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フェイク 第1590号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 9月13日(水)12時31分37秒
  (発行=17.09.12)

阿部信彰の常在寺も未達成
各地で意気消沈の大布教区別僧俗指導会
日如が少年部員に「友達の両親を寺に誘え」

 日蓮正宗の「大布教区別法華講員八十万人体勢構築推進僧俗指導会」という
長い名称の会合が八月二十八日の北海道大布教区を皮切りに始まった。九月二
十八日までの間、全国十カ所で開くこの指導会は、大聖人御聖誕八百年の平成
三十三年に法華講員を八十万人にしたい、との早瀬日如の思い付きで折伏を開
始したが、現在まで全然進んでいないため折伏の檄を飛ばすのが目的である。

 そこで布教部長の阿部信彰や八十万人体勢構築推進委員の坊主らが、講中の
全講員が折伏に立ち上がって、励ましあいながら全力で取り組むよう訴え、大
聖人の御聖誕八百年まで三年半後に迫った今年こそ全支部が必ずや目標を達成
する必要があると強調している。

 宗門では「僧侶主導の広宣流布」と標榜しているが、責任を講頭や法華講の
活動家に押し付ける。「信徒主導」と言い換えるべきだ。

 折伏をはじめ新入信者の育成、御講や登山会などの参加者を増やす活動は全
て信徒に強要している。

 僧俗指導会で登壇した坊主も「自分が率先して折伏する」と発言した者は一
人もいない。だから指導会は意気消沈、参加者は決意を固めるどころか、辟易
した表情とのことである。

 とりわけ阿部信彰は今年三月、大石寺大書院での講頭会の席で今年の誓願目
標を八月までに達成せよと命令口調で力説。それが出来なかったら遅くとも十
月までには達成するように、と強調していた。

 その阿部信彰(写真)が住職をしている常在寺(豊島区)の法華講員の話による
と、八月末までに三百三十四の目標は達成できず、九月に入って、やっと八割
台になったとのことである。

 全国的にみても八月末までに達成した支部は三十そこそこで全体の一割にも
満たないとのことだが、布教部長の常在寺も未達成だから、折伏が出来ていな
い支部も安心してよい。決して焦る必要はない。

少年・中等部員にも折伏を煽る日如

 僧俗指導会に講頭・副講頭、認証役員や活動家を集めて、いくら檄を飛ばし
ても〝糠に釘〟という有様で、八十万人体勢構築は平成三十三年どころか、何
百年経っても不可能だと断ずる。

 折伏が停滞している現状に業を煮やした日如は今年の夏、中等部員、高等部
員、更に少年部員に対しても折伏を煽っていた。

 中等部、高等部の大会で日如は「法華講員八十万人体勢構築の誓願達成へ向
けて力強く前進するように」「一人でも多くの人に妙法を下種し、折伏を行じ
ていくことが、最も肝要である」と訴え「折伏は使命である」「自行化他の信
心に励め」等と力説していた。

 また、少年部の大会でも「親しいお友達がいたら、お父さん、お母さんに話
すなり、お寺に誘うなりして折伏することが今、最も大事である」と洗脳して
いた。

 子ども達にも折伏を煽る邪教団は無謀な勧誘が社会問題になっている顕正会
と日蓮正宗だけである。


 
 

TV情報

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 9月 1日(金)17時01分52秒
  9月10日(日)午後9時からNHKスペシャル「沖縄と核」が全国放送されます。
同番組は沖縄の本土復帰45周年を記念し制作されたもので、かつて沖縄に核兵
器が配備された知られざる歴史に光をあてた内容となっています。

その中で、メースBミサイル基地の跡地として唯一現存する沖縄研修道場が出
てきます。

なかでも注目なのは、当時勤務していた米兵がアメリカから研修道場に来られ、
地下にある司令室跡の中でインタビューを受ける場面です。

研修道場が映されるのは全体の中の一部ですが、ぜひご覧頂ければと思います。

■番組名
NHKスペシャル「沖縄と核」
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170910

■放送日
9月10日(日) 午後9時(49分間)

 

フェイク 第1589号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 8月31日(木)22時49分55秒
  (発行=17.08.31)

師弟不二こそ法華経の兵法の要
「慧妙」に掲載の渋谷照夫の戯言を斬る ㊦
師の言葉を歪曲し退転の口実にした原島嵩

日蓮正宗と学会との問題が起こった第一次宗門事件の時、反逆した原島嵩(元
教学部長)が、極悪ペテン師の山崎正友を介して時の日達法主に次のように言
わせた。

「『あの人が師匠だから、あの人が死んで地獄に落ちたならば自分も地獄に落
ちても良い』などと言っている人が有りますが、これは大変な間違いでありま
す。法華経にはそのような考え方は有りません」

だが「そのような考え方」が御書に明記されている。

日蓮大聖人は四条金吾に与えられた「崇峻天皇御書」に次のように記されて
いる。

「返す返す今に忘れぬ事は頸切れんとせし時殿はともして馬の口に付きて・
なきかなしみ給いしをば・いかなる世にか忘れなん、設い殿の罪ふかくして地
獄に入り給はば日蓮を・いかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うとも用ひま
いらせ候べからず同じく地獄なるべし、日蓮と殿と共に地獄に入るならば釈迦
仏・法華経も地獄にこそ・をはしまさずらめ」

刑場に向かう途上、 大聖人が乗られた馬の手綱に縋り付いた金吾は嗚咽し、
殉死の覚悟であった。それに関して、大聖人は金吾が地獄に行くならば、釈迦
仏の言葉に逆らっても弟子の金吾と共に地獄に行くとの仰せであり、師弟不二
の姿だ。

法華経に殉じた大聖人、その弟子の金吾が共に地獄に行くならば「地獄即仏
界」の原理を現ずると断言されている。渋谷には理解できないだろうが、「師
弟相違せばなに事も成べからず」で、師弟不二の精神こそ法華経の兵法の要で
ある。

現在の世界広布の潮流は、学会の初代会長・牧口先生、二代・戸田先生、三
代・池田先生の創価の三代会長に貫かれた師弟不二の精神が源流になっている。

この広布の師が地獄に堕ちることは断じてないが、師弟の道を踏み外した者
は皆、堕地獄の現証を示した。

その代表が、この戯言を言い出した原島嵩だ。昭和三十五年五月四日、池田
会長は就任の翌日、原島理事長(嵩の父)宅を訪問。当時、男子部班長だった嵩
に「弟子は師匠が地獄に行くなら自分も地獄に行くという決意、実践があって、
初めて師弟なのだ。君にその心があるか?」と問うた。

 当初、原島は「私は嬉しかった。先生の弟子に加えて頂けるかと思うと、涙
が出てきて仕方がなかった」と述べていたが、後年、師の指導を故意に歪曲し
て退転の口実にした。死者に鞭打つようなことは書きたくないので真実の一端
を記し、後世への戒めとする。

原島は五十代の時に重症の眼底出血、六十歳で硝子体出血。糖尿性網膜症、
白内障に脳神経も患って平成十六年に両目は失明状態。また糖尿性腎症で一日
三回、自分でインシュリンを注射し、晩年は人工透析を続け、肝臓病も肝硬変
の直前まで進行。不安神経症、うつ病、狭心症に加え、平成十七年に二度の脳
梗塞。その後遺症で言語障害になり呂律が回らず、左手と右足には麻痺が生じ、
食事もノドを通らない苦しみが続いた。

更に、腰の褥瘡(じゅくそう)に八年間も苦しみ、三度の手術は全て失敗。
左の耳の鼓膜には穴が空き、右耳は老化が進んで聞こえない状態。パーキンソ
ン病も患い平成二十年七月、六十九歳で死亡した。

 

フェイク 第1588号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 8月31日(木)22時32分45秒
  (発行=17.08.30)

「師は針の如く、弟子は糸の如し」
「慧妙」に掲載の渋谷照夫の戯言を斬る ㊤
広布大願に向かう死身弘法の決意と実践

日蓮正宗の法華講員の間でも不評の「慧妙」など殆んど読んでいないが、昨
日、たまたま見た八月十六日付で教育評論家と称する渋谷照夫が学会の師弟関
係について「滅私奉公」等と批判しているので、簡潔に反論しておくことにす
る。

 渋谷は聖教新聞社に在職していた約五十年も前に聞いたという「師匠は針、
弟子は糸だ」等の指導を曲解して、今頃になって蒸し返して誹謗している。

これは退転し反逆して死んだ原島嵩(元教学部長)の戯言の受け売りである。

渋谷が同新聞社に在職したのは昭和四十五年から僅か約三年間。渋谷は「慧
妙」では元論説委員と称しているが、当時を知っている人たちの話によると、
役職は副主任か主任になったばかりだったという。

個人攻撃は好まないので詳しいことは書かないが、渋谷は在職中も学会に批
判的で、親しい友人もおらず、暗く陰湿な感じで常に孤立していたとのことだ。

さて、渋谷は「慧妙」に次のように書いている。

「『師匠は針、弟子は糸だ。だから例え師匠が地獄へ行ってもついて行くのが
弟子の生き方だ』これでは、仏法を利用した『滅私奉公』ではないか」「心の
中で『こんなバカげた師弟関係を押し付けるなよ。独裁者の師匠なんて、こち
らから払い下げだ!』と叫んだ」と。

この後、渋谷は「後日、私と同感の社員もいたことが分かって安堵した」と
記しているが、この「同感の社員」とは、この話を言い出した先述の原島嵩だ
ろう。

「師は針の如く、弟子は糸の如し」とは、言うまでもなく、導いてくれる師に
従うことの重要性を意味している。決して「バカげた」教えではない。布を縫
うには針と糸が一体になることが不可欠で、師の針が導き、弟子の糸は師から
離れることなくついていくことで布を縫うことができる。

師弟不二の戦いで
築いた学会の発展

ここで言う「師匠が地獄……」云々とは師弟不二を意味しており、師弟が禍
福を共にして広布大願に向かう不退転の決意、死身弘法の実践を指している。

師弟の絆は同じ目標に向かって同じ心で戦い、師が苦悩している時は共に苦
しみ、共に戦い抜くことだ。

日蓮正宗の坊主共が口にする「塔婆供養しないと地獄に落ちる」というよう
な信心利用の言葉ではない。

戦時中、理事長の戸田先生は初代会長の牧口先生と共に逮捕され、他の弟子
が保身に走るなか、戸田先生は最後まで不退転を貫いたことは周知の事実だ。

そして「あなた(牧口先生)の慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れて行って
くださいました」と〝地獄のような牢獄〟にお供できたことを師に感謝された。

これが学会の師弟不二の姿である。利己主義の者には理解できないだろう。

また戦後、戸田先生(当時は理事長)が会社の倒産、経済苦で学会の理事長を
辞めるなど〝地獄の苦しみ〟の時、他の弟子が去っていくなか、青年時代の池
田先生は唯一人で戸田先生を守って戦い、第二代会長の就任に漕ぎ着けた。更
に七十五万世帯の悲願を達成したのをはじめ師の構想を悉く実現したのだ。
(つづく)


 

フェイク 第1587号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 8月17日(木)22時04分29秒
  (発行=17.08.17)

大石寺総代は僧俗共に謗法塗れ
信徒は神社参拝、坊主は道祖神の厄払い
総代の井出が三宮神社の祭礼に参列

日蓮正宗の総本山大石寺の総代・井出光彦が十三日、富士宮市内の三宮神社
の祭礼に参加した。三宮神社の祭礼は午前九時半ころから始まり、井出は社(
やしろ)に向かって拝礼していた。

井出が三宮神社に参拝したのは今回だけではない。創価新報(八月十六日付)に
は一昨年の八月にも同神社の神の聖域を示す「紙垂」で囲まれた社の前で合掌
・礼拝していた写真が掲載されており、例年のように参列しているのである。

この井出は、去る七月に大石寺の総代に再任されたばかり(下の辞令を参照)。

以前、井出は曽我神社の総代も兼務していた。そして大石寺の二大法要など
の際、ニセ法主の日如を先導して大石寺の境内を練り歩き、日如は謗法の総代
の後に続いて歩いていたのである。

 本紙前号で大石寺近郊の日蓮正宗の某寺のY副講頭が富士宮の上野地域を探
索する講座〔東西南北・歩こう上野〕という企画で五月二十七日に双体道祖神、
精進川浅間神社、馬頭観音の像の石造物や神社などを巡る案内役を務め、石造
物や神社の由来などを説明していたことを紹介した。

 更に、本紙第一五八二号では、富士地方部長の清功が六月、富士宮市・西山
本門寺の境内にある織田信長の首塚で行われた「信長公供養祭」に参列し、西
山本門寺・大詮坊の本間裕史住職をはじめ浄円坊、妙円坊の僧侶達が経を上げ
ていた時、清功も同座し焼香したことも伝えた。

 実は、この清功は浅間神社の神事に参列する常連だ。平成二十五年八月、小
川只道(理境坊)が清功に向かって「地方部長の立場にありながら神社の行事
に参加するとは何事か! 皆さんの前で謝りなさい」と叱り付けたことがある。

だが、小川には法華講員に謗法行為を叱責する資格はない。平成三年六月十
六日、関西医師会の有志が大石寺を訪れた際、正本堂や大客殿を案内した小川
は観光案内の代価として金員を貰った。

 また、同年八月四日、大石寺近くの熊久保地区で道端の道祖神に向かって「
厄払い」と称して読経・唱題して〝謗法の人達〟から供養を受け取っていた。

 これだけではない。同六年十一月五日、身延派の布教師会一行が大石寺を訪
問した際、大石寺側が丁重に迎えた様子が身延派の「布教師會報」 第二十号
に「日蓮正宗総本山・大石寺研修参拝記」として掲載された。

「参拝記」の公表により、身延僧八人の見学は「大石寺内事部の理事からの応
諾の電話を頂戴」して実現したとか、後日、案内役の大石寺僧から丁重な礼状
が送られてきた等々、裏の事情が明るみになった。

この「大石寺内事部の理事」とは小川のことで「(身延の)皆様の暖かなお
心に触れ(略)暖かな気持ちで御案内申し上げることができましたことを感謝
しております」と礼状を送った。

この小川只道も大石寺の総代で、大石寺総代は坊主も信徒も謗法に塗れてい
る。

 

フェイク 第1586号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 8月11日(金)16時59分35秒
  (発行17.08.10)

法華講幹部が神社・道祖神を案内
日如の「日蓮正宗は謗法厳誡」は真っ赤な嘘
富士学林の小僧が今年も邪宗寺を巡拝

日蓮正宗法華講の幹部が富士宮市内の神社や道祖神などを案内して回ったこ
とが物議を醸(かも)している。

これは富士宮の上野地域を探索する講座〔東西南北・歩こう上野〕という企
画で五月二十七日に「双体道祖神」「精進川浅間神社」「川掛の山の神」「馬
頭観音」の像の石造物や神社などを巡り(下の写真参照)、その案内役が大石寺
近郊の日蓮正宗の某寺のY副講頭だったのだ。

案内役のY副講頭は講座の受講者達に石造物や神社の由来などについて真剣
に説明していた。

まず、双体道祖神は天明元年(一七八一年)に造立され、災いを防ぐ神とし
て、集落の入口に置かれた。

また、精進川浅間神社前には「熊野大神宮」「浅間大神宮」「八幡大神宮」
の幟が立てられ、かつて村内にあった神社がここに合祀されたものという。

川掛(かわがけ)の山の神は石祠(石で作られた祠)が並んでいる。神や仏を
祀る石祠は江戸時代に盛んに作られたようで、ここには「山の神」「稲荷」な
どが祀られているとのことだ。

 日如は教徳寺の移転法要の際、謗法厳誡に触れて「昔から日蓮正宗では神社
仏閣の前で草鞋(わらじ)の鼻緒が切れても、そこで結んではいけない、と言わ
れた。それは紐を結ぶ時に頭を下げてしまうからです」等と自慢していたが、
法華講幹部が神社や石造物を案内し、説明して回るのは謗法ではないのか?

 法華講員の間でも「神社を案内して回るのは、やはり謗法だ」との声が多い。

 また、富士学林の小僧達の謗法寺への巡拝は恒例行事になっている。

今年も六月二十日.富士学林大学科一年生の二十三人が参加して日蓮大聖人
に有縁の地である千葉県安房方面への日帰り旅行を実施した。

一行は、まず、東京都大田区の池上本門寺を参拝。その後、千葉県の誕生寺
の祖師堂、本堂、宝塔を訪れ、続いて清澄寺から鏡忍寺を順次、巡拝していた。

また、既に本紙第一五八二号で紹介した通り、富士地方部長の清功が六月、
富士宮市・西山本門寺の境内にある織田信長の首塚で行われた「信長公供養祭」
に参列。西山本門寺・大詮坊の本間裕史住職をはじめ浄円坊、妙円坊の僧侶達が
経を上げ、清功も同座し焼香もした。日如の言う謗法厳誡は真っ赤なウソである。


 

フェイク 第1585号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 7月28日(金)22時07分17秒
  (発行=17.07.27)

宗門の財務部長・長倉日延が死亡
故人が不快感を抱いていた早瀬日如が導師
生前「早瀬と河辺にやられた」と嘆く

日蓮正宗の宗務院財務部長で北海道札幌市内の日正寺住職・長倉日延(権僧正)
が二十五日午後八時頃、死亡した。享年七十六歳。通夜は二十六日午後七時
から、告別式は二十七日午前十時から、いずれも早瀬日如の導師で行われた。

 通夜の際、日延の息子の長倉信祐が父親の略歴及び闘病生活に触れて「父は
ガンとの戦いで延命した」旨、語っていた。だが、実際は数年前に日延は胃が
んの手術をして、それ以降、術後の経過が悪く、命を縮めたと伝えられている。

 日延は昭和十六年六月三日生まれ、同二十九年に得度。能化になる前の平坊
主の時の名前は教明で、教師になって以降は実行寺、三之坊、本住坊、仏土寺
を経て平成四年十一月に大願寺に移り、同十一年九月には河辺慈篤との交代で
日正寺の住職になっていた。

 長倉教明(日延)が大願寺に移ると、約百世帯が富士宮市の妙蓮寺に所属替え、
その後も多くの講員が豊島区の常在寺など各末寺へ移籍。大願寺の御講等の行
事に参加する法華講員は減少の一途をたどり、激しい落ち込みを見せていた。

その理由は、法華講関係者によると、住職の長倉をはじめ寺族の冷酷な人間
性、特に、信徒を怒鳴りつける横柄な女房の多江子に対する不平・不満だと言
われていた。

寺族同心会大会で、日顕が〝住職の女房は態度が悪い。信徒をいたわり、優
しい言葉遣いの対応を心掛けるように〟と注意を促したことがあった。

あの〝かまし発言〟で知られる日顕でさえ注意せざるを得ないほど生意気な
言動の寺族がいて、その最たる者が長倉の女房だということだった。

 息子の信祐も大正大学で仏教学の博士号を取得しているものの、品行下劣な
言動で評判が悪かった。

 長倉は昭和五十五年、僧都に昇進して財務部長になり、以来、約三十七年間
にわたって務めてきた。

こんなに長い間、財務部長の地位にあったのは、都心の大願寺から札幌に左
遷されたうえ、部長の座まで奪われてなるものかと、その地位にしがみ付くこ
とだけに汲々としていたからと評されている。

 日正寺の地元では〝度外れた金狂い〟と非難され、供養の少ない講員には鼻
も引っかけない、信徒一人一人に「値札」を付けている、と言われていた。

 ところで、長倉が河辺慈篤と入れ替わりで日正寺へ移ったのは「大御本尊偽
物発言」の「河辺メモ」流出のあとである。

 当時、河辺の左遷人事と説明されていたが、実際は、河辺は〝栄転〟を喜び、
反対に長倉は「行きたくねえんだ。北海道へ」と凄く荒れていたという。この
件で長倉は「早瀬と河辺にやられた」と悔しがり、二人に対して不快感をあら
わにしていたという。この早瀬とは日如のことである。

河辺は既に他界したが、不快感を抱いていた日如が葬儀の導師では日延の悔
しさは倍加するだけで、救われないのではなかろうか。


 

フェイク 第1584号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 7月28日(金)22時01分7秒
  (発行=17.07.25)

伸びない折伏成果に焦る日如
勤行・唱題しない法主ら坊主と法華講員
法要でバタバタ倒れた講頭らの醜態

早瀬日如は平成三十三年の「法華講員八十万人体勢構築」が絶望的になった
今、焦った口調で坊主や法華講員に向かって盛んに「唱題して折伏せよ」と叫
んでいる。以前は「折伏しろ」の一辺倒だったが、最近では「絶対的な確信を
もって唱題に励み、その功徳と歓喜をもって折伏に当たることが肝要でありま
す」(七月度広布唱題会)等と同じような言葉を繰り返している。

先月は折伏成果が低迷している末寺の坊主を大石寺に集めて折伏推進指導会
を行なって檄を飛ばした。

その後も僧俗指導会を開いて折伏の進捗状況について厳しく追及しても各末
寺の成果は一向に伸びない。

布教部長の阿部信彰は春季総登山の際、今年の誓願目標を八月迄に、遅くと
も十月までには達成せよ、と強調したが、これも空念仏に終わることが確実だ。

〝法華講は七百年の歴史がある〟と自慢するが、その間、折伏など実践した
経験がないので、突然、八十万人構築とか言っても無理な話である。

そこで日如は己が大願寺時代から勤行・唱題をサボっていたのを棚に上げて
坊主や講員に「唱題して折伏せよ」と言い出したのだ。

だが、昔から法華講員の中で勤行・唱題する者は皆無に等しく、日蓮正宗の
坊主の間にも〝題目を上げるのは学会員だ〟という考えが定着していた。

 法華講の幹部が勤行・唱題などしていなかった実例を一つ紹介する。

昭和四十七年二月、大石寺の近くにある妙蓮寺に創価学会の池田会長(当時)
が願主となって四宿坊(蓮一坊、蓮二坊、蓮三坊、蓮四坊)が新築された。

落慶法要では日達法主の導師で読経・唱題した後、法主と会長が席を移動し
た。

続いて参列者が立ち上がろうとした時、最前列にいた法華講の講頭、総代な
ど幹部クラスの壮年が一斉にバタバタと倒れこんだ。

慣れてない勤行・唱題で足が痺れる

皆、足が痺れて立ち上がれなかったのである。互いに照れ笑いをしながら「
参ったなあ、足が痺れて立てない」「いつも勤行・唱題なんかしてないからな
あ」と言って足をさすっていた。

参加していた学会員は、当然ながらスッと立ち上がり、法華講幹部の醜態を
唖然とした表情で見ていた。

日々の勤行・唱題は信仰者として当たり前と思っている学会員と違って法華
講は幹部クラスも実践していないことが分かる出来事だった。

第一次宗門事件の頃、大石寺の六壺で所化が唱題していると、先輩から〝学
会員みたいなことをするな〟と怒鳴られ、いつも唱題する所化を指して「あい
つは怪しい〝学会寄り〟ではないか」とか「唱題している奴に気をつけろ」な
どと言われたという。

六壺で唱題している所化がいると聞いた日顕は、所化の指導会で唱題につい
て、こう指導した。「三十分ぐらい真剣に行うことは、よいと思うのでありま
す。しかし、それ以上は多すぎる事になってもかえって弊害があります」(昭
和五十九年八月行学講習会)

この日顕がニセ法主の座にいた間、夜の勤行をしたのは一度だけだった。


 

フェイク 第1583号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 7月20日(木)23時42分59秒
  (発行=17.07.20)

大聖人の御精神と無縁の大石寺
日蓮正宗が少年少女の合宿の参加を煽る
「八十万構築」に子ども達まで巻き込む

日蓮正宗は今月二十九・三十日に「中等部・高等部合宿」、八月五・六日に
「少年部合宿」を大石寺で行うが、各末寺では参加者の確保に苦労している。
そこで法華講機関誌「大白法」では「広布に羽ばたく人材になろう 中等部・
高等部合宿へ 総本山に集おう」(五月十六日付)をはじめ合宿に関する体験
談募集などの記事を載せ、更に「少年部合宿に参加しよう 元気いっぱい総本
山へ」(六月一日付)「少年部合宿の参加に当たって」(六月十六日付)や「
少年部合宿近づく」(七月一・十六日付)などの記事を掲載して子ども達の登
山を煽っている。

法華講には若者が少なく、青年部講習会にも年配者の参加が目立っていたの
で青年部を対象にした講習会は廃止になったが、中等・高等部員、少年部員も
少ない。

現時点でも未だ目標に達していないためギリギリまで登山申し込みの受付を
続け、七月十六日付「大白法」にも「法華講連合会では、一人でも多くの少年
部員が参加できるよう、追加申し込みを受け付けています」と書いている始末
だ。

中等部・高等部、少年部合宿の狙いは、大人だけでは平成三十三年の「法華
講員八十万人体勢構築」という無謀な誓願の達成が不可能なことが確実なので
子ども達まで駆り出して折伏させようとしているのである。

事実、これまでの少年部、中等・高等部の合宿では、代表の子どもに折伏の
体験発表をさせ、法華講幹部だけではなく、日如自らが中・高等部員に対して
折伏、勧誘を押し付けていた。
中学・高校生は本来、勉学に励み、スポーツで心身を鍛錬する年代である。

それを大石寺に集めて布教の一翼を担わせ、しかも小学生までも召集すると
は、浅井昭衛に洗脳されて勧誘に狂奔する邪教・顕正会と同様の悪質な教団だ。

子ども達を大石寺に集めるのに「四條金吾殿御返事」などを引いて罪障消滅
を謳っている。日蓮大聖人が身延への参詣を促された御文を大石寺に登山する
よう狡猾にスリ替えているのだ。

大石寺への登山は弊害

大聖人の滅後に創建された大石寺への登山は当然、御書には一切、述べられ
ていない。こう指摘すると、宗門関係者は身延離山の話を持ち出す。身延は大
聖人が晩年の約八年間を過ごされたが、民部日向や地頭の波木井日円の謗法に
よって汚濁した。大聖人は「地頭の不法ならん時は我も住むまじき」と日興上
人に御遺言されていた。

つまり、大聖人は〝謗法の山には、我が魂は住まない〟と宣言されていた。
この大聖人の御指南に従って、日興上人は身延を離山され、南条家の外護によ
って大石寺を創建された。

ところが、今の大石寺は身延よりも謗法にまみれている。「地頭」どころか、
相承なき悩乱したニセ法主が〝法主本仏論〟〝大聖人は迹、今の法主が本〟等
と唱えるなど大聖人の御精神は微塵もない。

今なら、大聖人は「法主の不法ならん時は我も住むまじき」と宣言されたに
違いない。こんな謗法の大石寺に、小・中学生、高校生を登山させるのは、子
ども達の将来のためにも弊害があると断言する。


 

フェイク 第1582号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 6月 9日(金)23時29分32秒
  (発行=17.06.08)

法華講の富士地方部長が謗法同座
謗法幹部の清功が「信長公供養祭」に参列
西山本門寺の僧の導師で勤行し焼香

日蓮正宗法華講の富士地方部長の清功(写真上)が六日、富士宮市・西山本門
寺の境内にある織田信長の首塚で行われた「信長公供養祭」に参列していた。

信長は天正十年(一五八二年)六月二日、京都本能寺に宿泊していた時、家
臣の明智光秀の謀反によって襲撃され、非業の死を遂げた。

ところが、信長の遺体は見つからなかった。そのため、密かに脱出し別の場
所で自害したという説や、信長を慕う僧と配下によって人知れず埋葬されたと
いう説などが後世に流布した。

また、事件当時も信長の生存説が流れ、光秀と対立する羽柴秀吉は、この噂
を利用して、味方を増やそうとしたと言われている。

西山本門寺の境内にある樹齢約五百年の柊の根元には信長の首が埋葬されて
いるとの伝説があり、「信長公首塚」(写真中)が築かれている。

供養祭を主催したのは信長公奉賛会で、同会は「織田信長公を供養し、会員
相互の親睦を図る」ことを目的に、平成二十三年に設立された。

供養祭は西山本門寺・大詮坊の本間裕史住職をはじめ浄円坊、妙円坊の僧侶
達が経を上げ、法華講の富士地方部長の清功も同座して合掌(写真下)、焼香し
た。

清功は浅間神社参拝の常連で、曽我神社の総代を兼務する大石寺総代の井出
某と共に〝日蓮正宗の二大謗法幹部〟と言われている。

法華講幹部の謗法を
教導できない日如

平成二十四年九月七日、富士山本宮浅間大社の拝殿で中村徳彦宮司を祭司と
して富士山の夏山シーズンの終わりを告げる閉山祭が行なわれ、清功も大社役
員、氏子衆や崇敬者などと共に参列。お祓いの後、神職が約二ヶ月間にわたる
開山の終了を報告する祝詞をあげ、清功は参列者を代表して玉串を奉納した。

翌二十五年七月一日には「富士山お山開き」で富士山本宮浅間大社と富士根
本宮村山浅間神社で登山の無事・安全を祈願する神事が行なわれた時も清功は
参加していた。

こんな清功の謗法同座の行為に対しても法主の日如は知らん顔を決め込み、
教導できないのである。


 

フェイク 第1581号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 5月25日(木)21時15分35秒
  (発行=17.05.24)

日如ら坊主の講義は今年も不評
大石寺で実りのない夏期講習会が始まる
空理空論の講義に参加者は「馬耳東風」

日蓮正宗の第十四回法華講夏期講習会が二十・二十一日に大石寺で始まった。

今年のテーマは「折伏育成のために―自行化他の実践で誓願達成―」。宗内
情報によると、このテーマは早瀬日如が独断で決めたということだ。折伏・育
成が低迷しているため業を煮やした日如が顕正会のように法華講員を信者獲得
に狂奔させるのが狙いなのである。

各末寺には夏期講習会参加の人数が割り当てられていたが、宗門関係者によ
ると、今年も割当人数に満たない末寺支部が幾つもあるという。

特に、最近は年間を通して支部登山などノルマが増えているのに加え、法華
講員の高齢化が進んでいるため、夏期講習会の参加者も減少の一途をたどって
いるのが現状だ。

そのため第七回講習会からは以前の十期から半分の五期に縮小した。

 また、従来は第五期の講習会は青年部を対象にしたものであったが、青年部
の講習会に若者ではなく、年配の参加者が目立っていた。若い講員は殆どいな
いし、講習会に若者が集まらないので昨年から青年部講習会は廃止になった。

講義内容はマンネリで、第一期初日の二十日の一時限目が「法華講員八十万
人体勢構築への折伏戦と組織作り」、二時限目は「法華講員の心得」、三時限
目は「広布の人材育成の推進」というものである。

三人の担当講師は、いずれも折伏の実践経験のない坊主で、観念論を振りか
ざして折伏の檄を飛ばして、入信した者を登山や御講に参加する信者にしてい
くよう訴える〝十年一日〟の如きもので不評だった。

担当講師の坊主は自らが折伏をした経験が全くないので、自分の折伏体験な
どを披露できない。

日如にしても、折伏はできないし、立派な信徒を育てた実績もない。そのた
め、かつて大願寺に在勤した経験のある改革同盟の渡辺雄範氏は日如を「言行
不一致の悪僧」と指弾していた。

この日如に限らず担当講師の坊主は口先だけの空理空論ばかりだから、参加
者は聞き流しているといった感じで、講義の時、殆んどの受講者は終始、無関
心の表情をしていた。

 法華講の講習会は以前、未活動者も参加対象にして、強制的に連れ出してい
た。

ところが、講義会場で居眠りする者、会場を抜け出して山内を勝手に散策、
またタバコを吸いながら雑談する者なども多かった。

そこで参加対象を絞って講頭、副講頭、認証幹事、支部役員及び活動家を対
象にする今のように変更したのだが、相変わらず実りのない講習会になってい
る。


 

フェイク 第1580号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 5月13日(土)10時33分35秒
  (発行=17.05.11)

「妙の字は若い女の乱れ髪」?
日顕の低劣・下品な妄説、珍説、愚説を笑う
今月から始まる夏期講習会に参加する価値なし

 日蓮正宗大石寺での法華講夏期講習会が今月二十・二十一日の第一期から始
まる。この講習会で思い出すのはニセ法主元祖・日顕の低劣で下品な珍説法で
ある。

 今の日如の講義は教学部副部長・宮野審道や寂日坊の永栄義親(教学研鑽所)
らが書いた原稿を棒読みするだけだから、法主の講義といっても有り難がって
拝聴する者は少なく、受講者は「聴いても何の役にも立たない」(壮年)と不評
なのだが、日顕は卑猥な話とか怪談が定番になっていた。

 日顕は受講者から笑いを取ろうとしていたのだが、講義の最中、イヤらしい
笑いを浮かべていたのは日顕一人だけで、エロ説法の際、男性講員はムッと怒
った表情で聞き、女性講員は赤面して下を向く者が多かった。

 そんな日顕の説法の一部を紹介する。

 「釈尊が成道する前に、も~、非常に女人が出てきましてね。あらゆる女人
が裸で、ウフッ(日顕はイヤらしく笑う)出てきて~、スッ裸になったり~、裸
体を晒すんです。ウフッ、それで所謂、情欲を仏様の~、ズヒ~(日顕が息を
吸う)、まあ~……」(平成十六年)

 こんな調子で話をしていた。特に「若い女の乱れ髪」は本紙が以前、紹介し
たので有名になったが、ここで改めて振り返る。

 日顕は一念三千について説明した際、妙法蓮華経の妙について「この『妙』
ということはね、『妙の字は若い女の乱れ髪』という詩を知っていますか?
若い女の乱れ髪、結う(言う)に結われず、解く(説く)に解かれず。あの乱れた
髪がね、だから結うことも出来ない、解くことも出来ない。それが若い女の髪
が乱れた時のねえ、ウフッ、まあ、要するに、それが『妙』であります」(平
成九年)

 若い女の乱れ髪とか男女の愛欲について得々と語っていたが、これが法主の
夏期講習会での講義だったから驚き、呆れるではないか。日顕が悩乱している
のが、良く分かる話である。

日顕はエロ説法と怪談

 他にも日顕のエロ説法は多いが、本紙の品位が汚れるので割愛するが、幽霊
の話など怪談も多くあった。

 「通力のある人は『ここに何かいるな、アッこれは鬼だな』とか、あの『幽
霊だ』『これは前に男に捨てられて、子ども産んで子どもと一緒に死んだ人の
霊が、ここにいるな』とか、通力のある人には、よく分かるんです」(平成九
年)

 こんな話を聞くと、日顕自身が若い頃に騙した女性の怨念を感じているので
はないかと勘繰りたくもなる。

 これは行学講習会での話だが「幽霊はいると思う。ワシが本行寺の住職をし
ていたとき、(ある信徒が)『息子に幽霊が馬乗りになっている』というのを
聞いたことがある」(昭和六十三年)等の幽霊の話ばかりか、教師講習会の閉
講式では「やっぱり霊能者っていうのがいるんです」「(霊能が)事実、当た
ってんです」(平成十七年八月)と霊能者や他宗教の「拝み屋」を肯定するな
ど、日顕の怪談や珍説は枚挙に暇がない。

 以上、簡単に記した通り、日顕はエロ話とか怪談だったが、今の日如は平坊
主が書いた原稿の棒読みで、こんな夏期講習会に参加しても時間と費用の無駄
である。


 

フェイク 第1579号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 5月 2日(火)22時50分29秒
  (発行=17.05.01)

宗史の美化が日蓮正宗の常套手段
園田司道の虫払いでの布教講演を糺す
五重塔の重要文化財指定は学会の外護による

日蓮正宗大石寺での虫払い法要(四月六日)の際、本修寺(東京都足立区)の園
田司道が欺瞞の布教講演をしていたので、前号の合原歓道に続いて糺すことに
する。園田は「折伏と育成で広布へ前進」と題する講演で、前半は五重塔の建
立から今年一月の修復完成までの経緯を語り「昭和四十一年、国の重要文化財
に指定された」と述べていた。

この五重塔に関しては本紙1570号でも詳述したが、かつて五重塔は朽ち
かけていて、それを修復したのが創価学会であり、この学会の外護による修復
の結果、国の重要文化財に指定された事実を園田は一切、触れずに隠していた。
園田の話は狡猾な宗門の体質を如実に物語っている。

宗門にとって、都合の悪いことは素知らぬ顔で伏せて宗門史を美化するのが、
日蓮正宗の汚い手口であり、最近では「富士年表」も改竄して、学会が全国に
末寺を建立寄進した事実を隠し、宗門が建立したかのように書き直している。
三百五十六ケ寺の建立の全てを改竄しているのだ。

本号では園田が隠している五重塔の修復について、改めて述べる。

明治の頃、五重塔の銅瓦を売却し、その代金を着服して贅沢三昧に耽り、自
宅を豪邸に造り替えた悪僧がいた。この頃の法主は第五十五世の日布で、この
日布について第五十九世・日亨上人は「おだやかな人でね。ほとんど生きてい
るか、死んでいるか分からんような穏健な人」と語っていた。

こんな無能法主を騙して悪事を働いた坊主について日亨上人は次のように語
っていたので、少し長くなるが紹介する。

「その頃、久成坊に長谷川という現代向きの世才家があってね。すっかり、
人の良い日布上人をごまかしてしまった。自分の家などはね、文化式というか、
ほとんど旅館同然にこしらえたんですよ。中に廊下をはさんでね、南北にずっ
と客室をこしらえて。便所なんかでも立派なもんでしたよ。そんなことには才
があった。

ところが、ひどいことには五重塔の銅(あか)瓦をごまかして儲けたわけです。

この頃、トタンという珍しいカネができましたから、そのカネでもって作る
というと、萬代むきで、銅(あか)がねのように錆びはしませんから、トタンに
五重塔をふきかえた方がいいです、なんて貫主さんに言った。

貫主さんは何にも知らん人で、そうか、そんなものができたのか、じゃ、よ
ろしく頼むなどと言って銅を高く賣っちゃって、トタンぶきにしてしまった。

そういうバカなことをやっている。そして、それを塗ればよいのに塗らない
でおいたでしょう。そのトタンが錆びて、そこから漏るようになってしまって、
それで仕様がなくて、日應上人時代にですね、そのトタンをはいで、瓦にして
しまった。それが充分でないから先年、學會の厄介になって修理した」(「大
白蓮華」昭和三十一年十二月号)

トタン屋根や朽ちかけた五重塔であれば重要文化財には指定されていない。

この他、布教講演で園田は慈悲の心、柔和忍辱について語っていたが、これ
は法華講員にではなく、住職を自殺に追い込み、隠居させ、左遷する無慈悲な
日如に向かって言うことだ。


 

フェイク 第1578号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 4月27日(木)23時45分7秒
  (発行=17.04.27)

「残してならない法主本仏の邪義」
合原歓道の虫払いでの布教講演を粉砕す
僧侶主導の広布の基盤は軟弱で崩壊へ

日蓮正宗大石寺での虫払い法要(四月六日)の際、法勝寺(埼玉県・大宮区)の
合原歓道が布教講演をした。「甘露をもって灌(そそ)がるるが如し」と題した
講演は、薄っぺらな内容で日如の話や御書、六巻抄、法華経等の引用文を継ぎ
足して折伏を煽るものだった。

合原は全国布教師になっているが、奈良県の仏覚寺にいた時も、今の法勝寺
に異動してからも説法は頓珍漢の雑談に終始し、法華講員の間で嘲笑の的にな
ったり、怒りを買うこともある。

特に、合原はマンガが好きなようで、平成二十一年二月、所沢・能安寺での
埼玉布教区広布推進会に地域担当員として参加した時は、定額給付金の給付が
決まったこともあって「埼玉の春日部にはクレヨンしんちゃんの家族がいる。
クレヨンしんちゃんの家族には定額給付金は幾らおりるのかなあ?」「皆さん、
定額給付金の一万二千円は全額、大石寺への登山会に使おう」と僅かな定額給
付金まで搾り取る話をしたので法華講員が怒って本紙に通報してきたことがあ
った。

学会は正、宗門は邪

布教講演で合原は「創価学会が破門されてより四半世紀、僧侶主導・法華講
主体の広布の磐石なる基盤構築は急務であります」と、基盤が軟弱である旨、
吐露していた。

折伏は停滞して、登山者も御講参加者も減少の一途を辿っており、軟弱な基
盤は崩壊しているのが現状だ。

また、合原は「寂日房御書」の「かゝる者の弟子檀那とならん人々は宿縁ふ
かしと思ひて、日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」を引いて「法華講衆に『
折伏せよ』と仰せくだされております」と述べていた。

合原は誤魔化しているが、大聖人は法華講員だけではなく、坊主も折伏せよ、
と言われているのだ。

更に、合原は後世に残すものと、絶対に残してはならないものがあると前置
きして「残してならないものは創価学会、顕正会等の邪義・邪宗です」と学会
を顕正会と同列に論じている。

顕正会の邪見は残る筈もないが、絶対に残してはならないのは日顕と信彰が
推奨した「法主は現代の大聖人様」「現法主が『本』で御本仏日蓮大聖人は『
迹』」との「法主本仏論」、及び坊主の信徒蔑視、謗法容認、御書否定、遊蕩
癖、供養強奪の悪しき体質である。

「道理証文よりも現証にはすぎず」である。日蓮大聖人直結、御書根本で進
む創価学会と、その学会を破門して法主への「信伏随従」を強いる邪宗門。ど
ちらが「正」で、どちらが「邪」か、現証を見れば一目瞭然であろう。

この広宣流布を堅実に進める「和合僧」の学会を破門したニセ法主元祖・日
顕が第六天の魔王であることは言うまでもないが、ニセ法主二世・日如も日顕
と同じく無慈悲で冷酷だと宗内から非難の声がある。

それは先月、自殺した日成寺(埼玉県朝霞市)の安孫子信洋の通夜にも葬儀に
も日如が姿を見せなかった件である(本紙前号で詳報)。

二月二十七・二十八日には妙相寺(長野市)の住職・落合尊福の女房の通夜と
葬儀で導師を勤めた日如が、安孫子の葬儀には来ない。非難されて当然の悪僧
だ。


 

フェイク 第1577号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 4月13日(木)17時18分50秒
  (発行=17.04.13)

日成寺の住職が首吊り自殺!
無謀なノルマと人間関係に悩んだ安孫子信洋
冷酷で無慈悲な邪宗門の悲しい犠牲者

日蓮正宗・日成寺(埼玉県朝霞市)住職で権大僧都の安孫子信洋(写真)が三月
二十四日朝、寺の敷地内で首を吊って死んでいるのが発見された。四十六歳だ
った。

身内の嘆き悲しみは察するに余りあるが、知らせを受けた早瀬日如は顔色を
変えて「えっ」と言った後、暫くの間、言葉を失っていたということである。

 自殺の原因は、残された遺書によると、日如が打ち出した過酷な折伏ノルマ
の進捗状況を苦にしており、そのうえ、寺の法華講員との人間関係にも悩んで
いたことがうかがえた。

 日如が絶句したのも無理は無い。安孫子は昨年十一月二十四日、佐々木正演
の後任として同寺の第二代住職に就任したばかりだった。 安孫子は就任の挨
拶で「宗開両祖の御聖訓を心肝に染め、大法広布、寺運興隆、寺檀和合に精進
し、以て仏祖三宝の御恩徳を報じ奉り、御法主日如上人猊下、御師範日顕上人
猊下の御慈悲にお応え申し上げる覚悟でございます」と述べていた。

それから僅か四ケ月後に、このような悲劇が起こるとは誰も予想できなかった。

 故人を良く知る人達は異口同音に「真面目な人でした」と言う。日蓮正宗の
僧の中では珍しく正直で誠実な人柄だった。

それだけに宗務院布教部の度を過ぎた厳しい締め付けに耐えられず、自ら命
を絶ったと思われる。実に痛ましいことである。

 日蓮正宗の僧の中には、詐欺まがいの折伏を成果として数え、或いは帳尻合
わせの成果で誤魔化すような狡猾な住職もいる。

そんな悪辣な坊主と違って、正直な安孫子を日如や布教部長の阿部信彰らは
自殺するまで追い込んだ結果の悲劇であり、冷酷で無慈悲な邪宗門の悲しい犠
牲者といえる。

葬儀の導師を断った
日如に「冷酷だ」の声

 本来なら住職の死は速やかに「宗務広報」などで宗内に知らされ、日如が大
導師を勤めるのだが、安孫子の場合、直ぐには徹底されなかった。

しかも、日如は通夜にも告別式にも姿を見せず、埼玉布教区が主体になって
二十七日に通夜、二十八日に葬儀が佐藤日栄の導師で行なわれた。その日如の
仕打ちに「余りにも冷酷すぎる」と関係者は嘆いていた。

 安孫子は昭和四十六年二月生まれ、同五十八年に得度。信善寺やブラジルの
正法寺住職を経て昨年十一月に日成寺の住職になった。

 毎年、信徒の一割増という乱暴なノルマに苦しみ、悩んだ末に還俗し、或い
は隠居した者もいる。ストレスが溜まって性犯罪に走った住職もいたし、法敬
院(対馬市)の長野良宏のように親元に逃げ帰った者もいる。そして遂に、住職
の自殺という最悪の事態を招いた。

過去には火災で焼死した法主(日恭)、地震で倒れた石塔の下敷きになって死
んだ学頭(久遠院日謄)、自業自得の罪で自ら命を絶った住職などはいた。だが、
無謀なノルマを苦に前途ある住職が自殺するとは、日蓮正宗の末期的症状を象
徴する出来事といえよう。


 

フェイク 第1576号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 4月 8日(土)22時23分39秒
  (発行=17.04.08)

御宝蔵の中は虫の死骸などが散乱
大雨注意報のなか、大石寺で「虫払い」法要
湿度九十%の日に「湿気を払う」とは滑稽だ

日蓮正宗大石寺では四月六・七日の両日、恒例の虫払い法要を行なった。初
日の午前中は春の陽気だったが、法要の初めの行事である午後一時半からの御
開扉が近づくと時折、雨が降り始め、夜の早瀬日如の御書講が始まる頃には本
降りになり、気温も急に下がった。

 二日目は「大雨注意報」が出て、早朝から昼過ぎまで断続的に雨が降り続き、
午前七時からの御影堂での御開山御講の時間も雨。同九時から客殿で始まった
霊宝虫払い、御真翰巻き返しの時間帯も雨で、本山内が霞んできて、今回も諸
天の加護が全くないことがうかがえた。湿度は九十~九十三%だった。

 この虫払い法要について宗門側は「重要な宝物を後世に永く伝えていくため、
年に一度、湿気を払い、お風入れをして害虫を除くなど保存に必要な手入れ」
をする行事だと説明している。

 だが、雨で湿度が九十~九十三%という日に「湿気を払う」とは実に面白い。
参加した法華講員は「本当に『宝物を後世に永く伝えていくため』であるなら、
少なくても月に一度くらいは『お風入れ』をした方が良いのでは……」と呟い
ていた。

確かに、重宝類の手入れが目的ならば、全国から信者をムリに集めてやらな
くても、大石寺の大坊に百人ほどもゴロゴロしている無任所坊主に定期的に手
入れをさせた方が良い。

 そうしないのは虫払いを秋のお会式と合わせて二大行事と銘打ち、信徒を集
めて御開扉料や御供養の金が欲しいからである。

 また、宗門は「本弟子六人のうち日昭などの五人は大聖人が仮名文字で書か
れた手紙を残しておくことは恥、と言って大事にしなかった」と非難している。

しかし、改革僧は「今の宗門も五老僧と同じで重宝類を大事にしていない。
その証拠に御宝蔵の管理は極めて杜撰だ」と指摘する。

御宝蔵の掃除は年に一度、虫払い法要の前だけで、以前、御宝蔵の清掃をし
た改革同盟の山口雄在氏は「虫の死骸が散乱し、汚れがひどくて拭き掃除をし
た雑巾を洗ったバケツの水が泥水のように真っ黒になった」と述懐。同じく植
松雄増氏は「御厨子の中や御本尊にもクモの巣がはり、お供えしてあった鏡餅
がカビだらけだった」と語る。

大石寺が虫払い法要を始めた時期は不明だが、古い資料としては元亀四年(一
五七三年)の「霊宝虫払日記」がある。また天明元年(一七八一年)の記録には
「虫払いは三歳に壱度也」と記されており、三年毎に行なわれていたようだ。
正式行事になったのは江戸末期の四十八世日量の頃で、明治以降、四月六・七
日に行なわれるようになった。

法要に日顕は欠席

 この法要では隠居した日顕の姿を見ることはなかった。元気なら参加する筈
だが、体調が悪いようだ。


 

フェイク 第1575号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 4月 6日(木)10時58分56秒
  (発行=17.04.04)

日蓮正宗に折伏できる坊主は皆無
大石寺の春季登山での講頭会、総会を嗤う
「僧侶主導」は絵空事、責任を信徒に押付け

日蓮正宗は法華講春季総登山の初日の三月二十五日、大書院で講頭会を行い、
全国の支部講頭に対して平成三十三年の「法華講員八十万人体勢構築」を達成
するため全支部が折伏に全力で取り組むよう訴えていた。

なかでも、布教部長の阿部信彰は「(折伏は)我らの一生成仏にとって欠くべ
からざる、最も大事な仏道修行であります」との日如の話を引用し、今年の誓
願目標を八月までに、遅くとも十月までには達成せよ、と強調していた。

「一生成仏にとって欠くべからざる最も大事な仏道修行」と言いながら、日
如も信彰も折伏の檄を飛ばすだけで実践していない。戸田二代会長は「坊主自
身は成仏できると思っているのか?」と喝破したが、坊主は成仏できないこと
を自覚して諦めているのだろう。

日如が新宿区の大願寺にいた頃の話として「学会は折伏、折伏と言っている
が、あんなの寺に連れて来て、御授戒を受けさせるだけだから簡単だろ」と言
っていた。これは当時、同寺に在勤していた渡辺雄範氏(改革同盟)の証言であ
る。

折伏の体験のない日如は、寺に連れて行くまでの紹介者の真剣な祈り、心遣
いや苦労など想像できないのだ。

また、日如は講頭会で昨年の折伏について「残念ながら全支部が達成とはな
らなかった」と苦言を呈し、勝利の秘訣は「唱題」「団結」だと訴えていた。

これに関しても渡辺雄範氏は、日如が勤行・唱題嫌いだと実例を挙げて「(日
如は)信仰の基本である勤行を平気でさぼる」と指摘して「夕方、来客がある
と、午後六時からの寺の勤行もせず、客と一緒に外食に出掛ける」と厳しく指
弾。日如は反論不能だ。朝、勤行するのを見たことがない、との声もある。

こんな日如が「唱題」を訴えても虚しいばかりで、講頭達の胸には響かない。

八十万達成は不可能

更に、日如は講頭に「言い訳をするな」「愚痴を言うな」と釘を刺し、法華
講員八十万人体勢構築へ向かっている今、講頭の信心のいかんが問われる、と
力説していた。

宗門は「僧侶主導の広宣流布」を標榜しながら責任を講頭に押し付ける。「
信徒主導」に転換すべきだ。

現在の宗門は坊主が法華講員に向かって檄を飛ばし、講員に折伏させる仕組
みだ。

その法華講員には功徳の体験がないから信心の確信ある折伏は出来ない。

そして坊主は未入信の人との接点がなく、接点をもとうともしない。仮に、
接点があったとしても外部の人を折伏できるような力ある坊主は、現在の宗門
には皆無である。

日蓮大聖人、日興上人が率先して折伏の最前線で戦われたのとは正反対であ
る。

こんな状態では八十万人体勢構築は平成三十三年とどころか、何百年経って
も不可能だと断定する。

法華講が未入信の人達を折伏できないから、総登山二日目の二十六日の総会
では連合会副委員長の篠田泰夫、委員長の星野浩一郎が学会員の折伏を煽って
いた。

だが、講員は学会員を折伏できないばかりか、苦しいノルマ信仰が嫌になっ
て、今後ますます脱講する講員が増えるに違いない。


 

フェイク 第1574号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 4月 3日(月)22時25分51秒
  (発行=17.04.02)

厚田墓園は道内随一の桜の名所
総合情報誌「HO(ほ)」5月号で特集し紹介
戸田・池田先生の師弟愛と桜守の献身

北海道の旬な情報を独自の視点で紹介する人気の総合情報誌「HO(ほ)」5
月号で厚田の戸田記念墓地公園(石狩市厚田区)の桜を特集して紹介し、明るい
話題になっている。

かつて、札幌から北ではソメイヨシノは育たないと言われていた。だが、今
では厚田の戸田記念墓地公園が道内屈指のソメイヨシノなど桜の名所になって
いる。

その陰には一人の桜守の懸命な努力と忍耐があったことを同誌は紹介したあ
と「毎年十五万人もの見物客が押し寄せ、その数は年々増え続けている」と説
明。「一人の桜守」である故・佐々木忠さんによって東京ドーム三十四個分に
相当する広大な桜の園になった経緯を感動的に記している。

 そして同園の全景、桜並木、桜のトンネルなど豊富な写真に加えて、在りし
日の佐々木忠さんが作業している写真も載せている。

更に、同誌は戸田先生と池田先生の師弟の絆について記述。ソメイヨシノを
愛した戸田先生の故郷である厚田の地を桜花で荘厳したいと願った後継の池田
先生の熱い一念に触れ「(池田第三代会長が)戸田氏の功績を顕彰する思いを込めて、
ソメイヨシノが咲き誇る施設にしたいと計画し、完成させた」と麗しい師弟の絆の
一端を述べて二人の写真を掲載している。

 この戸田墓地公園の桜は平成二十一年、旅行雑誌・北海道ウォーカーGW号
に「北海道の絶景桜30」の「絶景スポット第一位」に輝いたと紹介され、ま
た、昨年五月二十八日には「北の大地 さくら物語」と題してテレビ(BS)で
全国に放送されて多大な反響を呼んだことは記憶に新しい。

 特に、池田先生は随筆やスピーチ等を通して、昭和五十二年の開園当初から
桜の植栽に携わってきた〝名桜守〟の佐々木忠さんの苦労を称賛。「佐々木さ
んは、わが子に対するかのように、一本一本の桜に『元気か』『頑張れ』と祈
り、語りかけながら,丹精してこられた。まさに、学会伝統の個人指導と同じ
である。

その献身的な努力によって、不可能と思われた北限の地に、あの桜花の園林
ができあがったのである」(平成十二年五月三十日付の随筆「新・人間革命」)
と讃嘆した。

同園では毎年、恒例の「観桜の集い」を開催している。その集いには北海道
の各界を代表する著名人、地域の名士をはじめ約千五百人が集って楽しい賑わ
いを見せている。

一方、佐々木さんが丹精込めた大石寺の数万本の桜は極悪坊主・日顕の指示
で伐採され、ほとんど使われることのない駐車場になっている。

厚田の戸田記念墓地公園では五月初旬には約八千本の桜の満開の季節を迎え
る。今年も多くの人が道内随一の桜の園を訪れ、爛漫と咲き誇る桜花を堪能す
ることだろう。


 

フェイク 第1573号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 3月28日(火)21時52分33秒
  (発行=17.03.28)

法華講総会に参加者は落胆!
冷たい雨の中、日蓮正宗大石寺の春季総登山
日如らが折伏・育成・登山の檄飛ばす

日蓮正宗・法華講の春季総登山が三月二十五・二十六日の両日、大石寺で行
なわれた。初日の二十五日には法華講連合会の役員らがニセ法主の早瀬日如と
の目通りの後、御開扉、更に、全国の末寺支部の講頭会を開いて折伏・育成・
供養・登山・末寺の御講への参加などの無理難題ばかりを押し付け、夜は客殿
で日如の下手な講義があった。

二日目の二十六日は早朝から登山者が乗用車で着山していたが、この日は未
明から春とは思えない冷たい雨が降り、気温は4度。強風・波浪注意報も出て
いて、底冷えのするなか午前七時からの御開扉に登山者は震えながら参加して
いた。

富士宮の北部は雪が降り、その影響で大石寺の周辺の道路は異常なほどの交
通渋滞になった。

春季総登山の中で主要行事となる法華講連合会の第五十四回総会の開始時間
である午前十時に間に合わず、遅れて着山する登山車両が見られた。

総会は広布坊を主会場にして大講堂、客殿、総一坊、総二坊、常来坊などに
分散して主会場の映像と音声を同時中継して行なわれた。

総会は体験発表の後、連合会副委員長の篠田泰夫の話に次いで日如が檄を飛
ばし、最後に委員長の星野浩一郎が挨拶した。

各登壇者は異口同音に、平成三十三年の「法華講員八十万人体勢構築」を達
成するため全支部が折伏・育成に全力で取り組むよう訴えていただけで、信心
の歓喜も感動もなく、勇気が湧くような話は皆無だったと参加者は落胆してい
た。

これでは登山者が増える筈がない。いつも行事の参加者数を知らせてくれる
連合会関係者は「今年も目標には届かなかった」と言うだけで、正確な数字を
明かさなかったところをみると、昨年よりも登山者が減ったようだ。

確かに、春季彼岸法要が終ったばかりで、四月になると、すぐに虫払い法要
の登山がある。

法華講員は厳しい経済事情の中、生活に追われている。功徳もないのに、本
山や寺にばかり行って供養する余裕などないだろう。

日如が言う「法華講員八十万人達成」は絶対に実現が不可能だと断言する。



 

フェイク 第1572号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 3月14日(火)20時13分18秒
  (発行=17.03.13)

元日蓮正宗僧・西村正雅に有罪判決
懲役三年、保護観察付きの執行猶予五年
強制わいせつ致傷、強盗傷害、下着泥棒

日蓮正宗(総本山は静岡県富士宮市内)の〝破廉恥坊主〟として、国内はもと
より、広く海外にも知れ渡っていた西村正雅(四五歳)に十日、有罪判決が下り
た。

強制わいせつ致傷、強盗傷害、下着泥棒の罪に問われていた西村被告の裁判
員裁判の判決公判で静岡地裁沼津支部は同被告に懲役三年、保護観察付きの執
行猶予五年(求刑は懲役五年)を言い渡した。

 判決によると、西村は平成二十八年八月二十三日、静岡県三島市内で県東部
の四十代の女性に背後から抱きついて転倒させ、わいせつな行為をして約一カ
月の怪我を負わせ、更に、清水町内では県東部の五十代の女性に暴行を加えて
転倒させて下着を奪い、約二週間の怪我をさせた。

 また同日、三島市内のアパートや一般住宅の軒先で下着を十三枚も盗んだ窃
盗罪という悪質な犯罪を重ねたとしている。

 斎藤千恵裁判長は量刑理由で「わずか半日の間に犯意や態様をエスカレート
させた」とする一方で「性犯罪者処遇のプログラムなどを通じて再犯防止に向
けて改善更生を図る」と説明した。

この判決に先立つ八日の論告求刑公判て、検察側は「ゆがんだ性的欲望を満た
すための犯行で、被害者に肉体的、精神的に苦痛を与えた結果は重大である」
と指摘していた。

 西村は犯行時の二十八年八月二十三日は開道寺(北海道留萌市内)の住職で日
蓮正宗の総本山・大石寺での全国教師講習会に参加するために静岡県に来てい
た。逮捕された時、西村は「いたずら目的だった」と容疑を認めていた。「教
師講習会に来て婦人に暴行し、わいせつ行為を働き、女性の下着を十三枚も盗
むとは、大石寺はどんな講習をしているのか? 甚だ疑問だ」との声も聞かれ
た。

西村は昭和四十六年四月十九日、本山・久成坊の西村荘道(故人)の次男とし
て生まれ、同五十九年に得度。平成八年四月に教師補任、平成十三年には青森
の法典院主管になり、平成二十六年にはシカゴの妙行寺住職になったが、法典
院時代の金銭不祥事が発覚して住職を解任された。

だが、約半年間の謹慎を経て平成二十七年七月、開道寺の住職になっていた。

西村一族は父親の荘道の頃から極悪坊主の日顕に近いと言われている。正雅
の兄で日顕の元奥番・道超も平成十二年には交通死亡事故を起こし、業務上過
失致死罪で実刑判決を受けて僧籍を剥奪され、服役していたが、その後、宗門
に密かに復帰している。

西村は拘置所で還俗届を書いて現在、僧籍はないが、やがて「保護観察付き
僧」として日蓮正宗に復帰するのだろうか?


 

フェイク 第1571号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 3月 8日(水)19時43分12秒
  (発行=17.03.08)

塗炭の苦しみに喘ぐ法華講員
早瀬日如の広布唱題会での戯言を破す
功徳のない登山、供養、折伏、御講を強要

早瀬日如が本山客殿での二月度広布唱題会で学会を次のように誹謗していた。
「今や創価学会をはじめ、邪義邪宗の謗法の害毒によって多くの人達が塗炭(
とたん)の苦しみに喘(あえ)いでいます」等々。

 厚顔無恥とは日如のことである。今、最も〝塗炭の苦しみに喘いでいる〟の
は邪宗と化した日蓮正宗の法華講員だということを日如は認識していないのか。

供養に次ぐ供養、折伏のノルマ、御講への強制的な参加、登山の強要など信
徒に無理難題を押し付けている。講員は苦しみだけで、信仰の喜びなど何もな
い。

 まず供養は、これまで日蓮正宗では平成六年に約三千万円の「六万塔」を建
立するために、二十一億円も搾り取ったのをはじめ同十年の「客殿」の際に四
十一億円を収奪した。
加えて、五十億円以上の費用をかけて正本堂を解体したうえ同十四年の「奉安
堂」で百六十八億円、同二十五年の「御影堂」と「塔中坊の建て替え」で百二
十億円と、立て続けに莫大な供養を取り立てた。

また、昨年末の大聖人御聖誕八〇〇年の第一回特別供養は二十四億五百五十
万円余を集めた。この特別供養は明年の平成三十年、同三十二年と三回も続け
て計七十億円を集めるという。

しかし、法華講員が供養を続けても功徳がないばかりか、日顕や日如らは感
謝もしない。

 折伏については全末寺に信徒数の一割増加をノルマとして課している。昨年、
目標を達成できなかった末寺の坊主を一月五日、大石寺に呼びつけて新年早々、
厳しく締め上げていた。

布教部長の阿部信彰は街頭折伏など無差別に声を掛けるよう煽っていたこと
もあり、常在寺(都内南池袋)の前では先日、腰の曲がった老婦人が雨の中、傘
も差さずに通行人にチラシを配る哀れな姿が見られた。

ところが、理境坊の小川只道は二月の広布推進会で「折伏だからといって、
あっちこっちに声を掛けないように」と釘を刺していた。

無差別に声を掛けるのか、掛けないのか、法華講員は戸惑うだろうが、どっ
ちにしても慈悲の発露ではなく、成果主義の行為に効果など全く期待できない。

いよいよ四月からは折伏の進んでいない末寺の坊主と法華講幹部を対象に布
教区別指導会を開いて締め付けるとのことだが、信徒の苦しみは増すばかりだ。

こんな供養と折伏に加えて信徒は毎月の御講と登山に苦しめられている。

今月二十五・二十六日は春季総登山があり、その際、開催する法華講連合会
の第五十四回総会のスローガンは「果敢な折伏と不断の育成」「講中一結、御
講参詣と支部総登山」だから、総会でも毎月の御講と共に登山会への参加が強
要されることは間違いない。

言うまでもなく、大聖人、日興上人、日目上人などは率先して折伏弘教の範
を示された。反対に、日如らは偉そうに法華講員に対して檄を飛ばすだけで自
らは折伏も実践しない。彼等が大聖人の末流でない証拠だ。


 

フェイク 第1570号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 2月21日(火)10時16分0秒
  (発行=17.02.20)

悪僧が五重塔の銅瓦を売り着服
雪山坊住職・長倉信祐の非常識な行為 ㊦
学会の外護で修復し国の重要文化財に

雪山坊の長倉信祐がPTAの会合で配布したパンフには五重塔について「昭
和四十一年、国の重要文化財に指定された」との記述がある。この五重塔は、
かつて朽ちかけていて、それを修復したのは創価学会であった。この学会の外
護によって修復がなされた故に国の重要文化財に指定された事実を忘れてはな
らない。

明治の頃、五重塔の銅瓦を売却し、その代金を着服して贅沢三昧に耽り、自
宅を豪邸に造り替えた悪僧がいた。当時の大石寺内には酒樽が並べてあり、飲
み放題で乱れていたという。

この頃の法主は第五十五世の日布で、国柱会の幹部や未入信の宗教学者と一緒
に御開扉のあと「各々ようこその御登山、佛祖三寶も御満悦の事と存ずる……」
と歓迎の挨拶をした無能僧である。

この日布について第五十九世・日亨上人は「おだやかな人でね。ほとんど生
きているか、死んでいるか分からんような穏健な人」と語っていた。こんな無
能僧を騙して悪事を働いた狡猾な坊主がいたのだ。

五重塔の銅瓦を売却して着服した悪僧について日亨上人は次のように語って
いたので、少し長くなるが紹介する。

「その頃、久成坊に長谷川という現代向きの世才家があってね。すっかり、
人の良い日布上人をごまかしてしまった。自分の家などはね、文化式というか、
ほとんど旅館同然にこしらえたんですよ。中に廊下をはさんでね、南北にずっ
と客室をこしらえて。便所なんかでも立派なもんでしたよ。そんなことには才
があった。

ところが、ひどいことには五重塔の銅(あか)瓦をごまかして儲けたわけです。

この頃、トタンという珍しいカネができましたから、そのカネでもって作る
というと、萬代むきで、銅(あか)がねのように錆びはしませんから、トタンに
五重塔をふきかえた方がいいです、なんて貫主さんに言った。

貫主さんは何にも知らん人で、そうか、そんなものができたのか、じゃ、よ
ろしく頼むなどと言って銅を高く賣っちゃって、トタンぶきにしてしまった。

そういうバカなことをやっている。そして、それを塗ればよいのに塗らない
でおいたでしょう。そのトタンが錆びて、そこから漏るようになってしまって、
それで仕様がなくて、日應上人時代にですね、そのトタンをはいで、瓦にして
しまった。それが充分でないから先年、學會の厄介になって修理した」(「大
白蓮華」昭和三十一年十二月号)

トタン屋根の五重塔や雨漏りで朽ちかけた五重塔であれば、国の重要文化財
に指定されてはいない。

学会が五重塔を修復した時、学会本部建設の計画があり、昭和二十七年十二
月、信濃町二十五番地に建設用地を購入していた。

だが、本部新築を延期して用地を売却し、五重塔を修復したのである。

五重塔を食い物にした悪僧、それに対して本部新築を延期してまで修復した
学会。ここでも広宣流布への一念の違いが明白だ。

日亨上人は「そういう世才家があって、とても派手な騒ぎをやったらしかっ
た。酒樽をそこら中、並べてですね。飲み次第、食い次第で……とうとう借金
ができてしまった」と語っていた。


 

フェイク 第1569号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 2月20日(月)21時20分10秒
  (発行=17.02.19)

PTAの会合で大石寺パンフを配布
雪山坊住職・長倉信祐の非常識な行為 ㊤
新築の奉安堂、客殿は一見の価値もなし

 日蓮正宗大石寺の雪山坊住職・長倉信祐は上野中学校のPTA会長をしてお
り、今月の富士宮市のPTA連盟の会合で会議資料に加えて非常識にも大石寺
のパンフを配布して問題視された。

 以前、顕正会の高校教師が校内で勧誘して教育委員会で問題になり、懲戒処
分になったという話を耳にしたことはあるが、PTA会長が会合を自分の所属
する宗教の布教の場に利用するとは前代未聞の珍事件だ。

 この長倉信祐は宗務院財務部長・長倉日延の長男で昭和四十五年一月生まれ、
五十七年七月に得度した。

 信祐は所化時代から乱れた生活だったとの話もある。態度は傲慢で、日正寺
(札幌市)の講員が脱講した翌日、その人の家に押しかけて上がり込み、ソファ
にふんぞり返って「誰に頼まれて脱講したんだ?」と喚き散らしていた。

 そこで、逆に脱講した人が「日蓮大聖人は誰のために御本尊を御図顕された
のか?」と問うと、黙り込んでしまい、捨て台詞を吐いて逃げ帰ったという。

 大正大学で仏教学の博士号を取得したと自負しているようだが、教職にも就
けず、住職にもなれずに大坊で捨て扶持を貰って食いつないでいたが、昨年の
八月、やっと雪山坊に入ったから舞い上がって暴走しているのだろう、と言わ
れている。

 日蓮正宗の坊主は社会常識がないというのが定説だが、長倉の非常識ぶりに
は驚くばかりだ。

 長倉がPTAの会合で配ったのは奉安堂、客殿、五重塔などの写真入りのパ
ンフで「歴史の勉強のために大石寺の見学をしてはどうですか」と提案してい
た。

 あの大石寺を見学しても歴史の勉強にはならないと断言する。奉安堂は平成
十四年十月、客殿も同十年三月に新築された安普請の建物。「まるで体育館の
ようだ」との悪評もので歴史的な価値など全く無い。

 日顕が約五十億円の巨費を浪費して破壊した正本堂は世界的な宗教建築物で、
鶴が羽ばたく姿を思わせる雄大な建造物だった。

 この正本堂は日本建築学会賞作品賞を受け、欧米環境設計協会、アメリカ建
築家協会、アジア・西太平洋建設業協会国際連盟からも表彰されるなど数々の
称賛を得ていたので世界遺産になっても不思議ではなかったし、見学する価値
は十分あった。

 だが、今の奉安堂と客殿は一見の価値もない。

祈りが乱れる御開扉

 パンフの奉安堂の説明文には「五千名分の椅子席が設けられている」と書い
ているが、日顕の祈りは大丈夫なのか?

 平成六年五月二十三日、丑寅勤行の後、日顕は怖い顔で「後ろの方で椅子に
座っている人、御祈念が乱れるから椅子に座っての参加はやめるように。どう
しても椅子に掛けなければならない人は明日からの参加を遠慮するように」と
冷たく言い放った。そこには足の悪い高齢者、正座に慣れない海外の檀徒もい
た。

 広宣流布を願うのであれば、高齢者や病人など全ての人の健康と長寿を祈念
するのが本来の姿である。

 日顕は今も時々、御開扉に出ているが、全員が椅子だから日顕の祈りは乱れ
ていることだろう。(つづく)



 

フェイク 第1568号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 2月 9日(木)09時55分57秒
  (発行=17.02.08)

坊主が率先して身延派の寺巡り
日興上人の離山の精神に背く行為

教徳寺の移転法要で日如は謗法を破折せよ、と力説していたが、大石寺は謗法
の身延派とは昔から〝親戚付き合い〟を続けている。

昭和二十七年に創価学会員が登山するようになってからは表面上、身延派とは
疎遠を装い、特に昭和三十年三月、学会が「小樽法論」で身延派を粉砕して以
来、両派の交流は途絶えたかのように見えていた。

ところが、平成三年に日顕の悩乱によって邪宗と化した大石寺に学会員が登山
しなくなったため、身延派との関係は昔以上に接近した。特に、日顕が平成三
年の七月と十一月、教師指導会で波木井実長を絶賛したことで大石・身延両派
が急接近。両派は平成五~六年頃から相互に登山するなど親密の度合いを増し
たのである。

平成六年になると華王寺、能安寺、信盛寺の坊主と法華講員が鎌倉、佐渡の身
延派寺院への巡拝を始めた。

続いて平成七年の春には仏寿寺の坊主と講員が千葉県の誕生寺、清澄寺など日
蓮宗の寺を巡り、拝観料を払っていたことも発覚。だが、一切〝お咎(とが)
めなし〟だった。これにより、坊主らの身延派寺院への巡拝が盛んになってい
った。

これは「一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣ず可けんや」との日興
上人の戒めに違背している。日蓮正宗こそが正法の敵で、供養すれば堕地獄で
ある。

身延派は御本尊を参道の店先にぶら下げ、御守り本尊をカードにして販売して
いる謗法の山である。

本号では日興上人の身延離山の精神を踏み躙る「日蓮正宗と身延派との交流」
の足跡を総括する。

但し、紙数の関係上、恒例行事になっている富士学林の所化の邪宗巡り、及び
定例の「謗法ツアー」などは割愛し、主な邪宗巡り、身延派との交流に限定し
た。

◆平成六年四月二十四日、東京・華王寺(前川日秀、当時は慈肇、故人)がバ
  スをチャーターして身延派の寺巡りツアー。三十人余の法華講員と一緒に前
  川の女房も参加していた。
一行は安房、小湊へ行き、鏡忍寺、清澄寺、誕生寺の順に身延派の本山格の三
カ寺を巡拝し、帰途のバスの中では皆、上機嫌だった。

◆平成六年六月十一日、埼玉・能安寺(水島公正)が「鎌倉研修」を実施。鎌
  倉の大仏、鶴岡八幡宮などの神社仏閣巡り。この日は法華講青年部の一泊登
  山と重なっていたが、大石寺に行かず、この謗法ツアーに参加。また「研修」
  とは名ばかりで、宗門の護国寺が近くにあるにもかかわらず、夜の勤行もし
  ないでホテルに着くと宴会に興じ、翌朝も勤行をしなかった。

◆平成六年十月八日、長野県・信盛寺の落合尊福は法華講員を引き連れて佐渡
  に渡って謗法巡り。貸し切りの観光バスには「信盛寺佐渡順拝の旅」と書か
  れたプレートを付けていた。
身延派の妙宣寺、根本寺などの寺を巡り、講員は賽銭箱に金を投げ入れ、真剣
に合掌していた。

◆平成六年十一月五日、身延派の布教師会一行が大石寺に参拝。それを大石寺
  側が丁重に迎えた様子が身延派の「布教師會報」第二十号に「日蓮正宗総本
  山・大石寺研修参拝記」として掲載された。大石寺を訪れた久遠寺志摩坊住
  職・佐藤順映師は平成四年に「日蓮正宗を門下連合へ」と提唱した人物であ
  る。

この「参拝記」の公表により、身延僧八人の参詣は「大石寺内事部の理事から
の応諾の電話を頂戴」して実現したとか、後日、案内役の大石寺僧から丁重な
礼状が送られてきたなどの裏事情が明るみになった。この身延僧の「大石寺研
修参拝記」は『現代仏教』に「他宗には門戸開かぬ大石寺に柔軟性」との見出
しで掲載された。(左の資料を参照)

この「大石寺内事部の理事」とは小川只道のことで、小川は「(身延の)皆様
の暖かなお心に触れ(略)暖かな気持ちで御案内申し上げることができました
ことを感謝しております」との「礼状」を送ったのだ。

◆平成七年三月十二日、関快道は都内狛江市・仏寿寺の二十数名の法華講青年
  部や女房の貞子らを率いて千葉の誕生寺、清澄寺など日蓮宗の寺巡り。
平成五年の佐渡、翌六年の東北方面に続く三度目の謗法ツアーだった。
(右の写真は千葉の誕生寺に参詣した時の関快道)

◆平成七年六月六日、大石寺に「池上鶴林会」なる団体バスが到着。乗ってい
  たのは池上本門寺の貫首らで、高野日海(当時は東京・本行寺住職、故人)
  が案内役となって本山内を見学させたあと「蓮葉庵」で手厚く接待した。

◆平成七年八月二十日、総講頭の柳沢は阿部信彰が住職をしていた大修寺の法
  華講員約二十人を連れて身延山に参詣、宴会に興じた。

◆平成九年四月十八日、大石寺の無任所教師七人が西山本門寺の虫払いに酒や
  菓子折りなど御供養の品々を持参して参詣した。

◆平成九年五月十・十一日、横浜市の応顕寺住職・舟橋義秀が講員を引き連れ
  て佐渡の根本寺、妙宣寺、世尊寺、妙照寺などを巡拝した。舟橋義秀は帽子
  を深く被り、サングラスで変装。妙照寺の賽銭箱に講員が「チャリーン」と
  硬貨を入れて御供養し拝んでいた。

◆平成九年七月十五日には、身延山の坊主十数人が大石寺と妙蓮寺を訪れ参拝
  した。

◆平成九年八月十七日、東京・宣徳寺(秋元日高、当時は広学)の所化二人に
  引率された講員が鎌倉の龍口寺、極楽寺、収玄寺、妙本寺、安国論寺、妙法
  寺など寺院巡りを楽しんでいた。

◆平成九年九月十・十一日、東京・華王寺(前川日秀、当時は慈肇、故人)の
  一行が「佐渡研修旅行様」のバスに乗り、一泊二日の日程で佐渡の身延派の
  寺院巡り。

 根本寺、妙満寺、世尊寺、妙宣寺、実相寺、妙照寺と日蓮宗の六ケ寺を巡拝。
十日の葬儀を終えた前川は十一日に合流して大宴会。ホテル関係者は「こんな
に酔っ払って大騒ぎする坊さんは初めです」と前川の乱れた姿に呆れていた。

◆平成九年九月十七日には身延僧約三十人が大石寺に参詣。大石寺坊主の案内
  で正本堂などを見学。御影堂内では身延僧が御宝前にて合掌・参拝していた。

◆平成十二年九月二十八日には「身延山大学校」の学生が大石寺に参詣した。

◆平成十二年十二月六日、身延の坊主十七人が大石寺を訪れて客殿や御影堂な
  どを見学し参拝した。

◆平成十四年十一月二十六日にも邪宗坊主二十数人が大石寺に参詣した。

◆平成十六年四月十三日に 身延派坊主が大石寺を訪問、参詣した。
 他にもあるが紙数の関係上、以下は省略する。


 

フェイク 第1567号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 2月 8日(水)10時31分29秒
  (発行=17.02.07)

日蓮正宗に「謗法厳誡」はない!
日如の教徳寺移転法要での説法に鉄槌 ②
役僧の女房らも邪宗の神社仏閣巡り

教徳寺の移転法要で日如は謗法厳誡が宗是であるかのような口ぶりで言い古
された台詞を得意満面で紹介していた。

 「昔から日蓮正宗では神社仏閣の前で草鞋(わらじ)の鼻緒が切れても、そこ
で結んではいけない、と言われたのです。この意味が解るでしょうか。それは
紐を結ぶ時に頭を下げてしまうからです。『形ばかりでも、謗法の社に頭を下
げることになるから、それは決してやってはいけない。鼻緒が切れても、先に
行って結べばいいのだから、それまでは結ぶな』と、昔から謗法の恐ろしさを
教えられてきたのであります」

 しかし、これを守っていないのが日蓮正宗だ。日如自身も以前、謗法厳誡な
どなかったと言っていた。

 改革同盟の山口雄在氏は昭和六十三年に宗務院で開かれた御書系年委員会の
席で日如(当時は義寛)が永栄義親に向かって「なあ義ちゃん、謗法厳誡なんて
言ったって昔は関係なかったな。子供の頃は小遣いを貰って、皆で浅間祭りに
行っていたよな。創価学会が出来てから謗法厳誡になったんだ」と笑いながら
語っていた。

日如の教徳寺での発言と正反対であるが、宗門には昔から謗法厳誡などなか
ったのが真相だ。

 戦時中は神札を甘受し、勤行の御観念文を改変して「皇祖」「皇宗」「皇国
守護」など神道に配慮した文言を付け加えた。

 そして「神社仏閣の前で草鞋の鼻緒が切れても、そこで結ばない」どころか、
伊勢神宮遙拝を「院達」で指示したのだった。

更に大聖人が末法の御本仏としての大確信を表された「日蓮は一閻浮提第一
の聖人なり」の一節など御書の御文を十四カ所も削除した宗門のことだから、
謗法厳誡は全く無かったのだ。

日蓮正宗が学会と縁が切れて邪宗になった今、昔のように謗法と親密になり、
身延派の寺を巡拝、或いは身延僧一行を大石寺で歓待して能化が蓮葉庵で接待
するなど慣れ親しんでいる。

坊主に限らず、役僧の女房連中は今も昔も邪宗に対して親近感を抱いており、
寺族の神社仏閣巡りは以前から行われていた。

例えば、昭和三十九年秋、阿部日顕の女房・政子、藤本日潤の女房・礼子ら
が、吉田日勇(故人、当時は渉外部長)らと共に真言宗の本山・高野山に参詣
した。

吉田は同行の婦人達と共に謗法の寺内で一夜を共にしての帰途、京都の平安
神宮に参拝した(左の写真を参照。写真㊤は平安神宮の大鳥居)

また、最近では大石寺の檀家総代が富士宮市内にある曽我神社の氏子総代に
なり、更に、長野県の信盛寺の総代が地元の小出諏訪神社の総代を兼務してい
たことも明らかになっている。

このように日蓮正宗には今も昔も謗法厳誡など存在しないのである。(つづく)



 

フェイク 第1566号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 2月 7日(火)20時28分7秒
  (発行=17.02.06)

日顕ら日蓮正宗の坊主は堕地獄
日如の教徳寺移転法要での説法に鉄槌 ①
鳩・犬・猫を霞網、毒殺などで大量虐殺

日蓮正宗・法華講の機関誌「大白法」が二月一日付で教徳寺(栃木県小山市)
移転新築法要での早瀬日如の説法を掲載している。その中で仏意仏勅の教団を
誹謗しているので鉄槌を下す。

日如は「蟻子を殺す者は必ず三悪道に落つ。謗法を禁(いまし)むる者は不退
の位に登る」の御文を引いて「たとえ蟻の子一つを殺すのも、まことによろし
くないし、地獄に堕ちてしまう」それに対し「謗法を禁めることは絶対に罪に
はならない」と述べて「創価学会の謗法にしても、そうです」と学会攻撃を煽
っている。

日如は「蟻の子一つを殺すのも、地獄に堕ちてしまう」と言うが、鳩・犬・
猫を大量に殺戮した大石寺の坊主はどうなのか?

ジャーナリストの内藤国夫が、某雑誌で次のような〝事件〟を暴露(写真)し
た。

日顕が昭和五十六年に順天堂病院でノドのポリープを手術した頃から「鳩は
ノドに悪い」と忌み嫌うようになり、翌五十七年四月、大石寺では鳩を皆殺し
することになった。

鳩の対策に困っている各宗派の寺院では「殺生戒」を犯すことなく、空砲で
脅したり、金網を張ったり、避妊用の餌をまいて繁殖を防いでいる。これが寺
院における鳩対策の常識である。

だが、大石寺では鳩の殲滅(せんめつ)を決めた。

当時、大石寺には「鳥博士」を自称する野村慈尊がいた。日顕から鳩殺しの
担当を命じられた野村は境内のあちこちに霞網(かすみあみ)を張り、鳩を一
網打尽にした。網目に首が引っ掛かった鳩は絞首刑のようになって死んでしま
う。余りにも惨(むご)いため霞網の使用は禁止されているが、この時、殺さ
れた鳩は五百羽にも上った。

また、改革同盟の植松雄増氏、山口雄在氏は「本山での非教師指導会でも日
顕が『本山も鳩と戦争している。網を張ったりしている』等と口走ったのを聞
いたことがあります。当時は法主の物騒な発言に正直、驚きました」と証言し
ている。

蟻を踏み潰した日顕

 更に、大石寺の元従業員さんも動物虐殺の手口を語ったが、実に残酷なもの
だった。「当時、大石寺の境内に立ち入る動物は犬も猫も殺すよう内事部から
命じられていました」「犬の場合はソーセージなどを餌におびき寄せて捕まえ、
睡眠薬を飲ませてフラフラにして境内の人目につかない場所に生き埋めにし、
毒入りのソーセージを食べさせ、その場で殺したこともあった」という。その
中にはフリー登山で来た人が連れてきた血統書付きの犬もいた。

また、猫は罠の箱を仕掛けて捕まえ、箱ごと水中に沈めて溺死させたとのこ
とだが、これが宗教団体とは驚くばかりだ。

特に日顕は子供の頃から残虐性が強く行学講習会の講義で「不殺生」に触れ
た際、次のような思い出話をしたことがある。

「ワシは幼い頃、蟻の行列を見て友達と競争で楽しみながら踏み潰して徹底
的に踏み潰しまくったことがあった」と。日如は日顕の堕地獄を説いたのだろ
う。


 

フェイク 第1565号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 1月30日(月)20時02分15秒
  (発行=17.01.29)

大火で失意の法主・日盛が隠遁
大石寺での消火訓練に関する一考察 ㊦
日英の「再住」まで二ヶ月間、猊座は空白

 日蓮大聖人は「経に曰く『設い大火に入るも火も焼くこと能わず、若し大水
に漂わされ為も其の名号を称れば即ち浅き処を得ん』又云く『火も焼くこと能
わず水も漂すこと能わず』云云、あらたのもしや・たのもしや」(上野殿後家
尼御返事)と記されている。

 このように大聖人が教えられている法華経の功徳に反して大石寺で火災が相
次いだのは何故か?

 最近の対山坊の坊主のように強風の日に焚き火でもしていたのか? 信仰心
がなく寺を守る責任感も使命感もなかったのか? 日顕とその一派の坊主のよ
うに堕落して遊蕩に耽って生活が乱れていたのか? 何よりも諸天善神が大石
寺を見放していたと見るのが妥当ではなかろうか。

 本紙前号で紹介した大石寺の火災のうち元治二年二月二十八日の大火は客殿
・六壺・大坊を焼失した被害に加えて、五十二世日霑と五十三世日盛との確執
が広く知られる契機になった。

この元治二年二月二十八日の火災と日霑、日盛について六十六世日達法主は
次のように述べていた。

 「第五十三世日盛上人の代になりますと『元治二年乙丑二月二十八日 客殿
・六壺・大坊を焼失(年表)』と、せっかく今まであった大坊も全部焼けてしま
ったのです。そのため、日盛上人は御隠居なされたのです。それからまた、霑
尊が再び猊座へつかれた」

 日達法主の話は事実とは違う。約二ヶ月間、猊座は空白であった事実を隠し
ている。日霑自伝等によると、大石寺は大騒動になっていた。当時、江戸にい
た日霑に南之坊の住職が、隠居していた五十一世日英の使いとして急報を持っ
て来た。

 「二月廿八日の夜半、大坊の下男部屋より出火し構内一宇も残らず焼亡すと、
是を聽き大愕悲動し、遽に東行を止め直ちに歸山を計り、其三月中旬歸山す、
爰に一山の大衆事情ありて大に沸騰し、擧って盛師に迫る、予聞にたへず…其
五月初旬,久成坊等同伴にて歸山す、蓋し此時に當て盛師は謝表を残して下之
坊へ隠遁の由、之を聞く…是に於て衆檀會議の上、英師御再住の事に結し予を
迎ふ」

 引用が長くなったが、要するに。大石寺が大火に見舞われた時、四十代の若
さで退座させられていた五十二世日霑は江戸へ出府していた。急いで帰山する
と、抗争の相手の日盛は誰にも相承しないで、日霑を避けて下之坊に隠遁、そ
の後は一時、行方不明になった。

 日盛の自伝によると、大火の翌日に辞任となっている。だが「富士年表」で
は五月七日に退座し、同日に第五十一世日英が高齢にもかかわらず「再住」、
その後は日霑が再び登座したと誤魔化している。

 ところが実際は三月、四月の二ヶ月余、猊座は空白だったのである。

 ここで特に注目されるのは衆檀会議、つまり僧と俗の会議で次の法主を検討
し、日英の再住を決めたことだ。

 平成元年六月、日顕は日霑の第百回遠忌の際に「日霑上人が書き残した自伝
の内容は一般信徒には知られたくない」旨、発言した。

 高僧の確執が知れ渡ると「富士の清流七百年」が粉飾された歴史だと分かっ
てしまうからだろう。

 この日霑と日盛の確執は別の機会に改めて詳述する。


 

フェイク 第1564号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 1月30日(月)19時45分9秒
  (発行=17.01.28)

幕府権力の手先になり頻繁に火災
大石寺での消火訓練に関する一考察 ㊤
正法が滅して諸天善神が見捨てた証拠

一月二十六日は文化財保護法制定の契機となった法隆寺金堂の壁画が焼損した
日(昭和二十四年)に当たるため、この日は文化財防火デーになっている。

 この日、全国各地で防火訓練が行われ、池上本門寺(大田区)は文化庁次長と
消防庁長官が視察、唐招提寺(奈良市)には文化庁長官、消防庁次長が出向いた。

 大石寺は学会が修復した五重塔が国の重要文化財に指定されただけで、身延
山久遠寺、中山法華経寺などと違って〝国宝〟級の物は何もない。だが、あま
りにも頻繁に火災が発生しているため、消防署の関係者や大石寺自衛消防隊ら
が参加して防火意識を高める目的で実施されたのだろう。

 大石寺の火災に関しては、本紙前々号(一五六二号)で紹介した通り、今月十
四日午後二時半頃、富士宮市馬見塚の雑木林で火災が発生。百七十五平方メー
トルを焼いた。この雑木林は学会が寄進した対山坊の敷地内で、現在は一・二
階に宗門関係者が住んでいる。

 ここで日蓮正宗の坊主が、強風のなか焚き火をして火災になった。今年は、
このように防火意識が欠落した坊主を覚醒する意味を込めた防火訓練だったの
だろう。

 ところで、大石寺では開創以来、十三件の大火があった。そのうち十二件は
江戸時代以降に集中していることに注目したい。江戸期の寛永十二年から同一
五年にかけて寺檀制度が成立し、大石寺が幕府の手先になり、庶民を檀家とし
て〝支配〟するようになって以降、諸天が見捨てたことで火災が増えたのであ
ろう。江戸時代以降の火災は次の通り。

大石寺の火災一覧

○寛永八年十月十二日 大
石寺諸堂を焼失(石文)
○寛永十二年十月十二日 大石寺本堂、三門、坊舎残らず焼失(古文書)
○文化四年五月十二日 大
石寺塔中理境坊を焼失した(棟札)
○安政五年五月二十五日
大石寺遠信坊・寿命坊・学寮四箇などを焼失した(霑伝)
○万延元年二月二十五日
 大石寺石之坊より出火、富士見庵・寿命坊・遠信坊・学寮焼失(諸記録)
○元治二年二月二十八日
大石寺客殿・六壺・大坊を焼失(霑伝)
○慶応元年十二月二十三日
大石寺蓮葉庵焼失(霑伝)
○明治四十二年六月八日
大石寺塔中百貫坊を焼失(白蓮華)
○大正十三年十月三十一日
 大石寺塔中本境坊を焼失(院二二五)
○昭和五年六月四日 大石
寺塔中本境坊を焼失(院二七五)
○昭和八年十月二十三日
大石寺蓮葉庵を焼失(宗報A三七)
○昭和二十年六月十七日 大石寺大坊(対面所・大奥・書院・六壺)・客殿など
  五百余坪を焼失(寺誌)、この大火災の際、逃げ遅れた第六十二世日恭が焼死
  した(大過去帳)
  (つづく)



 

フェイク 第1563号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 1月19日(木)17時15分48秒
  (発行=17.01.18)

「宗史では血脈は切れていた」と日顕
暁鐘の編集室が作成したパンフは間違い
日蓮正宗は謗法、信心すれば悪因を積む

暁鐘の編集室が「全ての苦悩を乗り越える力ある宗教とは」「お守りお札の
恐ろしさをご存知ですか?」等のパンフを作って日蓮正宗の信仰だけに功徳が
あるかのようなデマを謳っている。

この暁鐘は妙観講の機関誌で、その編集室が作ったパンフは苦心の跡が見ら
れるものの、結論から言うと、第六十七世を詐称したニセ法主・日顕が日蓮正
宗を日蓮大聖人の仏法と似て非なる邪宗教に変質させたため功徳がなくなった
のである。

パンフの内容のうち、間違っているのは〝日蓮大聖人の教えが七百年以上を
経た今日まで代々受け継がれ、今日、第六十八世日如上人猊下に至るまで正当
に継承してきた〟の箇所だ。

昭和五十四年七月、第六十六世日達法主が相承をしないまま入院先のフジヤ
マ病院で急死。その直後、受けていない相承を「受けた」と自己申告して〝盗
座〟した日顕は悩乱して「日顕本仏論」を宗内に蔓延させた。

日顕は娘婿の早瀬義純や法華講の内田和子らに「現代における大聖人様」と
言わせ、海外部書記だった福田毅道には「日顕本仏・日蓮迹仏」の大邪義を講
義させた。

また、能化文書には「本仏大聖人、戒壇の大御本尊、歴代の御法主上人が、
その内証において一体不二の尊体」とまで記述させていた。

この能化文書に名を連ねた七人の能化は死に絶え、早瀬義純も五十代の若さ
で急死したのである。

また、高野法雄は法主が大聖人の法門の全てを所持し、御書は法門の部分に
すぎないという「御書部分論」の大邪説を唱えた。

こんな例証をあげるときりがないが、極めつけは日顕が「相承を受けた以上
は生身の釈迦日蓮」(平成九年八月二十八日、教師講習会)と強弁したことで
ある。

これら日蓮正宗に蔓延する「法主本仏論」「法主絶対論」は三宝破壊の大邪
義である。

日顕の後の日如も相承なきニセ法主で、日蓮正宗大石寺は謗法の山になった。

大聖人は「地頭不法ならん時は我が魂は此の山に住すまじ」(富士宗学要集)
と御遺言されたが、地頭どころか法主が悩乱している今、大石寺は大聖人とは
無縁の謗法の山なのである。

宗門は、学会と決別した直後、当時の教学部長・大村寿顕(後の日統、故人)
らの時局文書作成班が「時局文書」を乱発していたが、その中で「血脈法水が
断絶したならば日蓮正宗が滅びる」と述べていた。この「時局文書」が皮肉に
も的中、血脈が断絶した日蓮正宗は衰退の一途を辿っている。

その「時局文書」には「唯授一人の血脈を否定するのは大罪」等と書いてい
たが、日顕が本行寺にいた昭和三十三年、〝宗門の歴史の中には血脈が切れて
いることもあるんだ〟と語ったことがある。血脈相伝は幻想にすぎないのだ。

そのうえ「日興遺誡置文」に悉く違背し、今日、大聖人の仏法とは無縁とな
っている日蓮正宗の信仰をすれば悪因を積むことになる。
……………………………
本紙前号で報じた対山坊の火災の原因は日蓮正宗の坊主の焚き火だったと判
明しました。

なお、日如の〝盗座〟は平成十二年ではなく、平成十七年なので訂正します。



 

フェイク 第1562号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 1月18日(水)20時00分16秒
  (発行=17.01.17)

日如は現代の「謗法の両火房」
大石寺の敷地で約百七十五平米を焼失
強風の中、焚き火が飛び火して火災に

 早瀬日如が平成十二年十二月に〝盗座〟して以来、大石寺及びその周辺と末
寺などで火災が相次いでいる。今月十四日午後二時半ころ、富士宮市馬見塚の
雑木林で火災が発生。消防車六台が急行して消火活動に当たったが、約百七十
五平方メートルを焼き尽くして、地域一帯は騒然となり、警察も出動した。

 この雑木林は、かつて学会が寄進した対山坊の敷地内で、現在は一・二階に
宗門関係者が住んでいる。

 この火災は静岡新聞でも報道された。富士宮署によると、伐採した小枝など
を燃やしていた時に飛び火したということだが、この日は終日、激しい北風が
吹き続けており、地元の人達は「こんな強風の時に焚き火をするとは、どうか
している。勝手に焚き火をしてはいけないと禁じられているのに…」と語って
いた。

 この日は、たまたま火を扱う年始行事「どんと焼き」の各所を消防車が巡回
していたため、幸いなことに早く駆けつけることができたようだが、消防車の
来るのが、もう少し遅れていたら敷地内にある大石寺の建物も延焼して大惨事
になっていた。

 ところで、あの日顕は行く先々で何度も集中豪雨に見舞われて「雨坊主」と
呼ばれていたが、反対に日如は「火災坊主」と言えよう。

 日如が〝盗座〟した後の主な火災を列記する。

 平成十八年八月十二日午後四時前、物凄い雷鳴が轟いた瞬間、奉安堂の東側
に立つ杉の大木に落雷。杉の大木は中央付近から火を吹き、周辺には黒煙が立
ち込めた。これを「慧妙」は
「功徳」だと詭弁を弄していたが、その後も宗門には〝功徳の火災〟が多発し
た。

 平成二十一年六月に法道院でボヤ騒ぎ、同年八月には大石寺・駐車場で乗用
車十台が焼ける事件があった。

 同年十月十一日(日本時間十二日)にアメリカ・ワシントンDCの妙宣寺でお
会式の最中に火災があり、大騒ぎになった。

 更に、同年十一月十五日午後には大石寺の境内にある休業中の売店で、木造
平屋建ての建物八店舗、約二百五十平方メートルが全焼した。

 続いて同二十二年一月十七日午後七時頃、新宿区・大願寺(板東慈潮)から
黒煙が立ち上り、辺り一面には物凄い異臭が漂った。

 この直後の二十七日には大石寺近くの蓮成寺でもボヤ騒ぎが起こった。

 同二十四十二月十六日には延寿寺(高知県南国市内、当時の住職は川口盟道)
から出火、同寺の木造平屋の本堂と庫裏(住居部分)を合わせて約三百平方メー
トルを全焼した。

 日蓮大聖人は「両火房と申す謗法の聖人……」と良観の極楽寺が火事で焼失
し、良観が庇護を受けていた鎌倉幕府の御所でも火災が起こったので「りょう
かん」をもじって「両火房」と揶揄された。

 「火災坊主」の日如は、現代の「両火房」ともいうべき謗法坊主なのである。



 

フェイク 第1561号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 1月12日(木)19時06分13秒
  (発行=17.01.11)

衰退が目立つ役僧・能化の寺
日蓮正宗の新年勤行会は今年も大幅減少
日如の八十万構築の説法は“空念仏”だ

 日蓮正宗の本山・大石寺や各末寺の新年勤行会の参加者が大幅に減少したこ
とが法華講連合会の有力筋、及び宗門の複数の関係者の情報から明らかになっ
た。

 宗門が「邪宗だ、謗法だ」と誹謗している明治神宮、浅草寺、川崎大師、成
田山新勝寺などが三百万人前後の初詣の人で賑わっていたのに比べ、日蓮正宗
は全国の総計でも昨年より約五千人も減って六万五千人弱にすぎなかったとい
う。

 なかでも布教部長・阿部信彰の常在寺(東京都豊島区)、庶務部長・秋元日高
の宣徳寺(東京都世田谷区)、財務部長・長倉日延の日正寺(札幌市)、教学部長
・水島公正の能安寺(所沢市)など宗務院各部長の寺の減少が目立つとのことだ。

 加えて、重役・藤本日潤の常泉寺(東京都墨田区)、宗会議長・土居崎日裕の
妙光寺(東京都品川区)、関西大布教区宗務大支院長・高野日安の平安寺(京都
市)、東北大布教区宗務大支院長・戸高提剣の妙華寺(秋田市)、中部大布教区
宗務大支院長・日比野慈祐の玉泉寺(名古屋市)、中国大布教区宗務大支院長・
原山元征の興福寺(広島市)など能化や役僧の寺が軒並みに減少したということ
だ。

 この実態から見ても役僧や能化の寺でも折伏によって法華講員が増えている
というのは真っ赤なウソで、反対に減っていることを物語っている。

 これだけではない。大石寺の初登山参加者も減少し、御開扉は毎回、空席が
目立っていたと、宗門関係者が嘆いていた。これでは宗務院は末寺に対しても
厳しく糾弾できない。平坊主達は安心してよろしい。

一昨年三月に「法華講員五十%増を達成した」と発表して、昨年は平成三十
三年(二〇二一年)に向けて「法華講員八十万体勢の構築」と打ち出したが、無
残な結果に終っているのが明白だ。

 能天気な日如は「新年之辞」の中で「昨年、宗門は僧俗一致・異体同心の団
結と弛まぬ努力によって、全国各講中の折伏達成数を総計すると、見事目標を
達成して」(「大日蓮」一月号)と述べている。

 法華講の折伏は「無慈悲の極み」

 だが、新年勤行会の参加者の減少という現実に照らして日如の「新年之辞」
は虚勢にすぎず、折伏の目標は未達成で、日如が口癖のように言う「八十万体
勢構築」の説法は〝空念仏〟ということが分かる。

 また、日如は「折伏と育成は一体であります」と述べて「折伏した人々を育
成していかなければ……単に数字だけのものになってしまいます」「育成を欠
くことは無慈悲の極み」と力説している。

 仮に折伏できたとしても、新年勤行会にも参加しない現状では育成を欠いて
いる証拠であり、日如は現在の法華講による折伏は「無慈悲の極み」と断じて
いるのである。

 この日如は自分自身が実践した体験がないので折伏が難事中の難事とは知ら
ず、育成が真心と忍耐の労作業だとは思いもよらないから口先だけで命令して
いるのだが、平成三十三年になっても「法華講員八十万体勢」どころか、その
一割程度で低迷しているに違いない。


 

フェイク 第1560号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 1月 1日(日)00時13分19秒
  (発行=16.12.30)

レベルの低い富士学林大学科
法教院の課外授業「創価学会破折」を一蹴
五十二年路線、「謗法はなかった」と日顕

 東京・渋谷区の日蓮正宗の富士学林大学科(法教院)では先月、二回にわたっ
て課外授業「創価学会破折」(写真)を行ない、学会員を折伏する決意を新たに
したとのことだが、笑止千万 !

 担当講師は西岡雄信(神奈川県藤沢市・寿照寺の坊主)で、学会の設立から現
在までの経緯、宗門との決別以降の動向などについて語ったようだ。その中で
西岡が強調したのは、学会員は法主・坊主を師匠としないで会内で師弟関係を
作ったとか〝ニセ本尊〟を作製した等と低レベルの話だ。

 法主や坊主を師匠にせよ、といっても入会した学会員に対して勤行・唱題に
しても、御書の拝読や折伏にしても、全て懇切丁寧に教えて育成したのは学会
の幹部である。そして生活面でも相談にのり、信心根本に指導してきた。

こうした信心の基本から一生成仏、広宣流布の方途を学会員に教え、真剣に導
いた師匠は牧口・戸田・池田先生である。

 寺に行っても供養を取るだけで親身になって学会員の面倒を見て、育てた坊
主はいないのが実情だ。

 供養を欲しがるだけで勤行・唱題を嫌ってサボり、折伏もできない日顕や日
如らの極悪僧を師と仰がないのは当然だ。

 第六十六世・日達法主が、一寺の住職といっても社会の生活面においては疎
いので口先だけで指導しようという根性は今後やめてもらいたい、学会が十分
に指導しておるのを横取りして、つまらない人情にかられて自分の子分にしよ
うという根性がもしあるならば、今日以降やめていただきたいと等と、指導は
学会幹部にお願いする旨、指南した通りである。

 また、西岡は昭和五十二年路線にも触れたが、かつて日顕が「(学会に)根本
的な謗法はありえないのであります」と述べたように批判のための批判だった
のだ。

 加えて、板本尊の謹刻についても総監だった藤本日潤は、法廷で「謗法では
ありません」と証言したではないか。謗法ではなかったことを平成三年以降、
急変して「謗法だ」と言い始めて責めるとは藤本の証言は〝偽証〟とでもいう
つもりなのか?

 更に、西岡は日寛上人御書写の御本尊について〝ニセ本尊〟と誹謗していた
が、これは日寛上人に対する侮辱、冒涜に通ずる。

これについては、これまで再三、反論した通り、相承を受けていないニセ法主
の允可などは不要であり、ニセ法主が模写した本尊こそ〝ニセ本尊〟なのであ
る。

 何より「道理証文よりも現証にはすぎず」で日顕が模写した本尊を拝んでい
た頃よりも日寛上人御書写の御本尊の功徳は絶大だとの体験が相次いでいる。

西岡ごときの課外授業を受けたからといって学会員を折伏できると思ったら大
間違いだ。返り討ちにあうに違いない。


 

「ジャパンタイムズ」に池田先生が寄稿

 投稿者:宿坊  投稿日:2016年12月15日(木)10時18分53秒
  「世界人権デー」に当たり(英字紙)「ジャパンタイムズ」に池田先生が寄稿
誰も排除されない社会を

12月10の「世界人権デー」に当たり、池田先生が英字紙「ジャパンタイムズ」
(12月7日付)に寄稿した。

タイトルは、「相手の立場に身を置いてみる」。特定の民族や宗教に属する人々の生命と
尊厳を脅かす排他主義の高まりに懸念を示し、個々の人権侵害が大規模で深刻な行為に発展
する前に、早急な対応が求められると、警鐘を鳴らしている。


 

フェイク 第1559号

 投稿者:宿坊  投稿日:2016年12月10日(土)10時25分50秒
  (発行=16.12.06)

日如「御本尊不敬の樋田ビラは認めない」
妙相寺講員が学会青年部に明かす
退廃の宗門に面従腹背の信徒

 日蓮正宗妙相寺(長野県長野市)に所属する法華講員・樋田昌志の売名行為
に騙されて集まった狂信者のグループがあり、彼らが撒き散らす御本尊の相貌
に落書きをした低俗なビラやインターネット上の映像は、宗内関係者や法華講
員の間でも迷惑千万で悪名高いものとして知られている。

 今年、妙声寺(東京都町田市)の住職・井尻執道が「〝樋田ビラ〟は教学的
に間違い」と指摘したことを本紙で報じたが、大石寺教学に明るい坊主の間で
も、出来損ないのビラだと切り捨てられている。

 かねてから、樋田らは「猊下からは認可されているビラだ」と自慢し、他の
法華講員からは煙たがられていた。だがこれは、実は全くの虚偽であり、この
ほど日如からビラ配布を厳重に禁じられたことを、先日、樋田と行動を共にす
る妙相寺講員・高原某が学会青年部との対話において明かした。

講員「僕はあんなえげつないビラ撒きません。だってあれは猊下様からも撒い
てはならない、駄目なものだと厳しく言われている」
学会 「でも、あれを作成したのは樋田さんですよね。日蓮正宗の人も、一般
の方でも、『これは気持ち悪い』と言う人はたくさんいます」

講員「まあ、そりゃ気持ち悪いですよね。誤解されますから。だから猊下も撒
いちゃ駄目だと」
学会 「何故そんなビラを作ってしまったのか」

講員「だから、その、あの、許可を取る前に作っちゃったわけですよ。樋田さ
んがね、それは。ただはっきり言っておきますよ。御本尊の相貌に目玉とベロ
など気持ちが悪いものを載せたもの、御本尊の相貌の上に落書きしているもの
は、もう撒くなというのが猊下の、日蓮正宗の見解です」

〝不敬・謗法ビラ〟を樋田らは平然として長年にわたり撒いてきたが、それも
全ては樋田の虚栄心からだ。

 樋田が、坊主など内心では軽んじ、面従腹背していることは、かねてから知
られている。樋田は「宗門の人間は〝猊下は立派でなければいけない〟と思っ
ているけど、その方向で説明しようとすると絶対に無理があるんですよね。猊
下も末法の凡夫、色々なこともあるだろう……そういう点で言えば、学会の突
っ込みも当たっている。例えば、日柱上人の退座要求にしても現実にあった訳
ですし、エエ~っていうこともあります」「創価学会が言うような住職もいま
す。〝これが日蓮正宗の住職か?〟というような人も……」など明言したこと
があった。

 日如が不敬なビラはやめろと指示したのにもかかわらず、いまだにインター
ネット上では〝不敬映像〟を垂れ流している。樋田らには信心もない、坊主へ
の尊崇もない何よりの証拠だ。

 日如もなめられたものだ。

 最近、一部の法華講員の間で樋田の発言が話題になっている。「今のご宗門
の僧侶の体たらくは問題」「広宣流布はこのままではできない」「法華講連合
会のやり方はトンチンカン」など、樋田は自身に心酔する講員たちの面前では
憂国の志きどりで、自らの弁舌に陶酔しているらしい。

 無論、こうして信徒がのさばる原因は遊興坊主、破廉恥坊主が後を絶たない
宗門の荒廃にあるのは明白だ。



 

フェイク 第1558号

 投稿者:宿坊  投稿日:2016年12月 6日(火)23時29分42秒
  (発行=16.12.06)

「浅井に国立戒壇を語る資格なし」
邪教・顕正会の近畿大会の大失敗を笑う ㊦
退場時に雨、ゴミ袋を頭に乗せて帰る参加者

邪教・顕正会の近畿大会では病人や高齢者までムリに連れ出したため、会場
の廊下で倒れた参加者がいて救急車も出動する始末。救護スペースは設けられ
ておらず、体調不良の参加者が床に寝かされていた。

場内の誘導は杜撰(ずさん)で、トイレは例によって長蛇の列。トイレ前の列
では「漏れてまうやろ」等の怒声が飛び交っていた。

登壇した会長の浅井昭衛は「出来るか否か分からなかったが、このように一
万人を超す陣列を築くことができた」「日目上人有縁の地である近畿が先陣を
切ってほしい」等と述べた後、竜の口法難の背景、現在の世界の情勢に触れて
「世界は混乱していて、このままでは第三次世界大戦か核戦争が起こる」と、
いつもの口癖を繰り返していた。

また、浅井は「日蓮正宗が国立戒壇の建立を否定し、学会は大御本尊を否定
している」云々と誹謗していたが、宗門関係者が異口同音に「約半世紀も前に
講中解散処分を受けた妙信講(今の顕正会)の浅井ごときが、国立戒壇を語る資
格も大御本尊を拝む資格もない。それなのにバカの一つ覚えで今も同じことを
言って会員を騙している」と嘲笑しているのを浅井は知らないのか。

アリーナの後方には車椅子専用の席を設けていた。だが、参加者の多くが疲
労困憊で苦痛に顔を歪めて、グッタリして車椅子に座っていて、浅井の無駄話
を聴いてはいなかった。

また、二階・三階席の参加者も早々と無表情で退場していた。

顕正会は会員数が増えていると宣伝しているが、騙されて入会しても長続き
せず、退会していく者が後を絶たない。

例えば、歴代の男子部長(村岡長治、長岡孝志、小川善紀、海老原秀夫、浅井
克衛)でさえも相次いで退会し、或いは消息不明になっている。

これが実情である。

 それは同会が日蓮大聖人の仏法とは無関係で、浅井の得意とする首都圏直下
型大地震、他国侵逼(特に隣国からの核攻撃、侵略)、自界叛逆、人類の絶滅、
経済危機、大旱魃、国家の破産、大疫病などの底の浅い予言だけが〝教義〟だ
から入会して少し勉強すると直ぐに行き詰まるからである。

 退場時には雨が降り始め、傘の用意は無く、渡されたゴミ袋を頭に乗せて帰
る滑稽な姿が見られた。


 

フェイク 第1557号

 投稿者:宿坊  投稿日:2016年12月 6日(火)22時27分35秒
  (発行=16.12.05)

病人、高齢者をムリに連れ出す
邪教・顕正会の近畿大会の大失敗を笑う ㊤
会場周辺で目立った路上駐車など迷惑行為

最悪の邪教・顕正会が四日午後、近畿大会を兵庫県神戸市中央区の神戸ポー
トアイランドホールで開催した。この会場の収容人員は八千人。近畿圏の会員
だけでは空席が目立つため関東、北陸、中部、山陰、中国、四国、九州の各県、
さらに沖縄県など近畿圏外からも無理やり結集していた。

会長の浅井昭衛は「結集は一万人を超えた」「こんなに盛大になるとは思わ
なかった。ありがとう」と語っていたが、実際は今年九月の九州大会の参加者
と重複していることは言うまでもない。

参加した会員が「最近は結集がうるさいねん」「連れてこい、連れてこいば
っかり言ってな」等々と無理な結集への不平不満を語り合っていた。

 この日の大会には参加者が足りないため、歩行困難な病人や身障者、高齢者
を車に乗せて強引に連れ出す痛々しい光景、車椅子の参加者の姿が多く見られ
た。

会場周辺では路上駐車やコンビニなどでは無断駐車したうえ買い物客を強引
に勧誘する非常識な行為が目立ち、また、駅の周辺では開催されていたイベン
トの来場者に顕正会のビラを配布して執拗に勧誘して顰蹙を買っていた。

更に「座り込み禁止」と明記された花壇に大勢の会員が素知らぬ顔で座り込
んだり、公道の真ん中で立ち話をして交通の邪魔をし、タバコの吸い殻をポイ
捨てするなど、近隣の住民から迷惑がられていた。 参加者の男女比は五対五、
三十代から八十代が大半で、十代や二十代の若者の姿は、ほとんど見られなか
った。

 かつて、高校生などの若者を言葉巧みに騙して入会させていたが、そんな悪
辣な手口も行き詰まったようだ。


 

フェイク 第1556号

 投稿者:宿坊  投稿日:2016年11月24日(木)22時00分51秒
  (発行=16.11.23)

大石寺のお会式は下手な茶番劇
大聖人の仏法を供養集めに使う"日蓮商宗 "
「説法は意味不明、歓喜も感動もない」と講員

邪宗に成り果てた日蓮正宗大石寺では十一月二十・二十一日の両日、お会式
を行った。毎年、この日に大石寺がお会式を行なうようになったのは昭和三十
九年からのことで、歴史は極めて浅い。宗門は〝中世の美しい絵巻を思わせる
〟とか〝日蓮正宗の歴史の長さを示す〟古式豊かな行事だと宣伝している。だ
が、参加した法華講員は「説法は難しく意味不明で、信心の歓喜も感動もなか
った」と感想を語っている。

 参加した講員が難しい説法だったと言うのも当然で、日蓮大聖人の仏法を金
儲けの商売道具と考えているため〝日蓮商宗〟と揶揄されている日蓮正宗は、
仏法を難信難解なものに仕立て、信徒の日常生活から隔絶したものにしている
のだ。

 お会式の初日は御開扉に始まり、夕刻にはニセ法主の日如が差しかけられた
真っ赤な大傘の下を〝本仏気取り〟で歩くお練り、その後は日如の下手な説法、
三三九度の儀式と続いた。

 このうち、お練りの際、助番僧が片手に提灯を持って日如の所まで走って来
て一礼していた。これは御本仏の御説法を願う姿を現しているというが、お粗
末な演出の三文芝居だ。

大願寺の住職、法道院の主管の頃、満足に御書講義も出来ず、当時の教学部
長の大村寿顕に講義を頼んでいた日如がニセ法主になった途端に〝本仏気取り
〟で説法するとは驚くばかりだが、茶番劇はまだ続いた。

 入場して菩薩の座(上行座)に座った日如に会行事が恭しく礼をした。これは
涌出品の右繞三匝(うにょうさんそう)の法式、及び寿量品の三誡三請、重誡重
請(じゅうかいじゅうしょう)の格式をもって本仏に高座へ登ることを願い奉る
儀式だということだから、実に滑稽の極みだ!

あの遊び人の〝ブクロの寛ちゃん〟が完全に大聖人気取りなのだ。これだか
ら「法主信仰」と言われるのである。

ニセ法主の分際で、もったいぶって時間をかけるほど己自身の権威づけにな
ると、日如は思っているようだが、今の時代に物笑いの種でしかない。

 ここでは御本仏が寿量品文底久遠名字の南無妙法蓮華経を説く儀式だとして
説法は寿量品に限るのだが、日如は権威づけのため難解な仏法用語を多用し、
法主だけが仏法の本質を極めているかのように装うから、先述の通り、講員は
理解できないのだ。これは大聖人の仏法を愚かにも訓詁注釈の領域に封じ込め
ているのであり、これでは世界広布はできない。

 二日目は丑寅勤行から始まり、勤行が嫌いで有名な日如が大導師だった。

日如は大願寺住職の頃は勤行をしないと改革同盟の渡辺雄範氏に糾弾された
が、丑寅勤行をよくサボっていた日顕と違って、登座してからは渋々、勤めて
いるらしい。

 お会式の中心的な行事は申し状の奉読である。この申し状とは時の権力者に
出された諫暁の書で「立正安国論」などを坊主が次々に奉読していた。

だが、戦時中、時の権力に迎合し諫暁の書も出さず、神札を受け、御書を削
除し、御観念文を改変した宗門が今更、ごく少数の講員の前で七百年前の申し
状を奉読しても全く意味がない。


 

フェイク 第1555号

 投稿者:宿坊  投稿日:2016年11月11日(金)21時37分46秒
  (発行=16.11.10)

供養集めを「徴収」とは驚愕!
日蓮正宗・蓮興寺の特別御供養文書を嗤う
「税金」「罰金」と同じ感覚で強制的に取り立て

日蓮正宗が「大聖人御聖誕800年」(平成三十三年)を口実に七十億円もの
大金を集めると発表しているため、この強引な集金の呼び掛けに各末寺・法華
講は苦心惨憺して坊主らは闇雲に「供養だ、供養だ」と訴え、様々な文書を配
布している。

 このうち蓮興寺(静岡県沼津市)は「蓮興寺支部の皆様へ御供養勘募のお願い」
と題する粗雑な文書を配布。そこには「蓮興寺支部の皆様、未来永劫・子孫末
代までの福徳を積むためにも特別御供養に参加されますようお願い申し上げま
す」と記している。この〝福徳〟云々は日蓮正宗がお金を集める時の常套句で、
騙されてはならない。

 かつて、学会が二百ケ寺の建立寄進など莫大な供養を続けていた時、日如(
当時は早瀬義寛)は、御講の席で「学会の皆様方の功徳は計り知れません。そ
の福徳は未来永劫・子孫末代までも続くことは間違いありません」と力説して
いた。

 日顕も同じように学会を讃嘆していた。ところが今は反対に「罰が当たる、
堕地獄だ」と誹謗を繰り返し、日顕は「信徒の分際で」と学会員を見下して「
大震災は学会による現証だ」等と根も葉もない虚言を吹聴して批判する始末だ。

集金する時は歯の浮くような言葉を並べるのが日蓮正宗の坊主の姑息な手口
で「未来永劫・子孫末代までも続く」とは供養金が欲しい時の決まり文句だ。
本心は〝金を出すのが当然だ〟と思っている。

その証拠に、先に上げた蓮興寺文書には坊主の本音が浮き彫り。「徴収日」
「徴収場所」「徴収時間」というように供養を「徴収」すると表現しているの
だ。

辞書によると、「徴収」とは金銭を取り立てること、国または公共団体が国
民から租税・手数料・現品などを強制的に取り立てることで、例えば「税金を
徴収する」「交通違反で多額の罰金を徴収された」等と使う。御供養の金を「
税金」とか「罰金」と同じような感覚で取り立てる。これが坊主の本性と言っ
てよい。

宗教的権威を笠にきて法華講員を苦しめて、飽くなき収奪を続けるのが日蓮
正宗の悪しき体質である。

「もうお金がない…」と泣き崩れた法華講幹部

これまで日蓮正宗では平成六年、約三千万円の「六万塔」を建立するのに二
十一億円も搾り取ったのをはじめ、同十年の「客殿」の際に四十一億円を集金
した。

また、五十億円以上の巨費を投じて正本堂を解体し、同十四年の「奉安堂」
では百六十八億円を収奪した。

平成十八年には記念事業を口実に二十二億七千万円、同十九年にも記念事業
と称して二十八億一千万円、同二十年にも記念事業として三十九億六千万円を
搾取。同二十五年の「御影堂」と「塔中坊の建て替え」で百二十億円と莫大な
建設資金を収奪し続けた。

しかし、法華講員が供養を続けても功徳はなく、同二十年三月の講頭会では
北海道夕張市・信隆院の法華講幹部が「供養はしたいのですが、もう、お金が
ないのです。ウッ……」と泣き崩れた。日如は講員の苦悩を無視し、功徳もな
い。日蓮正宗への供養は大事なお金をドブに捨てるに等しい。


 

フェイク 第1554号

 投稿者:宿坊  投稿日:2016年10月26日(水)13時55分59秒
  (発行=16.10.25)

国立戒壇は田中智学の造語だ
顕正会・浅井昭衛の邪見、戯言を粉砕する
「民衆の幸福こそ肝要、戒壇建立はオカラ」

顕正会の宣伝紙「顕正新聞」が十月十五日付で「九州大会特集号」として九
州大会(九月二十五日に開催)の模様を誇大に報道している。一面には「九州大
会 赤誠の結集一万一千人」という仰々しい見出しを付けて、記事でも「九州
全土から馳せ参じた一万一千余名」と書いている。

会長の浅井昭衛も「よくぞ、これほどのみごとな結集が成し遂げられたもの」
と有頂天の様子だ。

 だが、この顕正新聞の記事は虚報で、実際は本紙第一五四六号で紹介した通
り、〝九州全土〟ではなく、北海道を除く〝全国各地〟から未入会者や病人な
どを含めて無理に結集しての会合であった。

しかも、一万一千余人の結集というのも偽りである。第二会場のレセプショ
ンホールの四百人、中会議室に車椅子の百五十人、小会議室の子連れ五十人を
含めても約九千人で、二千余人も水増しの報道をしている。

大会では地震予知と他国からの日本への攻撃を語るしか能のない浅井が「そ
れにつけても、このところ九州の天変地夭は激しいですね」と能天気な語り口
で、熊本の大地震や台風の直撃に触れていた。

しかし、この熊本地震や先日の住宅倒壊、屋根や壁の崩落など広い範囲で被
害が出た島根の地震も浅井は予言できなかった。

この浅井が天変地夭、他国来難などは「正系門家が国立戒壇建立の御遺命に
背き、創価学会が極限の謗法を犯している」故である旨、非難を繰り返してい
たが、学会が謗法を犯しているとは的外れの戯言であり、これまでも再三、反
論した通りだ。

また、国立戒壇については以前にも述べたが、国粋主義者の国柱会・田中智
学の造語で、御書にはない。智学は日本の国体と仏法が一致するという邪義を
考え、その見地から国立戒壇を提唱したが、これは日蓮大聖人の仏法を矮小化
するものだ。大聖人の仏法は世界宗教であり、日本一国だけの仏教ではない。

戸田会長は国教化を否定

宗門も戦前、国立戒壇を取り入れたが、戸田二代会長は明確に国教化を否定
して事の戒壇の本義を「広宣流布の象徴」とみていた。

かつて池田三代会長が述べたように、戸田二代会長は民衆の幸福を最大の目
的に掲げ、信心が豆腐なら事の戒壇の建立はオカラのようなものと語っていた。

大聖人の時代と今は社会状況が違う。戒壇建立は古代・中世の日本仏教で重
視されたが、現代の仏教界では関心の的ではない。

戒壇建立は化儀に属すから、時代に応じて考え方を変えても良い。大石寺六
十六世・日達法主も「明治時代には国立戒壇という名称が一般の人に理解しや
すかったので本宗でも使用したが……いらぬ誤解を招いて布教の妨げにならぬ
よう今後は国立戒壇という名称は使わない」と指南した。

浅井は、こんな経緯や化儀の意味も弁えず、御遺命に背いたと無知を晒して
いるのである。

顕正会員を増やして国立戒壇を建てないと第三次大戦で人類が滅亡するとか、
世の中が乱れ、自然現象も激変するというのは、浅井一人の邪見にすぎない。


 

フェイク 第1553号

 投稿者:宿坊  投稿日:2016年10月21日(金)22時04分19秒
  (発行=16.10.21)

西村正雅の強制わいせつは二件
日蓮正宗の前住職を沼津警察署が再逮捕
四十代・五十代の女性を相次ぎ襲う

もう、唖然、愕然として言葉を失う感がある。日蓮正宗の坊主だった西村正
雅(写真)の悪質極まる犯罪が、また明らかになった。今月十九日、沼津警察署
が西村を強制わいせつ致傷容疑で再逮捕、これで逮捕は三度目になる。

西村は八月二十三日、五十代の女性に対する強制わいせつ致傷事件で同署に
逮捕され、起訴された。

次いで女性の下着十三枚を盗んで九月二十七日に同署に再逮捕されていた。

それに加えて、この度は静岡県・清水町内で県東部の四十代の女性を転倒さ
せ、わいせつな行為をしたうえ左肘に打撲など全治一カ月のケガを負わせた強
制わいせつ致傷の疑いでの再逮捕である。この事件は静岡新聞の十月二十日付
で報道された (下に静岡新聞の該当記事を掲載)。

 四十代・五十代の女性に対する強制わいせつ致傷、下着泥棒の三件は、いず
れも八月二十三日の犯行で、当時、西村は開道寺(北海道留萌市)の住職であっ
た。

 まず、下着泥棒は同日午前六時半ごろから午後四時半ごろ迄の間、静岡県三
島市内のアパートや一般住宅の軒先で下着十三枚(一万一千円相当)を盗んだと
いうものであった。

 その下着を盗み回っていた間の午後二時頃、先述の通り、清水町内で四十代
の女性に強制わいせつ行為に及んだものである。

更に、一人の女性に対する強制わいせつ事件だけでは満足できず、同日午後
七時二十五分頃、同じ清水町内の路上で県東部の五十代の女性に後ろから抱き
つき、引き倒して、わいせつな行為をしたうえ、ケガをさせたのである。

 静岡新聞の記事では、西村は「無職」となっているが、これは西村が八月二
十三日に逮捕された後、拘置所で「還俗届」を書き、それが認められて今は僧
籍がないためだが、犯行時は開道寺の住職で、大石寺での全国教師講習会に参
加するために静岡県に来ていたのである。

最初に逮捕された時、西村は「いたずら目的だった」と容疑を認めていたが、
新聞報道によると、今回は容疑を一部、否認しているという。この種の破廉恥
坊主は他にもおり、ここまで腐敗した邪宗門である。


 

フェイク 第1552号

 投稿者:宿坊  投稿日:2016年10月20日(木)10時31分23秒
  (発行=16.10.18)

「悪侶は放逐するか重労働を課せ」
戸田二代会長、宗門の堕落坊主を指弾 ④
「信徒を召使いと勘違いする悪い癖」

本紙で三回にわたって連載した戸田二代会長の堕落坊主を指弾した「寸鉄」
は多大な反響があった。この「寸鉄」を見ると、日蓮正宗の腐敗体質は昔も今
も変わらないことが分かる。今号でも宗門の本質を突いた同会長の「大白蓮華」
巻頭言、論文、指導を紹介する。
    ◇
仏教界においても、僧侶は、ただ食うための坊主商売であり、葬式と墓場の
管理人にすぎない。その教義や説法も、大衆の日常生活とは何の関係もなく、
これこそ大衆から遊離した無用の長物といわざるをえない。
(「大白蓮華」巻頭言 昭和二十四年七月)

坊主ほど、日本再建の今日、無用のものはない。かれらは、なんのために法
事や葬式にお経を読むのかということを深く考えたことがあろうか。先祖代々、
各宗各宗によって葬式や法事のとき、お経を読んできた。自分も坊主になった
のだから、葬式や法事に、師匠ゆずりの経を読む。そうして、お布施と称する
労働代金をもらう。それで本人は不思議ないとしても、よくよく考えてみると、
こちらでは不思議でならない。

お経を読むことは、なんのためなのか。葬式や法事になくてはならない儀式
の一つで家族、知友が、それによって涙するだけの効能とするならば、酒宴の
席上、芸者なる者が出てきて、三味線とかいうものを弾いて、客の興をたすけ
るのと、陰陽異なりといえども、その効能は同じである。

そうなると、坊主と芸者は同じようなものであるが、芸者は女一人食うだけで
大きな寺のような建物をもっているものではない。坊主は大きな寺をもって、
大威張りで労働代金を過分に請求する。(中略)役にも立たぬ経文を、しらじら
読んで「読み賃」を取って食っている坊主は悪人でもあり、詐欺漢でもあり、
非生産的な存在である。今日の日本に、こんな種類の人間を養う余力はない。
ゆえに吾人は叫ぶ。「現代の坊主は、まず放逐せよ! さもなくんば重労働を
課せ」と。
 (「大白蓮華」巻頭言 昭和二十四年九月)

仏様のような顔で集金

寺を建てたが、本尊を下げわたさないというならば、寺は建ったが、なんの
はたらきもしない。ただ坊主の寝床を作ったにすぎないことになる、広宣流布
とは寺を建てることとかいうことではない。(論文「創価学会の歴史と確信」
昭和二十六年八月十日)

御住職をいばらしてはなりません……坊さんは、信者を家来か召使いのごと
く思う悪いくせがある。(高崎・勝妙寺入仏式 昭和二十九年十二月十五日)

大聖人様は、お布施を出せとはおっしゃらない。しかし、法華経の行者を供
養した者には功徳があるとおっしゃっている。そうすると、出さねばならない
ような気持ちが出てくる。どうですか。これが邪宗教の起こるもとになってく
る。悪いことをするやつは、この原理だけ使うのです。日蓮大聖人様でないも
のが、大聖人様のような顔をして金を集めるから邪宗教だろう。(本部幹部会
 昭和三十二年二月二十八日)


 

フェイク 第1551号

 投稿者:宿坊  投稿日:2016年10月18日(火)11時07分40秒
  (発行=16.10.17)

信徒は坊主と寺族を養うお客?
戸田二代会長、宗門の堕落坊主を指弾 ③
「僧の中に特に信心の足りない者がいる」

戸田第二代会長は、日蓮正宗の信仰心の無い坊主が信徒を「お客」と呼び、御
本尊を〝道具〟にして供養集めをしているうえ、威張り散らしている実情を「
寸鉄」で鋭く指弾しているので、前号に引き続き紹介する。宗門の坊主は、こ
れらの「寸鉄」を読み直して噛みしめ、反省せよ。
    ◇
一、信者はお寺のお客か御本尊様のお客か。
一、お寺のお客様ならお寺繁盛のため一人でもいい筈だ。

一、そう云ってしまったら身も蓋もない、御本尊様の客だと申し上げれば誠に
聞こえがよい。しかし腹の中ではお寺の客だと思うから供養の多寡によって扱
いに上下がつく。 (昭和二十六年十二月十日付)
    ◇
一、宗会の決議では我等の会長が登山止めだそうな、物騒な世の中になったも
のだ。

一、忠義を尽して謗法を責めて御褒美あるかと思ったに、おほめはなくて「登
山まかりならん」とおしかりさ。弟子共一同「俺達も一緒に登らんわい、フン」
だってさ。

宗会議員は道門か僭聖増上慢だ

一、何が「フン」だい。決ってるじゃないか、日本全国の信者の声だってさ、
嘘もよい加減にしろ、折伏も出来ず、御衣の権威で偉ばること許りを知っとる
坊主の学会に対するやきもちだからさ。

一、寸鉄居士ニヤリとして曰く宗会議員の諸公は三類の敵人中、第二類か第三
類か、ニヤリ。(二十七年七月十日付)
     ◇
一、正宗信者に信心が足りない、旧信者は特に足りない、僧侶の中に特別に足
りぬ者がいる様に見える、国家の救済をどうする気だ。

一、僧侶は商売でお寺をやっているんではない、喰うために寺があるなんて考
える奴は風上にも置けんやつだ。 (昭和二十七年九月十日付)
    ◇
一、信心の弱い信者ばかり集めたがっている坊さんがいる、そんな坊主は学会
くずれを拾って喜んでいる。

一、それぢゃその坊さん屑買いじゃないか、そんな屑集めて何になる。
一、その屑がね、総代になったり副講頭になったり婦人部の幹部になったりし
ているよ。

一、学会の屑っていう者は偉いもんだな。屑でないのはすごいだろうね。
一、凄い所か、真金だよ、火にも焼けず水にも漂わず、教学に折伏に大童わだ、
天晴れなものだ(昭和二十七年十月二十日付)
    ◇
一、仏様でもないくせに仏様のような顔をして威張る坊主が気に入らない。(
二十七年十二月十日付)
    ◇
一、坊主の仕事は衆生を成仏させる事だが、自分が成仏出来るかどうか考えた
事があるのか。

一、死人への供養のためとすれば、ちっとも供養にならないと云う事を知って
いるのか、喰って寝て豚同様の動物と云う事を自覚せよ。
 (昭和二十八年一月十日付)


 

フェイク 第1550号

 投稿者:宿坊  投稿日:2016年10月18日(火)10時32分29秒
  (発行=16.10.16)

「信心なき僧は速やかに放逐せよ」
戸田二代会長、宗門の堕落坊主を指弾 ②
勤行が嫌いな日顕と日如、末寺住職も

邪宗の新聞「慧妙」十月一日付の連載「変貌した創価学会」で奇妙な戯言を並
べている。紙面の無駄なので詳しくは紹介しないが、前号で簡潔に触れたよう
に「慧妙」は「信仰心をもって唱える題目」とは身延日蓮宗と同じだと意味不
明の非難をしており、信仰心は二の次ということらしい。

日蓮正宗の坊主も法華講員も、肝心の信仰心が無いから勤行・唱題をしない、
折伏が出来ない、功徳が無くて衰退の一途を辿っているという事実に気づかな
いのか?

特に、最近では強制わいせつ致傷事件や女性の下着を盗んで逮捕された末寺住
職が信仰心の欠落を如実に物語っているではないか。

以下は戸田第二代会長の執筆による「寸鉄」である。

一、御僧侶に大法弘通の力がないのは、学問が無いのだとばかり思っていたら
信心が無いからだと判って、びっくりぎょう天。(昭和二十八年七月十日付)

一、僧侶にして信心なしと云わば毛のなき猿が衣をつけた様なものである。(
昭和二十八年七月二十日付)

一、僧の罪とはいずれより起こりたるか、寸鉄居士断じて曰く「信心なきがゆ
えに」と。(同日付)

一、信心なき坊主は御上人様どころか御下人様である。(同日付)

一、寸鉄居士曰く「信心なき坊主は見つけ次第速やかに放逐せられん事を」(
二十八年九月十三日付)

    ◇
 日顕も日如も勤行・唱題を怠けることで知られているが、これも信仰心が無
いからだ。特に、日顕が登座後も「御本尊を信じられない」と語ったのは有名
だが、約四半世紀にわたってニセ法主の座に居座り続けた日顕が、夜の勤行を
したのは昭和六十年春の一度だけだとの元奥番の証言がある。

一方、日如も義寛と名乗って東京・新宿区の大願寺に棲みついていた当時、朝
の勤行に頻繁に通っていた純真な信徒が「導師は住職の義寛ではなく、首の曲
がった若い坊主が代理を務めていた」と述懐する。

改革同盟の渡辺雄範氏も、日如が勤行をサボっていたと証言するが、神戸・法
恩寺にいた冨田慈龍も朝の勤行はしても、夜は晩酌して勤行をしなかったと、
渡辺氏は語る。冨田が夜の勤行をしない理由として「猊下(日顕)も本行寺住職
の時、朝だけしか勤行しなかったんだ」と弁解していた。

また、成田雄伴氏によると、高野法尊は相撲好きで大相撲のテレビ中継を欠か
さず観戦。そのため場所中の夕方の勤行は方便・自我偈もそこそこに唱題はた
った十遍だったとのことだ。

更に、押田雄勤氏が岐阜の経説寺に在勤していた時、住職だった殿原法正が勤
行したのは一年間で十回にも満たなかったと語っている。

同じく植松雄増氏が茨木の安住寺に在勤していた時に菅野修道の娘(当時は小
学生)に一緒に勤行した方が良いと話したら、菅野に「勤行なんか、させなく
ても良い」と言われたという。

これが宗門の坊主、寺族の実態で、本尊があっても信心がなければ豚に真珠、
猫に小判だ。但し、大御本尊は日顕が既に「偽物」だと鑑定したのは周知の事
実だが、ニセ法主が模写したのも全てニセ本尊である。



 

フェイク 第1549号

 投稿者:宿坊  投稿日:2016年10月15日(土)21時29分32秒
  (発行=16.10.14)

大聖人の袖に隠れて威張る狐坊主
戸田二代会長、宗門の堕落坊主を指弾 ①
信じる気持ちは無用と「慧妙」の珍論

 日蓮正宗を邪宗の日顕宗へと変貌させたニセ法主・日顕の肝煎りで創刊され
た「慧妙」が十月一日付の連載「変貌した創価学会」で「有名無実化した『永
遠の指針』」という見出しをつけて学会を誹謗している。

その中で特に「大事なのは信じる気持ちで、その上から唱える題目が重要であ
る」との学会の説明は身延日蓮宗と同類だと言って、「(学会は)戸田時代の信
仰に戻るべきだろう」と述べている。

 信じる気持ちなど無用というか、信仰心はどうでも良いような「慧妙」の記
事は学会の今の路線が戸田二代会長当時と違うかのような的外れの主張だが、
全然、違背はしていない。

戸田会長は昭和二十七年十月に登山会を開始して困窮していた日蓮正宗を経済
的に潤沢にしたのをはじめ、昭和三十三年三月には大講堂を建立寄進するなど
外護の誠を尽くされた。しかし、その一方で聖教新聞の「寸鉄」や「大白蓮華」
の巻頭言で堕落坊主に対して厳しく指弾し続けたのも事実だ。

そこで本紙では「慧妙」の要望に応えて〝戸田会長の時代〟に戻り、今号から
は戸田第二代会長の執筆による「寸鉄」及び巻頭言の中から主なものを抜粋し、
改めて紹介する。
    ◇
一、折伏もしないで折伏する信者にケチをつける坊主は糞坊主だ。
一、尊敬される資格もないくせして大聖人の御袖の下にかくれて尊敬されたが
って居る坊主は狐(きつね)坊主だ。
一、御布施ばかり欲しがる坊主は乞食(こじき)坊主だ。(昭和二十六年五月
十日付)
    ◇
一、宝のもちぐされということがあるが、どこの寺のことだ。
一、立宗七百年が来る。大聖人様はどんな事を喜ばれるであろう。なに! 梵
鐘を作ればよいと、火事が起こってから半鐘を作って間に合うか。
一、軍部におどされて梵鐘を取り上げられ、軍部が消えたら又作り出す。奥さ
んの前でヘイヘイして、居なくなればつまみ食いする女中のような坊主だ。
一、日興上人の遺誡置文を守って居られる方は御坊様、守らん僧侶は坊主、邪
宗の僧は高等乞食というんだ、よくおぼえておけ。(昭和二十六年七月十日付

    ◇
一、御山でゴシュ(御酒)は作ってもゴショ(御書)は作れぬ坊主が居るって
ね。
一、御盆廻りで忙しい坊主も居るし、折伏廻りで忙しい信者も居るし、全く世
の中はさまざだ、アア――。
一、御盆廻りって何の事かね、檀家の先祖を供養する事かね。それとも供養さ
れる事かね。(昭和二十六年七月二十日付)
    ◇
一、寸鉄居士よ御僧侶を坊主などと呼ぶと地獄へ堕ちるぞ!
一、寸鉄居士答えて曰く「御僧侶を坊主と言った覚えなく、坊主を僧侶と呼ん
だおぼえは無い」。
一、坊主が御僧侶の衣をつけたのと御僧侶が坊主の姿に見えるのとは皆信心の
はかりではかるんだよ。
(昭和二十六年八月二十日付)  (つづく)


(発行=16.10.14)
大聖人の袖に隠れて威張る狐坊主
戸田二代会長、宗門の堕落坊主を指弾 ①
信じる気持ちは無用と「慧妙」の珍論

 日蓮正宗を邪宗の日顕宗へと変貌させたニセ法主・日顕の肝煎りで創刊され
た「慧妙」が十月一日付の連載「変貌した創価学会」で「有名無実化した『永
遠の指針』」という見出しをつけて学会を誹謗している。

その中で特に「大事なのは信じる気持ちで、その上から唱える題目が重要であ
る」との学会の説明は身延日蓮宗と同類だと言って、「(学会は)戸田時代の信
仰に戻るべきだろう」と述べている。

 信じる気持ちなど無用というか、信仰心はどうでも良いような「慧妙」の記
事は学会の今の路線が戸田二代会長当時と違うかのような的外れの主張だが、
全然、違背はしていない。

戸田会長は昭和二十七年十月に登山会を開始して困窮していた日蓮正宗を経済
的に潤沢にしたのをはじめ、昭和三十三年三月には大講堂を建立寄進するなど
外護の誠を尽くされた。しかし、その一方で聖教新聞の「寸鉄」や「大白蓮華」
の巻頭言で堕落坊主に対して厳しく指弾し続けたのも事実だ。

そこで本紙では「慧妙」の要望に応えて〝戸田会長の時代〟に戻り、今号から
は戸田第二代会長の執筆による「寸鉄」及び巻頭言の中から主なものを抜粋し、
改めて紹介する。
    ◇
一、折伏もしないで折伏する信者にケチをつける坊主は糞坊主だ。
一、尊敬される資格もないくせして大聖人の御袖の下にかくれて尊敬されたが
って居る坊主は狐(きつね)坊主だ。
一、御布施ばかり欲しがる坊主は乞食(こじき)坊主だ。(昭和二十六年五月
十日付)
    ◇
一、宝のもちぐされということがあるが、どこの寺のことだ。
一、立宗七百年が来る。大聖人様はどんな事を喜ばれるであろう。なに! 梵
鐘を作ればよいと、火事が起こってから半鐘を作って間に合うか。
一、軍部におどされて梵鐘を取り上げられ、軍部が消えたら又作り出す。奥さ
んの前でヘイヘイして、居なくなればつまみ食いする女中のような坊主だ。
一、日興上人の遺誡置文を守って居られる方は御坊様、守らん僧侶は坊主、邪
宗の僧は高等乞食というんだ、よくおぼえておけ。(昭和二十六年七月十日付

    ◇
一、御山でゴシュ(御酒)は作ってもゴショ(御書)は作れぬ坊主が居るって
ね。
一、御盆廻りで忙しい坊主も居るし、折伏廻りで忙しい信者も居るし、全く世
の中はさまざだ、アア――。
一、御盆廻りって何の事かね、檀家の先祖を供養する事かね。それとも供養さ
れる事かね。(昭和二十六年七月二十日付)
    ◇
一、寸鉄居士よ御僧侶を坊主などと呼ぶと地獄へ堕ちるぞ!
一、寸鉄居士答えて曰く「御僧侶を坊主と言った覚えなく、坊主を僧侶と呼ん
だおぼえは無い」。
一、坊主が御僧侶の衣をつけたのと御僧侶が坊主の姿に見えるのとは皆信心の
はかりではかるんだよ。
(昭和二十六年八月二十日付)  (つづく)


 

フェイク 第1548号

 投稿者:宿坊  投稿日:2016年 9月29日(木)20時17分15秒
  (発行=165.09.29)

西村正雅が住職時代に下着泥棒
静岡地裁に起訴中、沼津警察署が再逮捕
わいせつ事件の直前、下着十三枚を盗む

日蓮正宗の坊主だった西村正雅(四五歳)が九月二十七日、静岡県警・沼津警
察署に再逮捕された。西村は八月二十三日午前六時半ごろから午後四時半ごろ
までの間、静岡県三島市内のアパートや一般住宅の軒先で下着十三枚(一万一
千円相当)を盗んだ疑い。

 この西村の再逮捕は静岡新聞の二十八日付で報道され、日蓮正宗内に衝撃が
走っている。

 本紙第一五四一号(八月二十五日付)で詳報の通り、西村は開道寺(北海道留
萌市)の住職当時の八月二十三日午後七時二十五分頃、静岡県・清水町内の路
上で県東部の五十代の女性に後ろから抱きつき、引き倒して、わいせつな行為
をしたうえ、女性にケガをさせて即日、沼津警察署に「強制わいせつ致傷」容
疑で逮捕された。

現在は静岡地裁に起訴されており、これに加えての再逮捕となったのである。

 最初に逮捕された時、西村は「いたずら目的だった」と容疑を認めていたが、
この度、明らかになったのは「強制わいせつ致傷」事件の直前に三島市内で下
着を盗み回っていたということだ。

報道では「下着」となっているが、犯罪心理に詳しい人の話によると「見知
らぬ女性に抱きついて、引き倒し、わいせつな行為を働くような性犯罪者の坊
主が男性の下着を盗むとは考えられません。女性の下着でしょう。また、下着
泥棒は出来心というより、ある種の変態的な性癖者の場合が多く、麻薬の常習
者と同じように再犯率が高い。西村が下着を盗んだのは今回が初めてではない
かも知れません」とのことだから、西村が盗んだ十三枚の女性の下着だけでも
驚きだが、過去に大量に盗んでいた可能性が高いと思われる。

この変態坊主も将来は住職に復帰?

西村の強制わいせつ致傷事件が報じられた時、各方面で「エロ坊主の破廉恥
行為」として有名になった。

この時、感応寺(兵庫県明石市)の滝沢寛栄は「住職も日本全国にたくさんい
る。だから、色々とまともじゃないヤツもいる」と強がりを言って逃げた。し
かし、内心は激しく動揺していた様子が見て取れた。

この度の西村の下着泥棒による再逮捕により〝日蓮正宗の僧の性犯罪〟とし
て宗内外に更に大きく波紋を広げることになろう。

静岡新聞の報道では西村は「無職」となっていた。これは西村が八月二十三
日に逮捕された後、拘置所で「還俗届」を書き、それが認められて今は僧籍が
ないためだが、下着を盗んだ時点では開道寺の現職の住職だったわけである。

この正雅の兄で日顕の元奥番だった西村道超は平成十二年には交通死亡事故
を起こし、業務上過失致死罪で実刑判決を受けて僧籍を剥奪され、服役してい
たが、その後、宗門に密かに復帰した。正雅のような変態坊主も、やがては日
蓮正宗に復帰するのだろうか?

 

フェイク 第1547号

 投稿者:宿坊  投稿日:2016年 9月27日(火)23時34分35秒
  (発行=16.09.27)

浅井の講演は“十年一日”の妄言
顕正会・九州大会は全国から無理に結集 ㊦
顕正会員が増えても広宣流布ではない

 邪教・顕正会の九州大会(九月二十五日)での会長・浅井昭衛(写真上)の話は
約四十分間、核戦争や地震の恐怖を通して不安を煽り、会員獲得を強要すると
いう相変わらずの内容だった。

 その中で浅井は、九州が日蓮大聖人の御在世当時、他国侵逼難を受けた唯一
の土地であると前置きし、今この地に大聖人と血のつながった地涌の菩薩が続
々と出で来り、九州大会こそ九州広布を成し遂げる出陣式である旨、力説。「
九州こそ全国の先陣を切って欲しい、と私は強く念願しています」と語ってい
た。

 浅井は〝本仏〟気取りで顕正会員を指して地涌の菩薩だと持ち上げているが、
これは全然違う。

 迹化の菩薩に対して、末法に法華経を弘通して大衆を救済するのは本化の菩
薩である地涌の菩薩だと説かれている。

 顕正会員のように非常識な勧誘や迷惑行為を繰り返して世間から嫌われるの
が地涌の菩薩である筈がない。

 大衆を救済するどころか、暴力的な勧誘で逮捕者を出し、度々、警察の家宅
捜索を受けるなど社会に害毒を流しているのが顕正会だと自覚し、会員に早く
目を覚ませと勧告したい。

 また、浅井は広宣流布について次のように語った。

「広宣流布は、もう近いんです。私はこれを言葉として簡単に言うのではなく、
本当に広宣流布はなるんです。なぜならば、もし広宣流布しなければ核戦争と
いう世界戦争が起きる。だから広宣流布するんです」

 宗教ペテン師の浅井は、顕正会員が増えることが広宣流布だと思いこませよ
うと詭弁を弄して、強引な勧誘を煽るのが常である。

 地涌の菩薩ではない顕正会員が少しばかり増えて、浅井の間違った国立戒壇
の建立とか、阪神淡路大震災も東日本大震災も予言できなかった的外れの地震
予知ばかりを吹聴しても、それは広宣流布とは無関係だと知るべきだ。

 次に、浅井は昭和二十年六月の大石寺の大火災について述べていたが、これ
は創価新報や本紙で報じた内容の受け売りに過ぎない。

 また、浅井は一番恐れているのは首都圏直下型地震、南海トラフ地震だと語
っていたが、誰もが同じ思いだから、何もしない浅井と違って関係機関で対策
・検討がなされているのだ。

 大会では〝十年一日〟のマンネリ講演を聴かずにロビーで横になって寝たり、
遊んでいる会員達(写真中)、病人を無理に連れ出したために病状が悪化した参
加者(写真下)なども見られた。


 

フェイク 第1546号

 投稿者:宿坊  投稿日:2016年 9月27日(火)16時57分50秒
  (発行=16.09.26)

会場周辺で非常識な迷惑行為
顕正会・九州大会は全国から無理に結集 ㊤
雨の中、重病人を連れ出し失神女性も

邪教・顕正会が九月二十五日午後、九州大会を大分県の別府国際コンベンシ
ョンセンターで開いた。大会名には〝九州〟と冠していたが、その実は北海道
を除く全国から無理に結集しての会合であった。運営側は参加者を一万人と謳
っているが、第二会場のレセプションホールの四百人、中会議室に車椅子の百
五十人、小会議室の子連れ五十人を含めても約九千人で、これが顕正会員の実
数なのである。

 この日の天候は雨、しかも開会が近づくにつれて雨脚が強くなった。そんな
中、会場まで約三キロの地点で、鼻に管を通した重病人らしい婦人を車椅子に
乗せて傘も差さずに連れ出す会員、またズブ濡れになりながら男性会員に引き
ずられるように会場へ連れて行かれる背中の曲がった痛々しい老人の姿(写真
上)も見受けられた。

 更に、無理やり連れてこられた婦人が、会場近くで「疲れた、行きたくない」
と抵抗していたが、このような光景は駅から会場までの随所で見られ、この日
の大会に顕正会が無謀な結集を強いたことが窺えた。

 会場内では女性が失神。嘔吐していたが、意識もなくなった様子で、救急車
が来て病院に搬送されていった。このほか、椅子を並べて病人を寝かせていた
が、こんな重症患者を雨の日に大会に連れ出すとは非常識も甚だしい。

 また、前述の通り車椅子の障害者などはメインホールには入れて貰えず、会
議室に移されるなど差別されていた。

 会長の浅井昭衛が登壇して話を始めても、これを無視してロビーに座ってス
マホや携帯を触っている会員、会場から出て雑談している会員、タバコを吸っ
ている会員達、ロビーで横になって寝ている会員がいた。

面白いのは、一般会員だけではなく、護衛隊の役員らも浅井の話を聞こうと
もしないで熟睡(左下の写真)していたことだ。

 一方、浅井の邪義・邪見に騙れて洗脳された顕正会員が駅構内のレストラン
で客に浅井の我見を吹き込み、駅では若い男性会員が女子高生を呼び止めて話
かけ、女性会員はビジネスマンに執拗に話をするなど、手当たり次第に迷惑な
勧誘の手を伸ばしていた。

 場内のトイレ前は長蛇の列(写真左)。また、場外は違法駐車や路上喫煙が目
立ち、地元の人や観光客からの苦情が相次いだ。



 

フェイク 第1545号

 投稿者:宿坊  投稿日:2016年 9月16日(金)10時24分37秒
  (発行=16.09.15)

「法主本仏」の妄説で衰退の一途
僧俗共に堕地獄必定の邪宗・日蓮正宗 ④
「日蓮迹仏」の邪義を吹聴させた日顕父子

 日蓮正宗内に「日顕本仏論」「法主絶対主義」が横行し、日蓮大聖人を御本
仏と仰ぐ七百年来の教義を曲げて法主根本を宗旨とする「日顕宗」へと変質さ
せた背景には日顕の意を受けた能化文書があったことは、本紙前号で詳述した
通り。

 日顕自身も「相承を受けた以上は生身の釈迦日蓮である」(平成九年八月二
十八日の全国教師講習会で)と、受けてもいない相承を受けたと詐称し、その
うえ己自身を「生身の釈迦日蓮」と言い放ったほど狂っていたが、日顕本仏論
を拡大させた陰には愚息・阿部信彰の画策があった。

 法華講員の内田和子や早瀬義純(故人)らに「現代における大聖人様」等と言
わせ、福田毅道には「日顕本仏・日蓮迹仏」の邪説を唱えさせたのも日顕と信
彰であった。

 平成三年八月、行学講習会で、福田は「百六箇抄に『立つ浪・吹く風・万物
に就いて本迹を分け勝劣を弁ず可きなり』とある」として次のような邪義を述
べた。

「これは森羅万象について本迹を立て分けるべきであるということであり『立
つ浪』というのは次から次へと起こっては消えていくものであるから、今起こ
っている浪が『本』で、消えた浪は『迹』と言える。

 風についても、今吹いている風が『本』で、過ぎ去った風は『迹』と言える。
これからすると、大聖人から御歴代は、もう過去だから『迹』で、御当代日顕
上人が『本』と言える」と。「顕本仏迹論」ともいうべき大邪説であった。

 法主を御本尊と一体不二であるとか、信仰の根本にするというのは、法主を
御本仏日蓮大聖人に並ぶ立場に置く「法主本仏論」ともいうべき大邪義である
が、あろうことか、法主を大聖人の上に置く大謗法の邪義を披露させたのであ
る。

 また「大日蓮」(平成三年六月号)に「創価学会における御宗門批判のキャ
ンペーンについて」との一文が掲載された。これは内田和子という信徒が書い
たものだが、二十ページの作文の中に日顕を「現代における大聖人様」だと計
十四回も繰り返している。

 この稚拙な作文が機関誌に掲載された経緯は、ある僧侶の証言によると、内
田和子は青梅・慈本寺の法華講(当時の住職は石橋頂道)で、内田はこの作文
を当初、石橋の所に持ち込んだ。しかし、お粗末な駄文のため相手にされなか
った。そこで大修寺(当時の住職・阿部信彰)に持参すると、それを信彰が「
大日蓮」編集部に持ち込んで強引に掲載させたということだ。

 信彰は「猊下が何を言われても信者は『ハハー』と聞くのが信心で、猊下が
何をされても、それは全て仏の慈悲と拝さねばなりません」「猊下ではなく大
聖人の信徒というなら、もう日蓮正宗の信徒ではありません」と妄言を吐いて
いた。

 更に、高野法雄が法主は大聖人の法門の全てを所持し、御書は法門の部分に
すぎないという「御書部分論」を唱えた。大聖人否定とも言うべき邪説である。

 日顕は腰痛が激化して御本尊の書写ができなくなり、仕方なく日如に譲った
が、これぞ御本仏が日顕の御本尊書写を拒絶された証だ。

 日顕本仏論の邪説を拡大させた日顕父子と、それに連なる者は堕地獄必定だ!


 

フェイク 第1544号

 投稿者:宿坊  投稿日:2016年 9月15日(木)10時48分51秒
  (発行=16.09.14)

日顕「地獄に堕ちるのはワシが一番」
僧俗共に堕地獄必定の邪宗・日蓮正宗 ③
血脈詐称、仏法破壊、破和合僧の大罪

 日蓮正宗を日顕宗へと変質させた日顕が平成三年十一月、岡崎住職との対面
の際、池田名誉会長をカットして学会の師弟を分断した行為が「破和合僧」の
大罪であることを自覚していて「地獄に堕ちるのはワシが一番だ」と述べてい
た。

 「大白法」(九月一日付)は、学会が法主を罵倒するから末路は師檀共に堕地
獄必定だと書いているが、日顕は己自身が真っ先に地獄に堕ちることを知って
いるのである。こんなニセ法主元祖の下で間違った信仰を続けていると、その
末路は僧俗共に堕地獄必定である。

 この日顕が相承を受けていないのは周知の事実だ。

 六十六世・日達法主は昭和五十四年七月二十二日午前五時、富士宮市内の病
院で逝去。その直前、日達法主は相承をするために大石寺の体面所に床を敷く
こと、そこには大宣寺(東京都国分寺市内)の菅野慈雲(故)、仲居の光久諦顕(
日康、妙縁寺)の二人を呼ぶよう奥番に指示した。

 これから相承しようとする場に日顕は呼ばれていなかったのだ。

 法主を詐称した日顕には大聖人否定・仏法破壊、破和合僧、広布破壊、信徒
蔑視、謗法容認・身延への迎合、腐敗堕落・遊戯雑談、二枚舌・大妄語、貴重
な宗教建築物の破壊、暴力主義、供養の収奪、宗門の私物化など大謗法、暴挙
を重ねてきた。

 まず大聖人否定・仏法破壊について、日顕は血脈相承を詐称したうえ、ニセ
法主の身でありながら自分の権威を絶対化し、大聖人否定に通ずる「法主本仏
論」を浸透させた。日興上人は遺誡置文に「富士の立義聊(いささか)も先師
の御弘通に違せざる事」と厳命されているが、それに反して仏法破壊の大罪を
犯したのが日顕である。

 日顕の悩乱ぶりが明らかになったのは平成二年のことだが、翌三年の七月と
九月の二回、宗門の早瀬日慈、椎名日澄、吉田日勇、瀬戸日謙、秋山日浄ら能
化から学会の和泉最高指導会議議長、辻参議会議長などの古参幹部に宛てた文
書がある。

 そこには法主は大御本尊と「不二の尊体」と力説。この法主と大御本尊の「
根本の二つ」に対する信心は「絶対」でなければならない、また「本仏大聖人、
戒壇の大御本尊、歴代の御法主上人が、その内証において一体不二の尊体にま
します」との妄言を記していた。

 だが、この当時の日慈は体調を崩して入退院を繰り返し、日澄も療養中で日
勇、日謙、日浄らも似たような状態であり、公式文書を書ける状態ではなく、
この能化文書は日顕の意を受けた能化以外の平坊主が代筆したことは明白であ
った。

 つまり、日顕自身が「ワシは大御本尊と不二の尊体だ」と強調しているので
ある。死身弘法のご生涯を貫かれた大聖人と遊蕩・堕落坊主の日顕が不二の尊
体とは笑止千万!

 万一、日顕が大御本尊と一体不二なら大御本尊安置の正本堂を破壊すること
はない。また、大聖人は身延の草庵で質素な暮らしを続けられた。浄財を約三
十億円も浪費して、都内の一等地に二カ所も豪邸を建てた日顕とは正反対だ。

 芸者と深い関係になり、売春婦と問題を起こすなど色魔の日顕は「法師の皮
を著たる畜生」なのである。


 

フェイク 第1543号

 投稿者:宿坊  投稿日:2016年 9月13日(火)11時04分47秒
  (発行=16.09.12)

「正本堂破壊は悩乱僧のテロ行為」
僧俗共に堕地獄必定の邪宗・日蓮正宗 ②
円融閣の柱が倒れた日に日顕も倒れ入院

 「大白法」(九月一日付)は学会が本門事の戒壇建立を放棄したと非難してい
るが、正本堂を破壊した日顕を批判するのが本筋である。

 正本堂については六十六世・日達法主が昭和四十七年四月二十八日に訓諭を
発して「一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇
なり。即ち正本堂は広宣流布の暁に、本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」と、
仏法上の重大な意義を明らかにされた二十世紀最高峰の宗教建築物であった。

 この正本堂は学会を主体とした世界八百万信徒及び僧・寺族の供養で建立さ
れた。当時の妙信講(今の顕正会)も供養に参加した。

 鶴が羽ばたく姿を思わせる雄大な正本堂は日本建築学会賞作品賞を受けたの
をはじめ欧米環境設計協会、アメリカ建築家協会、アジア・西太平洋建設業協
会国際連盟からも表彰されるなど数々の称賛を得ていた。

 ところが、平成十年四月五日、客殿の落成式の際、日顕は突然、正本堂を解
体すると発言。約五十億円もの巨費をつぎ込んで六月から解体を始めた。

 この解体作業に符節を合わせて日本列島は天候の異変に見舞われ、これまで
少なかった大型台風が相次いで直撃。また記録的な豪雨で関東、東北などの各
地は甚大な被害を受けた。

 正本堂の解体作業は困難を極めた。周辺は異常な湧水に見舞われ、境内の池
は濁って錦鯉は全滅。「建設は死闘、破壊は一瞬」と言われるが、耐用年数は
千年、マグニチュード9の巨大地震にも耐える設計・構造になっていた正本堂
の場合は「破壊も死闘」だった。

 事実、基礎部分は遂に破壊できず、今の安普請の奉安堂は正本堂の基礎の上
に建っている。

 正本堂の解体は二十世紀最大の損失と言われ、世界の識者や専門家からも反
対の声が相次ぎ、宗派を超えて世界に衝撃を与えた。

 特に、世界の仏教国では「僧は身を挺して寺院を護るのが責務だが、僧であ
りながら自分の宗派の大寺院を破壊した日顕は魔僧だ」「悩乱僧のテロ行為」
等と痛烈に非難された。

解体をモニターで見
て狂喜していた日顕

 この解体に際して「慧妙」は当初、正本堂の鉄筋が腐食し、モルタルが崩落
しはじめた等とデタラメな誤報を掲載したが、日顕は平成十二年一月、老朽化
ではなく〝謗法の塊りだから破壊した〟と発言した。

 だが、これも本音ではない。正本堂破壊の真の狙いは日顕に相承しなかった
日達法主への憎悪と世界広布の指導者である池田SGI会長への嫉妬、加えて
シアトル裁判の法廷での屈辱の報復だったといえよう。

 日顕の弁解のように〝謗法の塊り〟ならば平成三年の段階で正本堂も解体す
るのが筋であるが、学会破門から約七年も経過した時期に破壊を始めたのは、
日顕のシアトル裁判への出廷の時期と符合している。

 日顕は正本堂の解体現場に向けたカメラを御影堂の杉木立の中にセットして、
壊される様子を大奥のモニター画面を見て喜んでいた。

 だが、円融閣の五本の巨大な柱の最後の一本が倒されたその日に、日顕も倒
れて緊急入院した。


 

レンタル掲示板
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