世大願成就ノ為
ニ」

五座 回向
「日本国中当門信仰ノ面々 内得信仰ノ面々各先祖代々ノ精霊、追善供養菩提
ノ為ニ 某先祖代々ノ精霊 追善供養ノ為ニ  乃至法界平等利益自他倶安同帰寂
光」

注目すべきは、天照大神が御観念文の最初に挙げられ「謹ミテ」という最高
に敬う言葉が冠されている点だ。宗門が軍部権力に迎合し、同調していたこと
を如実に物語る。

これに対して、御本尊にも日蓮大聖人にも「謹ミテ」という言葉は使われて
いない。宗門が、いかに天照大神を崇敬していたかが分かる御観念文である。

そして皇祖、皇宗、肇国などの言葉が並び、その一方で大梵天王、帝釈天王
はインドの神ということで取り除いていた。

また、「帰命」を意味する「南無」の文字は法宝の御本尊にも僧宝の日興上
人にもつけず、削除していた。


 

フェイク 第1644号

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年 6月30日(日)21時44分58秒
  (発行=19.06.14)

寛尊は「方便・自我偈、題目で良い」
「大白法」の「異流義破折」を粉砕する ①
五座三座の様式は日昇法主の時から

 日蓮正宗法華講の機関紙「大白法」六月一日付の「異流義破折」欄では「目
を開いて本当の姿を見よう―創価学会」と題し、質の悪い批判記事を掲載して
いる。

 主な悪口は勤行方式と観念文を変えた、塔婆や戒名は不要なものと会員に教
え、御本尊を作製し、会則を変えた等々である。

 まさに、天に唾するとは愚かな「大白法」のことだ。この批判は全て日蓮正
宗に当てはまる。

まず、勤行方式について、学会が世界広布の新時代に即応して制定した「方
便品・自我偈の読誦と唱題」を非難している。勉強不足の「大白法」編集部は
五座三座の勤行が日蓮大聖人以来、宗門七百年の伝統だと勘違いしている。

宗門の勤行は変遷を重ねてきた。大聖人は「此の経を持ち申して後退転なく
十如是・自我偈を読み奉り題目を唱へ申し候なり(「松野殿御返事」)と記さ
れている。この「十如是」とは方便品の十如是までのことで、松野殿が方便・
自我偈の勤行をしていたと書かれている。

また、宗門資料によると、本山での勤行は一日三回、三座に始まり、四座、
五座と増えて、五座になったのは謗法の十七世日精の時からとの説である。

そして二十六世日寛上人が加賀の信徒・福原式治に与えられた書状の中で「
五座三座」について述べられており、この当時は本山だけで行われていた。

だが「但し仕官の身公用抔(など)の時は乃至題目一遍なりとも右の心向け
に相勤むべし」と明記されている。

日寛上人は信徒に五座三座を強要されてはおらず、方便品と自我偈と題目で
よい、勤めの関係で出来ない場合は題目一遍でもあげるよう教えられている。

日寛上人は勤行の形式を強要するのではなく、あくまでも信心の発露を大事
にされていたことが分かる。

 日顕は「私ども小僧の時には全部、長行を読んだのですよ」「五座全部読ま
れた時と五座だけ読まず初座から四座まで読んだという経験があり、とくに二
座は方便品の長行も読まれてましたですね」等と勤行の変遷を述べていた。

そして「今のような形で勤行をするようになったのは、第六十四世水谷日昇
猊下の時だった」と明言していた。この日顕の話は活字になっているので「大
白法」編集部は、よく調べて読み直せと勧告しておく。

 注目すべきは二座の時だけ寿量品の長行を読んで、他の時には読まなくなっ
た理由について「信徒の増加ということもありますので、全部の皆さんが毎日
できるということが大事になるわけで、その点を考えるようになってきたとい
うことでございましょう」

このように二座の時以外には寿量品の長行を読まないのは「信徒の増加」云
々と明確に述べている。

学会の勤行の制定についても、世界的な「会員の増加」と「時の到来」とい
う点であった。新たな勤行の制定の根底には、世界的に増えた会員が毎日、勤
行が出来るようにとの思いがあったのである。

日蓮正宗は信徒が激減し、その後は一向に増えないから、昔に返って五座全
部、方便・寿量品を長行に復活させてはどうだ。 (つづく)


 

創価大学の一部がロケに

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年 5月25日(土)18時29分49秒
  《山崎豊子「白い巨塔」(1話・2話・5話)のロケ地に創価大学がの一部が》

2019年5月22日(水)~26(日)夜9時 5夜連続放送

テレビ朝日開局60周年記念 5夜連続ドラマスペシャル 山崎豊子「白い巨塔」
の(1話・2話・5話)で、創価大学下記一部がロケ地として使用されています。

撮影場所は、AW3F教室、AW12F、エレベーター、ニューロワール食堂、中央教
育棟B2Fエントランス
詳しくは下記
https://www.soka.ac.jp/news/2019/05/3960/


今回のドラマは、腹腔鏡手術のスペシャリストとして医学界に名を馳せる、浪
速大学医学部第一外科・准教授の財前五郎は、岡田准一が主役で、他に松山ケ
ンイチ、寺尾聰が出演。
(3話以降に医療被害にあった妻として芸術部の岸本加代子さんも熱演してい
ます)


●見逃された方
昨夜までの1話から3話がテレビ朝日で無料配信されています。
https://cu.tv-asahi.co.jp/program/1533?official=1

●今晩4話の予告編(テレビ朝日)
https://www.tv-asahi.co.jp/shiroikyotou/story/0004/

   ―――――・・・―――――

『白い巨塔』は、大阪の大学病院を舞台に、医療ドラマの枠を超えて人間の本
性に迫った作品で、作家・山崎豊子の長編小説1965、69年に新潮社より刊行さ
れ山崎豊子作品の中でも“最高傑作”と呼び声高く、発行部数はシリーズ累計
600万部を突破し、刊行から50年経った今でも、多くの人に愛され続けていま
す。

これまで、田宮二郎(1978年)や唐沢寿朗(2003年)の主演のものがありまし
たが、今作では物語の設定を2019年に置きかえ、腹腔鏡手術など現代の最新医
療ならではの、今までにない新たな『白い巨塔』の世界を醸成しています。


 

フェイク 第1643号

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年 5月17日(金)00時11分25秒
  (発行=19.05.09)

日興上人の離山の精神に違背
特集 「日蓮正宗と身延派との友好交流」 ⑤
謗法厳誡はウソ、相互に親しく参詣

日蓮正宗の謀略紙「慧妙」五月一日付では身延僧の大石寺見学・参拝に厳し
く対応しているかのように書いている。だが、身延派坊主らの参拝・研修には
柔軟、寛容であるばかりか、日蓮正宗の僧俗が盛んに身延派の寺院に行ってい
たのも事実である。

更に、富士学林大学科の所化たちが邪宗寺院に参詣するのは恒例行事になっ
ている。これは日興上人の身延離山の精神を踏みにじる悪逆行為である。

本号では、特集「日蓮正宗と身延派との友好交流」の集大成として、過去の親
交の主な足跡を列挙する。

但し、余り多いので紙数の関係上、恒例行事となっている富士学林大学科の
所化の邪宗巡りなどは割愛し、主な邪宗巡りに限定した。

◆平成六年四月二十四日、東京・華王寺(前川慈肇・故人)がバスをチャータ
  ーして身延派の寺巡りツアー。三十人余の法華講員と一緒に住職の女房も参
  加した。一行は安房、小湊へ行き、鏡忍寺、清澄寺、誕生寺の順に身延日蓮
  宗の本山格の三カ寺を巡拝して回った。

◆平成六年六月十一日、埼玉・能安寺(水島公正)が「鎌倉研修」を実施。鎌
  倉の大仏、鶴岡八幡宮などの謗法巡り。この日は法華講青年部の一泊登山と
  重なっていたが、大石寺に行かず、この謗法ツアーに参加。また「研修」と
  は名ばかりで、宗門の護国寺が近くにあるにもかかわらず、夜の勤行もしな
  いでホテルに着くと宴会に興じ、翌朝も勤行をしなかったということだ。

◆平成六年十月八日、落合尊福は長野県・信盛寺の法華講員を引き連れて佐渡
  に渡って謗法巡り。貸し切りの観光バスには「信盛寺佐渡順拝の旅」(編集
  部注=「順拝」は「巡拝」の間違い)と書かれたプレートを付けていた。

一行は身延派の妙宣寺、根本寺などの寺を巡り、講員は賽銭箱にお金を入れ
て合掌していた。

◆平成六年十一月五日、身延派の布教師会一行が大石寺を参拝した。本紙第1
  639~1641号で紹介した通り、内事部の坊主が親切に迎え、正本堂、
  大客殿などを丁重に案内した様子が身延派の「布教師會報」第二十号に「日
  蓮正宗総本山・大石寺研修参拝記」として掲載された。

更に大石寺側が「(身延派の)皆様の暖かなお心に触れ、外はめっきり寒く
なっていたにも拘わらず、暖かな気持ちで御案内申し上げることができました
ことを感謝しております」との丁寧な礼状も送った。

◆現在は大石寺執事になっている関快道は平成七年三月十二日、都内狛江市・
  仏寿寺の二十数名の法華講青年部や女房の貞子らを率いて千葉の誕生寺、清
  澄寺など身延派日蓮宗の寺院を巡拝した(写真)。これは平成五年の佐渡、翌
  六年の東北方面に続く三度目の謗法の寺詣でだった。

 関が得度した動機は、同期生に対する劣等感に加えて、身延派の高僧から莫
大な遺産を受け継いだ女性との結婚が破談になったからだと学生時代の友人だ
った大滝耕二氏が証言していた。

関は学生時代に、その女性に熱をあげていて、寝る時に彼女の写真に口づけ
して「おやすみ」と言い、その写真を枕元に置いて寝るのが習慣だった。身延
派の寺巡りを続けていたのも失恋した彼女を偲んでのことだったのだろうか。

関は大石寺執事といっても低劣な坊主で法華講員を教導する資格はない。

◆平成七年六月六日、大石寺に「池上鶴林会」なる団体バスが到着。乗ってい
  たのは日蓮宗大本山の池上本門寺貫首で、この直後に日蓮宗管長に就任した
  田中日淳ら三十二人が登山してきた。この一行を歓迎して、案内したのは袈
  裟衣を身に着けた高野日海(故人、当時は本行寺住職)だった。

池上本門寺の貫首ら一行を丁重に出迎えて広布坊、三門から大客殿、御影堂、
正本堂、五重塔まで大石寺内をくまなく案内。そして蓮葉庵で手厚く接待した。

◆平成七年八月二十日、総講頭・柳沢喜惣次(故人)は、当時、阿部信彰が住職
  をしていた大修寺(府中市)の法華講員約二十人を連れて身延山に参詣(写真。
  左が柳沢)。夜は宴会に興じた。

◆平成九年四月十八日、大石寺の無任所教師七人が西山本門寺の虫払いに酒や
  菓子折りなど御供養の品々まで持参して参詣した。

◆平成九年五月十・十一日、横浜市の応顕寺住職・舟橋義秀(今の日謙)が講員
  を引き連れて佐渡の根本寺、妙宣寺、世尊寺、妙照寺などを巡拝した。舟橋
  は帽子を深く被り、サングラスで変装。妙照寺の賽銭箱には講員が「チャリ
  ーン」と硬貨を入れて御供養していた。

◆平成九年七月十五日には、身延山の坊主十数人が大石寺と妙蓮寺を訪れ参拝
  した。

◆平成九年八月十七日、東京・宣徳寺(住職は秋元広学、今の日高)の所化二
  人に引率された講員が鎌倉の龍口寺、極楽寺、収玄寺、妙本寺、安国論寺、
  妙法寺などの邪宗巡りをした。

◆平成九年九月十・十一日、東京・華王寺の一行が「佐渡研修旅行様」のバス
  に乗り、一泊二日の日程で佐渡の邪宗寺院を巡拝した。

◆平成九年九月十七日には身延僧約三十人が大石寺に参詣。大石寺坊主の案内
  で正本堂などを見学。御影堂内では身延僧が御宝前に合掌・参拝していた。

◆平成九年十一月十九日に伊豆長岡の身延派日蓮宗の一行が大石寺を訪問。法
  衣を着た僧が約五十人の信者を連れて参詣していた。
「慧妙」五月一日付は、この時だけは「無許可だった」と弁解している。

◆平成十二年九月二十八日には「身延山大学校」の学生が大石寺に参詣した。

◆平成十二年十二月六日、身延の坊主十七人が大石寺を訪れて客殿や御影堂な
  どを見学し参拝した。

◆平成十四年十一月二十六日にも他宗坊主二十数人が大石寺に参詣した。

◆平成十六年四月十三日に 身延派坊主が大石寺を訪問、参詣した。 (以下、
  省略)
   ◇   ◇
身延派は日蓮大聖人を末法の御本仏とは仰がずに「日蓮大菩薩」と称し、身
延山の参道の売店では御本尊もどきを店頭にぶら下げ、御守り本尊をカードに
して販売している。久遠寺も大石寺も謗法の寺である。

 

フェイク 第1642号

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年 5月16日(木)12時05分37秒
  (発行=19.05.08)

日顕が謗法の波木井実長を礼讃
特集 「日蓮正宗と身延派との友好交流」 ④
久遠寺に用意された大石寺用の宿坊

日蓮正宗大石寺は昔から身延派とは親密な関係で、身延山久遠寺は「各門流
の登山参詣の際の宿院(坊)」を定めて、その中に大石寺用の宿坊として「林蔵
坊」を用意していた。このことを大石寺は隠しているが、身延派の資料には明
記されている(下の図を参照)

大石寺は謗法の身延派とは昔から〝親戚付き合い〟を続けていたが、昭和二
十七年に学会員が登山するようになってからは表面上、身延派とは疎遠を装い、
特に昭和三十年三月、学会が小樽法論で身延派を粉砕して以来、両派の交流は
途絶えたかのように見えた。

ところが、平成三年になって邪宗と化した大石寺に学会員が登山しなくなり、
特に、日顕が波木井実長を絶賛するようになってからは大石・身延両派が急接
近。平成五~六年頃から相互に登山・参詣するなど親密の度合いを増したので
ある。

六老僧の一人・日向は弘安八年(一二八五年)に身延に登山し、日興上人か
ら学頭に任じられたが、翌年頃から軟風に侵されて誤った法門を唱え始めた。
波木井も日向の悪影響を受け、①一体仏の造立 ②二所(箱根・伊豆の両権現
)と三島神社の参詣 ③九品念仏道場の建立 ④福士(山梨県南巨摩郡南部町福
士)の塔供養の四つの大謗法を犯した。

そのため日興上人が断腸の思いで身延を離山されたのは周知の事実である。

 悩乱した日顕は、この大謗法の波木井を絶賛するようになった。

「身延における御化導こそ大事な意義をもっております。それらを可能ならし
めたところのものは、すなわちあの波木井実長氏の大聖人様に対する外護であ
り、心安く法華経を受持読誦遊ばされ、特にこの三大秘法整足の大業を、心豊
かに何らの思いも煩いもなくこの目的を達成遊ばされた次第であります」「波
木井実長の功績は非常に大きなものがあるということを今日深く考える人は少
ないようであります」(平成三年七月二十八日、法華講連合会第二十八回総会


 「大聖人様御在世当時の波木井実長の功績たるや、大変なものです」(平成
三年七月、教師指導会)、

「大聖人様の三大秘法の具現という大仏法の深い意義が波木井実長の外護に
よって行われたということは、今日において二百カ寺、三百カ寺の寺院を造る
よりもなお、根源的な意味において大きな功績であります」(同年十一月、教
師指導会)、

 「この波木井実長の、大聖人様の仏法の一番根本の功徳を成就するという上
の、いわゆる外護という面の功績におきましては、創価学会の近年における宗
門の外護と比べ、その本義においては比較にならないほど大きい」(平成四年
六月、東北第一布教区親教)

このような日顕の波木井讃嘆は日興上人の身延離山を否定することに通ずる。

 

フェイク 第1641号

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年 5月15日(水)12時15分28秒
  (発行=19.05.07)

謗法に対し「柔軟な姿勢」に
特集 「日蓮正宗と身延派との友好交流」 ③
「暖かなお心に触れ感謝」と大石寺が礼状

身延派の布教師会長・佐藤順映(志摩坊の住職)は、大石寺参拝を通して大石
寺の姿勢が変わったとの感想を研修記に記している。

「時の推移とは云え過去頑迷なまでに他宗には門戸を開かなかった大石寺が、
堂内外の案内に応じたという変化を我々は機敏にとらえ、柔軟な姿勢に最大限
の評価を下し、更に日蓮門下の一員と云う連帯感の醸成に陰に陽に働きかける
絶好の機と思うが如何であろうか。

二時間以上に亘って懇切なる案内をしてくれた教師から、ほどなく一通の礼
状が届いた。

〝皆様の暖かなお心に触れ、外はめっきり寒くなっていたにも拘わらず、暖か
な気持ちで御案内申し上げることができましたことを感謝しております〟と。

察するに今置かれている大石寺の立場を鮮明に表しているものと理解するが、
うがち過ぎだろうか」

この礼状も日顕の指示で送ったと思われる。

大石寺の坊主が、身延派の布教師八人を案内して回ったことについて、過去
には頑迷なまでに他宗には門戸を開かなかった大石寺が柔軟な姿勢に変わった
と感想を記している。邪宗に対して「謗法厳誡」から「柔軟な姿勢」に変貌し
たのだ。

日顕の悩乱によって、大石寺は外護の大功労者や信徒には冷酷になり、謗法
者には実に寛容で、邪宗坊主の参拝に対して礼状まで送るとは驚く。日顕が日
興上人の御遺誡を踏みにじっているのが明白だ。

ついでに日顕の父・日開は久遠寺への勅額降賜に手を貸したことで知られる。

昭和六年に日蓮宗各派が合同で大聖人の「立正大師」号の「立正」の勅額請
願運動を起こした時、天皇から下賜される勅額(写真)を、どこの寺に掲げるか
というのが問題だが、日開は身延派を破折するどころか、今まで大石寺にある
と主張してきた大聖人の「正墓」が身延山にあると認めて念書まで書いた。

これは日蓮門下の盟主が身延山久遠寺だと認めたのと同じことである。日興
上人が離山して決別された身延山に、日開は屈服して魂を売り渡したのだ。

それによって「立正」の勅額は身延山久遠寺に掲揚されたのである。日開が
時の文部大臣に提出した念書の文面は次の通り。

「  念  書
宗祖日蓮聖人立正大師六百五十遠忌ニ際シ 御廟所在地山梨縣身延山久遠寺住
職 岡田日帰ヨリ及請願候 立正大師勅額御下賜ノ件ハ 本宗ニ於テモ異議無
之候條 速ニ御下賜有之候様 御取計相成度候也
昭和六年六月十二日
 日蓮正宗管長
     阿部日開 印
文部大臣 田中隆三殿 」

 身延派としては大聖人の正墓が身延山にあり、身延派が大聖人門下の本家で
あることを確認させる狙いがあり、これに日開は同調した。

 このように大石寺は昔から身延派を謗法ではなく、本家と見ていたようだ。

「慧妙」が「大石寺研修参拝記」や日開が書いた「念書」について、どう弁解
するか、楽しみだ。(つづく)

 

フェイク 第1640号

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年 5月14日(火)17時59分3秒
  (発行=19.05.06)

身延僧を正本堂、大客殿へ案内
特集 「日蓮正宗と身延派との友好交流」 ②
「開店休業のスポーツセンターの様な状態」

身延僧が書き留めた「大石寺参拝研修記」には大石寺参拝の当日の模様が次
のように克明に記されている。

「当日十時、身延山総門を出発し富士宮で早目の中昼(編集部注=昼食)を済
ませ、先に大本山北山本門寺を参拝し、懇ろなる御開扉と執事の御挨拶を受け
た後、開山日興聖人御廟等を巡拝し、予定の二時に大石寺総門に到着した。

門をくぐると間もなく洋服姿の一人の青年が近づいて来て確認をとると先に
進む様指示され、三門を通り両脇に十二ヶ坊程の宿坊の前を抜けた左手に唐破
風造りの古風な鬼門を通ると、いきなり広大な広場と巨大な鉄筋五階建ての大
客殿前に着いた。ここで若手の案内僧が出て来て内部へと導かれた」

身延派の坊主八人が大石寺の坊主の案内で大客殿の内部に入ったのだ。

「大石寺研修参拝記」には大客殿内部の様子が綴られている。

「総面積一万四百五十五平方メートルに及ぶだけに、かつて創価学会員が連
日数千人単位で押し寄せた建物と感心した。三階から上が吹き抜けになってい
るが丑寅勤行の場所としても使われているだけに、板曼茶羅もどきの御本尊を
真ん中に、左右に祖師像、興師像を安置し、本宗の内陣に当たる一段高い板敷
きの部分には何もなく、左手の畳の上に導師用礼盤を中央に向け配置されてお
り、大変疑問に思い質問した所〝参詣の信徒が直接御本尊に面奉する為にある
〟と云う事であったが、我々の感覚とはなじまない感じであった」

大石寺の坊主が丁寧に身延僧を案内したのに「板曼茶羅もどきの御本尊」と
揶揄されている。

また「参拝記」は大石寺境内の模様も伝えている。

「当日は土曜日にて各地の法華講○○支部という団体が二十名、三十名単位
で六、七組境内を引率されていたが、往年の雑踏とは比較にならないであろう」

日蓮宗布教師会のメンバー八人は、大客殿内部を見学したあと、正本堂に案
内されている。

「正本堂へと案内されたが三メートルもあろうかと思える頑強な塀が巡らさ
れ、出入口には正装した門番が立ち、扉が開かれ一歩ふみ入れると噂にたがわ
ぬ壮大な石とコンクリートの建物と広すぎる境内が現出した。

「一匹の犬も通らぬ
全く無人の有様だ」

全長南北三百二十四メートル、東西百四十八メートルと確かに大きく広大で
あるが、ここは一人の参拝者もなく一匹の犬も通らぬ全くの無人の有様で何か
異様で堂内には入れて貰えなかったが閑散期とは云え一切の光熱設備等も稼働
しておらず、パンフレットで誇る〝今世紀最大の宗教建築〟にしては開店休業
のスポーツセンターの様な状態であった」

身延派の布教師が見ても、大石寺は異様な程、閑散としていたようだ。
(つづく)


 

フェイク 第1639号

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年 5月13日(月)12時02分15秒
  (発行=19.05.05)

大石寺が身延僧8人を歓待
特集 「日蓮正宗と身延派との友好交流」 ①
身延派の布教師会長が驚愕の「参拝記」

日蓮正宗の謀略紙「慧妙」は出鱈目な記事が多く、宗内でも信頼されていな
い。

例えば、昨年の八月十六日付で一面の全面を使って「学会員も呆然!靖国神
社に『創価学会』が献灯」「『みたままつり』で邪宗の提灯に混じって!」と
の大仰な凸版、見出しを付けて学会の謗法行為だと非難中傷する記事を写真入
りで掲載したが、これが大誤報だった。

そこで宗務院が「慧妙」の頒布を禁止する通達を出し、全国の末寺から「慧
妙」が撤去されたことは記憶に新しい。

特に、同紙が昨年の四月十六日付から開始した「あの頃、何が起きたのかー
日蓮正宗を襲った学会の謀略と攻撃―」と題する連載では学会と宗門との抗争
で学会側が一方的に悪いかのような主張を繰り返している。

最新の五月一日付の連載第十二回でも、創価新報は「『火』(誹謗のネタ)が
なければ、無理矢理にでも『煙』(ねつ造報道)を立てるーこうした悪辣な手口」
を使うなどと批判している。

その中で身延僧の大石寺参拝について「〝身延僧が法衣で大石寺参詣〟と報
じるも実際は無許可の見学を制止する場面だった」と、創価新報の記事が捏造
であるかのような印象を植え付けようとしている。

この「慧妙」五月一日付が書いている身延僧の参拝は平成九年十一月十九日
のことで、たまたま宗門に事前の連絡がなかったようだが、創価新報は身延僧
が大石寺に来た事実を書いているので捏造記事ではない。

ところで、参拝に来た身延僧を大石寺の坊主が歓待し、案内までしていた事
実が他に幾つもある。平成六年十一月五日にも身延僧が大石寺を参拝に来たこ
とがあった。

そのことが身延派の第一部布教師会発行「布教師會報」第二〇号(平成七年三
月三十一日付)に詳細に記録されている。「日蓮正宗総本山・大石寺研修参拝
記」と題する記事は、身延派の布教師会長で総本山久遠寺内の志摩坊住職・佐
藤順映が書いたものである。

これを読むと、大石寺と身延派との親密度が窺えるので、この「大石寺研修参
拝記」を紹介する。

内事部より応諾の電話

「平成六年度本会の布教研修会が昨秋十一月五日に実施され、参加者八名と
少数だったが、充実した内容となった」と記し、大石寺参拝を大石寺内事部に
事前に通知し、承諾を得て実施したと、次のように書いている。

「本会の名において、大石寺参拝の申請願書を送付して二十日も過ぎてから、
当局内事部の理事から応諾の電話を頂戴し」と明記。日蓮宗布教師会として正
式に「参拝」を書面で申請したのだ。

予告もなしに大石寺を訪れた「無許可の見学」ではなかった。

この日蓮宗の布教師たちが大石寺を「参拝」することの「応諾」を大石寺内
事部の理事が身延派側に電話で伝えたということだ。

内事部理事が勝手に判断し、身延派側に「応諾」の電話を入れることなど決
してありえない。

身延派の布教師八人に大石寺「参拝」を許可したのが、日顕であることは言
うまでもない。(つづく)

 

お知らせ

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年 5月 9日(木)14時57分8秒
  民音音楽博物館の野沢館長が、NHK「チコちゃんに叱られる」に出ます。

叱られるのではなく「マラカスの中身はなにが入っているのか」を野沢館長が語ります。

放送は

5月10日(金)
19:57~20:42 本放送

5月11日(土)
8:15~9:00 再放送

https://www4.nhk.or.jp/chikochan/x/2019-05-10/21/31504/1490049/


 

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